''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ホワイトアスパラを食う。

今月も今日でお終いですね。
明日からは、師走となります。
私的には、このブログを初めてから数年のサブテーマの極月ということになります。

そう播州産と言えば、赤穂浪士忠臣蔵月ということになります。
おりおりに、何か触れて書いてみたいと感じています。
日々の忙しさに勉強不足とネタ不足が心配です。
されど、書かねばなりません。
何やらご縁があるようです。

武士道とは、何なのか、葉隠れに言われるように「死ぬこと」なのでしょうかね。
道を突き進むということの難しさは、今日の現代人の暮らしの中でも同じです。
これは明日以降のお話に続けます。

先日、白ワインの記事を書きました。
ディスカウントの安いテーブルワインにしては、なかなか美味かったです。
その時、お店で見つけたものに、ホワイトアスパラがあります。

皆さんお好きですかね。
好き嫌いの分かれる食材でもあります。
子供の頃、家の近くにステーキハウスと言うのがありました。
播州の田舎ですが、幾つかの店舗を構える老舗です。

そこで頂いたステーキに付いていたサラダにホワイトアスパラが使われていました。
年に数えるほどしか連れていて言ってもらえないお店ですが、子供心ながら緊張して食事をしたのを思い出します。
今考えると、親としても少し無理をして、散財させた気にもなっています。

そこでサラダにホワイトアスパラです。
見たことが無かったですね。
もちろん、アスパラというのは知っていました。
缶詰で見たことがありましたからね。
当時は、ホワイトアスパラしかないです。

緑のフレッシュアスパラが市場に無かったからです。
アスパラというと、白と思っていたくらいですからね。
サラダには、キュウリ、トマト、レタス、それにキャベツの千切りしたもの、それに一番隅に置かれたアスパラです。

昭和49年~50年頃当時としては、珍しいドレッシングです。
ビネガーが効いたタイプのドレッシングです。
子供心に、すこし変な味と思っていました。
チーズなんかが入っていたように記憶しています。

そこでホワイトアスパラです。
もちろん、大きなアスパラは瓶詰めだったと思います。
缶詰でしたら、微妙に缶の金属の味がしますからね。
子供ながら、その辺は舌に前世の覚えがあったのかもしれません。

歯ごたえのないアスパラです。
最初は苦手でしたが、やはり当時としては、田舎ながらに高級なお店でしたので、残すのは親にも申し訳なく思い食べていました。

しかし、恐ろしいもので、何度か連れて来てもらうと、このホワイトアスパラの美味さに目覚める時が来ましたね。
なかなかイケますよってね。

日常には、滅多に口にはしないホワイトアスパラなれど、大人になって、子供の頃の記憶が鮮明に戻った瞬間があります。
もちろん、瓶詰めのホワイトアスパラです。
イメージ 1

これに合うソースは、やはりマヨネーズです。
最高の旨味です。
出来れば、マヨネーズも瓶に入ったのを使うか、自宅で作ると尚美味いです。

そこまで凝らずに市販のキューピーでも充分に美味いです。
これを肴にビールも美味いです。
この間の白ワインにはよく合うと思います。

フランス人は、特にアスパラが大好きと聞きます。
それもソースにしたりして使ったりもします。

もちろん、食べるのも穂先の部分が好みと聞きます。
茎の部分は捨ててしまうとも聞きます。
もったいないです。

ホワイトアスパラは、茎の部分か美味いんです。
大きくて肉厚の茎とマヨネーズが合うんです。
柔らかくて初めは、変な味と思いつ、アスパラワールドにはまるんです。

写真は、彩りに乾燥パセリと七味唐辛子をフリフリしています。
一味の方が好みですが、この日は切らしていて、七味で代用です。
それでも、美味いです。

甘みと酸味が何とも言えず、マヨネーズのコクが、アスパラの香りが、鼻腔の奥の美食センサーを震わせます。
至福です。

このすくすく伸びるアスパラも三方に盛り付けます。
三世のご縁ように重なり合っています。
もともとは、一本のアスパラです。
人の魂もこうしたように、一本なのかも知れませんね。

盛り方いろいろです。
お気に入りの、蛤の中皿の盛り付けます。

中とは、宙ですね。
宇宙の宙ですね。
宙は、そらとも呼びますよね。
そう、そらと言えば「空」ですね。

私達は、仏の世界、仮の空の中に暮らしています。
三世もこの空の中にあるわけです。
それじゃ、それらを食うと洒落込みました。
真円ではなく、ゆがんだ形の蛤型は、私のゆがんだ空(食う)の世界を表現しているのかもしれませんね。

ホワイトアスパラを見て、食って悟りを開いたという先人は聞いたことはないですが、これもありかもしれませんね。
好き嫌いなく、すべてを食らう。
好き嫌いのない一切衆生を救うが仏の願いです。

なかなか凡夫の私にはたどり着けそうにありません。
それでも、道は進みます。
いつか長安に通じると信じる道を歩み続けるだけです。

ありがたい仏縁に感謝です。
ありがとさんと手を合わせます。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、いのるばりです。

最後まで、このアスパラのように白らけた話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。