''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

おのおの方 討ち入りでござる より。

極月半ばの14日、いよいよ今日がやって来ましたね。
昨日の雨も、すでに上がっています。
今日も雪の心配もございません。
いよいよ、討ち入りの当日です。
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先日の日曜日、京阪電車の駅で、山科大石神社の祭りのポスターが貼られていました。
こうした催しが、関係する地で行われます。
芝居にも、映画にも、この時期は忠臣蔵を外すことは出来ませんね。
風物詩ですからね。

吉良家討ち入りは、偶然の偶然が関係します。
偶然の偶然とは、必然なりです。
天が下した結果なのかもしれません。

当時の吉良家の屋敷は、本所松坂町ということになっています。
当然とお思いでしょうが、実は間違いです。

当時には、松坂町という地名はなく、「二つ目」とか、「本所無縁寺裏通り」と呼ばれていたようです。
元禄16年11月の旧吉良邸付近全焼の後、宝永年間以降のことと聞きます。
現在では、墨田区東両国3丁目本所松坂公園ということなっていると書物で読んだことがあります。

吉良家が、この本所屋敷に、呉服橋から移って来たのは、元禄14年8月19日の事らしいです。
呉服橋では、江戸城内とも言えますから、討ち入りは無理でしょうね。
そうなっていれば、吉良上野介が、上杉の領内に向かう道中を襲撃するという仇討ちのスタイルになっていたかもしれません。

これじゃ、仇討ちとしての形がもう一つですね。
屋敷に討ち入ってこそ、武士(もののふ)です。
相手も待ち構えているわけです。
時代劇的には、そこを討ち入ることこそ、醍醐味ですね。

事実は、少し違っているようです。
それほどに、吉良家では襲撃の備えは無かったという記述もあります。
それはそうです。

吉良家にしては、いきなり切り付けて来た乱心者として認知しています。
こちらに非はない。
いじめもなければ、遺恨もないはずです。

今回の勅使出迎えの儀式(事件)の10日前に逢ったばかりです。
前にも(17歳の時)勅使のご馳走役やっています。
その時の指導役・先生も同じく、上野介殿です。
久しぶりの再会です。
それまで、上野介は京都に、将軍家の代行で出張していましたからね。

直接顔を逢わせたのも、事件まで、数回しかないようです。
遺恨といわれる覚えがない。
当方に落ち度がない以上、源氏の血筋が、おびえることもないと凛とした態度です。
ですから、討ち入りの備えはありません。
家臣も、ゆっくり眠っています。

それじゃないと、討ち入りは、成功はしません。
寝首をかくというのが、討ち入りの真実かもしれません。
それでも、吉良家に赤穂の義士として、主君の仇を討つというスタイルにこだわったわけです。
これも、大石内蔵助の狙いです。
喧嘩両成敗こそが、右大将様(頼朝)以来の武家の規則です。

なんとしもて、武士の喧嘩としての始末を付ける形にしたかった。
ですから、討ち入りしたわけです。

準備も万端です。
当日の用意するものは、履物、下着、防具に至り、挙句は携帯の食べ物まで、決まっていました。
おやつの300円の決まりは無かったでしょうね。

合言葉も用意です。
有名な、「山」、「川」、そして「豊」ですね。(笑)
アメリカ橋でも歌いましょうかね。

♪風が足もとを通りすぎてゆく~ 角部屋の灯り

あの角部屋の灯りが目印です。

あっけない吉良殿の最後です。
映画のような悪態もついていません。
「主君、浅野内匠頭、お肉通しのこの短刀にて・・・・ お命仕る」

どうしてこうなったのか、吉良殿は知らないまま、黄泉へ旅立ちです。
♪波の谷間に 命の花が~
散りましたね。

赤穂の浪士としては、大成功です。
成功以外になかったです。
本懐です。

ほっとされたことでしょうね。
武士としては、これにない誉です。
後は、幕府にお任せします。
大目付にご連絡です。

吉良にとっては、災難とも言えます。
その災難から、上杉も逃れることが出来ました。
主君の感情に負けて、吉良家に兵を出せば、お家列取り潰しです。

画策したのは、柳沢殿ですね。
なかなかの知恵者です。

あれよこれよと、過ぎ行き師走です。
命のやり取りに関わらない時代に、生きて来たことに感謝です。
多くの命が、散り行きます。
意味のないやり取りの犠牲です。

空しさしか残りません。
これが赤穂事件でもあります。

人として生まれて来たからには、天命に従うしかあれません。
これが、赤穂の義士の天命であったのか、否かは不明です。
300年の時を越えて、いろいろなことを学ばせて頂けます。

人として如何に生きるのか、如何に死をとらえるのかです。
この世は、仮の空の世界でもあります。
どんな状況にあろうと、最後まで信念を貫きたいです。

今日、生かせて頂いているのは、ありがたいことです。
仏縁に感謝します。
ありがとさんです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、討ち入りの話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。