池田の逸翁美術館を出てから、梅田に向かいました。
京都に住していると、なかなか梅田には来ませんね。
京阪電車沿線に住まいしていますと、淀屋橋に行くことは多いです。
それに私のテリトリーは、やはり京橋ですね。
京都に住していると、なかなか梅田には来ませんね。
京阪電車沿線に住まいしていますと、淀屋橋に行くことは多いです。
それに私のテリトリーは、やはり京橋ですね。
梅田はは人が多いですね。
休日ということもあり、人酔いしそうになります。
同行カメラマンが、こっちこっちと地下に誘います。
どうやら、昼ごはんに向かうようです。
休日ということもあり、人酔いしそうになります。
同行カメラマンが、こっちこっちと地下に誘います。
どうやら、昼ごはんに向かうようです。
いろんなメニューの写真が壁一面に貼られているお店でしたね。
名前は、覚えていません。
とりあえず、メニューの多い店です。
大抵の定食が680円というもの、梅田のビジネス街ならではですね。

私は、鳥南蛮の定食にしましたね。
南蛮渡来の飛び道具に違いありません。
名前は、覚えていません。
とりあえず、メニューの多い店です。
大抵の定食が680円というもの、梅田のビジネス街ならではですね。

私は、鳥南蛮の定食にしましたね。
南蛮渡来の飛び道具に違いありません。
ごはんのお替り自由の、スープとメインの取り合わせです。
アフターに、ドリンクも付きます。
これなら、なかなかのお値打ちですね。

その前に、一杯呑みました。
梅酒ソーダーです。
ビールでなく、梅とは否ことを、いえいえ、この時期あれです。
アフターに、ドリンクも付きます。
これなら、なかなかのお値打ちですね。

その前に、一杯呑みました。
梅酒ソーダーです。
ビールでなく、梅とは否ことを、いえいえ、この時期あれです。
水間沾徳に弟子入りして俳諧を学び、俳人としての才能を大いに発揮した文人でもありました。俳諧集『二ツの竹』を編著し、子葉の名で知られます。
元禄9年(1697年)の参勤交代への従軍ではじめて江戸へ入り、翌年10年(1698年)に赤穂へ帰国するが、その道中を紀行文にして『丁丑紀行』を著しています。(ウィキペディア参照、一部抜粋)
元禄9年(1697年)の参勤交代への従軍ではじめて江戸へ入り、翌年10年(1698年)に赤穂へ帰国するが、その道中を紀行文にして『丁丑紀行』を著しています。(ウィキペディア参照、一部抜粋)
何とも優雅に、死出の旅に旅立たれたことでしょうね。
主君にも、ご先祖にも鼻高だかな、旅立ちだったことでしょうね。
生きていれば、もっと有名な俳人になっていたのかもしれません。
それを思うと残念ですね。
主君にも、ご先祖にも鼻高だかな、旅立ちだったことでしょうね。
生きていれば、もっと有名な俳人になっていたのかもしれません。
それを思うと残念ですね。
これもご縁というか、この御仁の天命だったのかもしれません。
これも赤穂事件の話の一つです。
これも赤穂事件の話の一つです。
現代に生まれたことに感謝します。
ありがたい仏縁を頂けた事にも感謝です。
ありがたい仏縁を頂けた事にも感謝です。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。
最後まで、梅ソーダの話に「そうだ」とお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。