寒いですね。
一時の寒さはないものの、手足の冷えを感じます。
朝から首と肩の痛みのため、病院のマッサージを受けて来たところです。
首は、気温の変化に敏感ですね。
一時の寒さはないものの、手足の冷えを感じます。
朝から首と肩の痛みのため、病院のマッサージを受けて来たところです。
首は、気温の変化に敏感ですね。
今から30年ほど前、日航機が羽田沖で落ちたのは、2月9日でしたっけね。
その前日、2月8日はホテルシュージャパンの火災がありました。
立て続けに起きた大災害を私はよく記憶しています。
別の事故して病院に居たからです。
その前日、2月8日はホテルシュージャパンの火災がありました。
立て続けに起きた大災害を私はよく記憶しています。
別の事故して病院に居たからです。
飛行機といい、あんな大きなホテルといい、落ちたり、燃えたりすることがあるようには思えません。
絶対安静の状況の中、テレビや新聞を見ることが出来なかったので、聞こえてくるテレビの音声に、どんな大災害であるのか、恐怖したものです。
絶対安静の状況の中、テレビや新聞を見ることが出来なかったので、聞こえてくるテレビの音声に、どんな大災害であるのか、恐怖したものです。
天国の風呂も地獄の風呂も、大きさも湯船の広さも同じです。
天国の風呂は、空いていてゆっくりと入ることが出来ます。
しかし、地獄の風呂は、湯船に入りきれないほどのモノがいっぱい入っています。
足を踏んだの、肩が当ったのと、ギャーギャー騒いでそれこそ安らぎはありません。
こんな例えだったと記憶しています。
天国の風呂は、空いていてゆっくりと入ることが出来ます。
しかし、地獄の風呂は、湯船に入りきれないほどのモノがいっぱい入っています。
足を踏んだの、肩が当ったのと、ギャーギャー騒いでそれこそ安らぎはありません。
こんな例えだったと記憶しています。
人と人の中に、安穏を得られていない状態が、それが地獄なのかもしれません。
日常の中にも、心の中にも、容易に地獄が発生するものかもしれません。
最下層の地獄界から、最上階の仏の世界までの十界の中に、私たちは存在しています。
日常の中にも、心の中にも、容易に地獄が発生するものかもしれません。
最下層の地獄界から、最上階の仏の世界までの十界の中に、私たちは存在しています。
天台の一念三千の法理に因れば、十界互具(じゅっかいごぐ)より始まります。
ある時は苦しみばかりを感じる地獄界、ある時は欲ばかり求めを感じる餓鬼界、またある時は喜びを感じる天界の中に、心があることになります。
ある時は苦しみばかりを感じる地獄界、ある時は欲ばかり求めを感じる餓鬼界、またある時は喜びを感じる天界の中に、心があることになります。
十界それぞれに、十界が存在する、つまり互具した状況にあるということでしょうかね。
天台の難しい教えは、偉い坊さんにでも教えを受けないと、会得出来ないものかも知れません。
天台の難しい教えは、偉い坊さんにでも教えを受けないと、会得出来ないものかも知れません。
日常の中に、天界も菩薩界も、そして、地獄餓鬼の世界も心に存在するものかもしれません。
ゆっくりと風呂に入るように、のんびりと安穏に暮らしたいというのが私のささやかな願いです。
ゆっくりと風呂に入るように、のんびりと安穏に暮らしたいというのが私のささやかな願いです。
日常には、不愉快なことも嫌なことも多いです。
辛いことも、痛いことも、一時のもの、「仮の空」と感じれば、心も少しだけ楽に感じます。
相対的な世界の中で、私たちは暮らしています。
辛いことも、痛いことも、一時のもの、「仮の空」と感じれば、心も少しだけ楽に感じます。
相対的な世界の中で、私たちは暮らしています。
何かに比べて、いいとか悪いとかです。
昨日より体調がいいとか、悪いの世界ですね。
これが絶対の幸せというものは、なかなかないです。
昨日より体調がいいとか、悪いの世界ですね。
これが絶対の幸せというものは、なかなかないです。
これが自分にとって安穏に感じると思えれば、それが幸せでしょうね。
自分の分に応じた生活があります。
一気に億万長者にはなれませんし、なってもなかなか身を滅ぼします。
自分の分に応じた生活があります。
一気に億万長者にはなれませんし、なってもなかなか身を滅ぼします。
億万長者になったからと言って、日に10食は食べられません。
寝るベットも、寝室も1つしか使えないですからね。
寝るベットも、寝室も1つしか使えないですからね。
食う寝る遊ぶは、流行語にもなりましたが、まさしく食う寝る遊ぶ(遊ぶには仕事も含まれます)にあまり貧富の差は、思うほどないと言うことですね。
究極的なところを考えれば、生きる上で困らない程度であれば、金銭もさほど執着しなくてもいいですからね。
究極的なところを考えれば、生きる上で困らない程度であれば、金銭もさほど執着しなくてもいいですからね。
大きな家に住みたい(住みたいです)、いい車にも乗りたい(ポルシェがいいな)、それ現実になればいいでしょうが、それを現実にする成功の楽しみが、一番の楽しみかもしれません。
金銭もあればあるにこしたことがありません。
なればはないで、困りますからね。
金銭もあればあるにこしたことがありません。
なればはないで、困りますからね。
でも、そればかりに固執する必要はないように思えます。
心の平静や安穏を求めることは、なかなか金銭では、購入出来ませんからね。
心の状態、これが幸せに繋がるように思います。
貧家の妬みかもしれませんね。
心の平静や安穏を求めることは、なかなか金銭では、購入出来ませんからね。
心の状態、これが幸せに繋がるように思います。
貧家の妬みかもしれませんね。
そうそう、今日は懐かしい鯨の話です。
鯨の肉は、懐かしいですね。
スーパーの特売、105円で購入です。
焼肉風味になっています。
鯨の肉は、懐かしいですね。
スーパーの特売、105円で購入です。
焼肉風味になっています。
大和煮なんかは、懐かしいですね。
それに私は焼いた鯨が好物でしたね。
ショウガを少し聞かせた照り焼き風が、好みです。
それに私は焼いた鯨が好物でしたね。
ショウガを少し聞かせた照り焼き風が、好みです。
兆の上ですね。
お金なら、どえらい金額ですね。
国家規模でなく、地球規模の金額になります。
お金なら、どえらい金額ですね。
国家規模でなく、地球規模の金額になります。
飛行機といい、巨大なホテルといい、落ちたり、燃えたりするのです。
何があっても不思議ではありません。
どんな状況にあっても、私は仏縁を頂いていることに感謝して、生かせて貰いたいですね。
ありがとさんです。
何があっても不思議ではありません。
どんな状況にあっても、私は仏縁を頂いていることに感謝して、生かせて貰いたいですね。
ありがとさんです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。
最後まで、大きな鯨を食う話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。