''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

家族会より、湊川神社へ散策出向く より。

昨日の家族会の続きです。
がんこで、ふぐ鍋を頂いてより、神戸に来たもう一つの理由があります。
前から、神戸駅近くの湊川神社に来たかったのです。
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ここは、あの建武の忠臣、楠木正成公をお祀りされています。
後醍醐天皇に忠義を貫いた御仁です。
あの豊臣秀吉公でさえ、検地(けんち)の際、税免除とされ、江戸時代には尼崎藩主青山幸利(あおやまよしとし)公によって松と梅が植えられ、五輪(ごりん)の石塔(せきとう)も建てられました。
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そして元禄5年(1692年)水戸光圀公は、家臣佐々介三郎宗淳(助さん)を、この地に遣わして墓石(ひせき)を建て、光圀公みずから「嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)」の碑を立てられ、御墓所を立派に建立されました。

この御墓所が建立なるや、さらに多くの人々が墓前にお参りし、正成公を偲びその御遺徳(ごいとく)をたたえましています。
湊川神社ホームページより、一部抜粋・参照)

ちょうど参拝の折には、境内で結婚式がとり行われていました。
晴天でしたから、こんないい結婚式を行えた夫婦は、さぞ明るい道を手にとって進むことでしょうね。
嗚呼、あやかりたいです。

この墓碑の話が、浪曲にあります。
日吉川秋斉の『水戸黄門漫遊記』です。
老公が、あちこちを、数人のお供だけで、旅をしていると言う前提ですね。
そんな事実はありません。

お一人で、石屋の石甚・甚平のところにやって来ます。
兵庫一の腕の持ち主ですが、兵庫一の偏屈親父です。
湊川坂本村の外れに、粗末な楠木正成公の墓があるので、これを立派なものにしてもらいたいと、個人で注文するという話の流れです。

幾度と、墓の建て直しの話はあったようですが、先立つものがありません。
そんな訳で、さっさと立ち去れと、甚平に、けんもほろろに追い返されそうになります。
しかし、どんなものを作るか聞くだけ聞くと、石屋の親父の下りです。
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老公曰く、丈は6尺位「嗚呼忠臣楠子之墓」と書き、その下に亀一匹置いて、その下に5尺真四角、その下に一畳玉垣と一対の石灯篭という途轍もない立派なお墓です。
これでお見積もりは、200両です。

老公「それよりよう取らんか?」
手付けに50両頂き、唖然とする甚平です。

一言、老公が「あー、金と言う奴は、儲けやすいのに、どうしてこんなに使いにくいものじゃ」と言い放ちます。
一度言ってみたいですね。

京山幸枝若の「竹の水仙」の中で、人として生まれて一番辛い・しんどいのか、「お金もうけ」と言っていますね。
どちらでしょうね。
立場が変わるとそうなるものかもしれません。

老公、悪いときに来ました。
今月と来月は、参勤交代で、諸国の大名が石屋の前を通ります。
これでは、仕事が出来ないので、2ヶ月はお休みています。

迂回路があることを確認してから、「この道通るな。他の道通れ」と書くと、甚平にいいます。
「酒に酔うているのか」と甚平が、怒ります。
殺されるぞと、諭す甚平です。

この辺が、掛け合いの独り輪芸の妙ですね。
秋斉さんのなかなかやりますね。
話芸に引き込まれます。

墨を甚平にすらせ、さらさらと書きます。
あまりの達筆に、甚平が、老公の商売は「ちょうちん屋」と言うところが、滑稽です。
ちょうちん屋で、使いきれないほどの財をなすことは不可能です。

「一 この度この道通るべからず 諸大名へ 常陸水隠梅里」と張り紙です。
諸大名様へ、ぐらい書いたらと甚平が言います。

常陸水隠梅里とは、何かと甚平が尋ねます。
自分の名前と答える老公です。
カッパみたいな名前と言い放つ甚平さんです。

常陸水隠梅里とは、常陸、つまり水戸の隠居した光圀(梅里とは、老公の号ですね)と言う意味です。
知識人の武士には、それだけで、光圀と分るという設定です。

やって来ましたよ。
防長二カ国の太守・毛利の殿様です。
甚平、殺されると言いながら、老公の所に案内します。

この毛利様から、500両の協力金を頂きます。
なんて「あこぎ」です。

200両の石碑に、協力金として、500両なら、300両の儲けですね。
どんどん大名を連れて来いといいます。
囃子の三味線もいいですね。

尻拭いは、黄門さまが引き受けたと、ここでダジャレですね。
これじゃ、悪老公になりますからね。

実は、神社も作りたいと思ってのことではないかと、思いますね。
もちろん、浪曲には出てきません。

楠木正成も、実は「悪党」と呼ばれていた武士の集団から始まります。
悪党と呼ばれても、悪事をするのでなく、守護や地頭にとって恐れられた存在であったという意味でしょうね。
時に山賊みたいなことや、村を襲撃することもあったかもしれません。

悪も、時代が変われば、善に変わることもあります。
それだけ、相対的な世界に私たちは住しています。
仏の絶対の世界とは、違う世界です。



日々の暮らしの中で、心の三毒を廃し、安穏に暮らせることが、何より幸せだと感じています。
ありがたい仏縁を頂いています。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈ります。

最後まで、梅咲く話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。