''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

豚の角煮に舌鼓、よぉー。

先日、貧家に指し入れです。
♪ピンポン~(我が家には呼び鈴がありませんので、想像上の音です)

昼餉は、塩焼きそばを作りましたね。
なかなかいいですよ。

ソースも味もいいです。
中華の醤油ベースの味付けも悪くないです。
たまには、塩味の焼きそばも美味いです。
時々我が家では作ります。
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塩を入れて、コショウをフリフリしてます。
最後の色付けに、ほんの少しのお醤油をフリフリします。
麺のほぐれやすい様に、お酒もフリフリすると、何とも奥深い塩焼きそばの出来上がりです。

塩味なので、お肉でなく、イカの切り身とゲソを一緒に炒めました。
なかなか、塩に合います。
お酒が、イカの臭みを指し去るとも言えます。

イカと一緒に、もやしもキャベツとべたな野菜も炒めます。
もちろん、最後には紅ショウガとネギを散らせます。
これに合うには、本格辛口の発泡酒ですね。

焼きそばには、紅ショウガがよく合いますね。
これがないと味が絞まりません。
おつまみ程度の休日の昼ご飯です。

何やら指し入れを頂きました。
仄かにまだ温かいです。
お得意の豚の角煮です。
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これは晩酌のお供させて頂きました。
小ぶりな椀に入れ替えて、盛り付けましたね。

煮込んだ角煮は、肉もホロホロです。
美味いです。
ゆで卵も、しつかりと味が付いています。
鼈甲色の大根もよく味が染みていますね。
関西人は、味が「しゅんでる」といいます。

如何にもおいしそうな表現と関西人は感じますね。
不思議な表現です。

関西、特に大阪と言えば、1970年の大阪万博です。
♪こんにちは、こんにちは、世界の国から~

三波春夫さんの歌声すら、鮮明に記憶しています。
「お客さまは、神様です」という名言が、当時を思い出します。

わざわざ忙しいのに、お金まで出して見に来てくれるという意味ですね。
忙しいなら、わざわざ行きませんね。
綾小路きみまろさんの毒舌が聞こえそうです。

三波春夫さんと言えば、歌手としての顔もありましたが、浪曲師としての芸暦もあります。
逆に浪曲師としては、座長としてそこそこ売れていましたが、後に歌手になった村田英雄の「王将」のミリオンヒットで一躍、一流の歌手として脚光をあびます。
歌手としての名声は、はるかに三波春夫氏の方が上であったように思えます。
その後ライバル視されますけどね。

しかし、浪曲師として先輩として、常に村田を立てた姿が、人知れず気を使われていた姿が、いつもにこにこされていた表情につながったやもしれません。
世間では、二人は不仲ということになっていましたね。

現実は、そうではなかったように聞きます。
上手下手の事件もあったようですが、三波春夫氏の気遣いには、そんなことは無かったように思えます。

そうそう、今日は岡本太郎氏の生誕100周年に当るようですね。
大阪万博の「太陽の塔」は偉大な作品です。
当時のCMにもグラスに顔があってもいいじゃないかと、おどけた表情に感じています。
どうも私世代には、ビートたけしさんのモノマネの岡本太郎さんに見えてしまいます。

岡本太郎さんのお父さんと言えば、岡本一平さんですね。
因みに、お母さんと言えば、作家の岡本かの子さですね。

平氏は、漫画家として、作詞家として、有名です。
そのお父さんと言えば、岡本可亭氏、書家です。
この岡本可亭のお弟子に、北大路魯山人がいます。
その時の名前は、確か「鴨亭」です。

この方も名前を転々としますからね。
最後にたどり着いたのが、「北大路魯山人」です。
いろいろと迷いのあった人生だったのでないかと感じます。

太郎も、中学に入った頃から「何のために描くのか」という疑問を人生のテーマにしていたと聞きます。
大阪万博太陽の塔も、社会から痛烈な批判があったと聞きます。

しかし、太郎は「個性的なものの方が普遍性がある」と語っていますね。(wikipedia参照)
言い換えれば、普遍な物は、それだけ個性があると言えます。
普遍なものとは何でしょうね。

仏法世界なら、「妙法華経」です。
長い歴史の中で、仏の真髄の教えが、長く後世に伝わっています。
しかし、その教えがどんなものか、聞いて分るようなものではあります。
時が来ないと、機が熟しません。

お釈迦様、前世に、私仙人から学んだ悟りは、日常の生活から学んだ自然の摂理であったとも言えます。
人として生きるは、大変です。

イライラすることもあります。
ウジヴシすることもあります。
時には、世間を敵に回すこともあるやもしれません。

普遍というのは、常にどんな状況にあろうと、平穏な精神状態でないと得られない物ではないかと考えます。
人のいうことで一々に、ああだ、こうだと意見を変えては、普遍ではありません。
千里万里の遠くの目標を定める。

禅語なら、「南に向いて北斗を見る」の例えでしょう。
常に、北を位置する北斗七星、それを南を向いていても、その位置を心に抱くというような意味でしょうかね。
相対的な社会の中で、絶対観で物事を見ると、それは普遍的なものと言えます。

塔に顔があってもいいです。
法華の多寳佛塔には、多寳佛様のお顔もそこにはあります。
もちろん、妙華の多寳佛様としてのお釈迦様のお顔も、二つ存在します。

妙と法の不思議な関係です。
仏縁を頂けたことには、深い感謝の気持ちです。
日常生活を心静に過ごせるように努めます。

「空」という椀の中の、四角の豚肉、丸の玉子、半月の大根、三世のご縁で繋がってるように思えます。
これで晩酌するのは、普遍的な旨味です。

いえいえ、私は「普遍」でなく、「少し変」かもしれません。
いえ、「だいぶ変」です。

これも個性です。
それじゃ、普遍の道を、おいおいと進みます。
いつか、長安にたどり着けるを夢見て、今日も一歩一歩進みます。

今日も明日も、私も世の中も、心静に安穏であることを祈ります。

最後まで、よぉー煮えた美味しい角煮の話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。