''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

天神さんと不思議なご縁の伏見宝塔寺の物語より。

昨日は、3日に行った大阪天満宮・天神さんの初詣の記事を書きました。
昨日4日は、伏見の名刹塔寺に、参詣です。
京都での初詣となります。

全く別々のコースでしたが、大きな因縁があります。
塔寺と聞けば、『光源氏』の「藤裏葉」の帖に極楽寺が登場します。
光源氏の息子、夕霧が雲居雁(くもいのかり)との結婚を許された寺として名が出て来るようです。

この極楽寺が、後に日蓮宗の寺になり、天正18年(1590)寺の名が宝塔寺として呼ばれます。
塔寺には、名前の如く室町時代に建てられた多宝塔(重要文化財)が今も存在します。
もともと、真言宗の寺で、創建は藤原基経(836~891)によります。

平安時代には、隆盛を極め、広大な寺領に堂塔伽藍が甍を連ねたと聞きます。
この時の隆盛を極めたのは、時の権力者・藤原時平(871~909)(基経の子)です。

時平と聞いて、歴史の好きな人は、ピンと来ましたね。
菅原道真公と藤原時平は、醍醐天皇の御世の右大臣・左大臣です。
時平の讒言によって、道真公は大宰府に左遷されます。
個人的な意見の違いも有ったようですが、律令制の政治に対する感覚も大きく違っていたようです。

2年後に道真公は、大宰府の地にて命は落とされ、怨霊となって、都に不思議なことが起こります。
天変地異の事態です。
張本人の時平も39歳の若さでこの世を去ります。

これが為に、道真公は神としてお祀りです。
これが後の天満宮さんですね。

知らずとは言え、両者の深い縁が私にも降りかかろうとは露知らず、たまたま時平の文字を見つけてしまいました。
道真公も、この時の極楽寺の名はご存知のはずです。

この寺は、日蓮宗の寺としても有名です。
日像菩薩さんの荼毘された場所として、その名を記しています。
京都に日蓮宗を広めた徳は大きいですね。
この菩薩様にもご縁があるようです。
イメージ 1

この寺の山頂には、七面大明神(しちめんだいみょうじん)様がお祀りされています。
法華経を守護する女神様です。
この神様は、「本地は弁才天功徳天女なり」とあります。
母親は、あの鬼子母神です。(「身延鏡」より)

一説に、「金光明経」によれば、吉祥天の実父は徳叉迦竜王、実母は上記にある通り鬼子母神、実兄(もしくは夫)は毘沙門天とあります。
(「ウィキペディア」参照、一部抜粋)

と言うことは、妙法華経提婆達多品第十二の後半部に出てくる竭羅龍王女(しゃからりょうおうにょ)ですね。
齢8歳にして、悟りを開き、それの宝珠をお釈迦様に捧げたことで証明され、男の姿に変わって、妙法華経を広く説いている姿になった仏様ですね。

ここははっきりと書いてありません。
推測の域を出ません。
この意味からも、法華経とはゆかりのある寺院とも言えます。

京都、大阪、道真公、時平公、日像菩薩様、七面大明神さんと、何の関係もないように思えた一片ピースも繋がりました。
不思議なご縁です。

天神さんと七面大明神さん、いみじくも何も知らずにそこに私も立っていた。
不思議です。
数多ある寺院の中で、あるあるなご縁です。

何か繋がっているのでしょうかね。
私には、分りません。
単なる偶然でしょうね。

去年もここで初詣しましたよ。
今年の一年を占う正月の出来事でしたね。

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、讒言と言われそうな話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。