''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

梅薫る三月の春より。

今日は、幾分か寒さも緩みましたが、雨が降ると肌寒く感じます。
季節の変わりですからね。
三月とは言え、まだまだ三寒四温で、行ったり来たりしています。

今日は、二十四節気の一つ「啓蟄」らしいですね。
虫もそろそろ穴から這い出て、春の用意をします。
手紙の挨拶 「拝啓」の啓ですね。

♪ 拝啓 この手紙読んでいるあなたは どこで何をしているのだろう

「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」シンガーソングライター、アンジェラ・アキの8作目のシングル(日本)ですね。
音楽のコンクールのテーマ曲にもなっていたとも聞きます。

なかなかいい歌ですね。
自分自身宛てた手紙です。
未来のあなたに対する方から、15歳の自分に宛てて、勇気付けます。
辛いことも嫌なことも多いです。
生きるということは、そうしたものかもしれません。

負けような時、泣きそうな時もあります。
でも最後には、この手紙を読んでいる自分が、幸せになっていることを願うという最後が、ぐっと来ますね。

啓蟄に虫にとっても、住処を離れ、成虫となって羽ばたきます。
そういう意味では、この手紙ともリンクしますよね。

人間の世界では、この三月は、卒業式のシーズンです。
京都は大学が多いので、女の子の卒業式の装いは華やかです。
着物の方、袴の方、「はいからさんが通る」みたいに、着物とブーツの取り合わせもあります。

「少尉」の声が懐かしいです。
そういえば、先日結婚された南野陽子さんが、1987年東映の映画で主演をされていましたね。
南野陽子さんと言えば、私たち世代のアイドルですね。
インタビューで、「スケ番(晩)婚」と上手いこと言いましたね。

それも独身からの卒業ですかね。
春は、待ち遠しいです。
しかし、春は至るところで来ています。
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真言宗智山派・総本山智積院のお庭の梅です。
まだまだ3分咲きほどですが、綺麗に咲いているものもあります。

「花をのみ 待つらむ人に山里の 雪間の草の春を見せばや」
家隆卿の和歌です。

常に心に、この和歌を留めています。
春は、人生の春とは、富や名声、社会の地位だと置き換えると、日々の暮らしの中での喜びは、雪間の春ですね。
雑草の新芽か花かも知れません。

そればかりを追い求めても、なかなか幸せにはなれません。
「道は近くにあり」です。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすを、何よりも幸福と感じます。

あればあれで、富も名声も社会的な地位も欲しいです。
でも、それを春と思う気持ちはありません。

利休居士が求めた「侘び寂び」も、心の安穏にあったような気がします。
無心に茶点てる。
主客の交わり、世俗を廃し、茶室の外に置いて来て、心と心での主客の交わりですね。

その狭い空間にも、花は必要です。
自然の摂理が、そこにはあります。
花は、自然の象徴です。

茶室は、無限の空間の象徴ではないかと感じます。
千畳でも万畳でも同じこと、一切の無駄の排除した空間が茶室だっのかもしれません。
昨日も明日も、今日も、時間時空さえ、超越した中に、心の平穏があるのかもしれません。
詫びも寂びも、自然の中にあります。

それを美と思うか、思わないかですね。
美の発見者、それも精神的な中から沸き出、美の発見者かもしれませんね。

花を見て、月を見て、今ある自分を振り返る。
時間も時空も越えたところにある世界です。
心の平穏こそが、幸福だと感じています。

仏に通じる縁で、それらを再確認させてもらいます。
ありがたいことです。
静かに手を合わせます。

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、春の話、秋の話、東の話、そして南の話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。