''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

豊臣神社、千生り瓢箪から見える世界より。

まだまだ肌寒いですよね。
午前中、首肩の治療のために、病院のマッサージを受けてきました。
寒いと痛みます。
幾分かは楽になっています。

先日の日曜に、京都七条あたりを散策しました。
この当りと言えば、豊臣神社は参拝します。
神社の横に、大きな千生り瓢箪(ひょうたん)です。
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千生り瓢箪(ひょうたん)と言えば、秀吉公の馬印です。
一説には、馬印でなく、船印というように書かれているものもあります。
とは言え、豊臣神社にも奉られているので、やはり千生り瓢箪と言えば、秀吉公の代名詞とも言えます。

秀吉公らしい派手ないでたちの馬印です。
何事も目立つことがお好きなようですね。
茶の湯も派手ですからね。

馬印は、武将存在を記すシンボルです。
旗物は、旗印として区別しているようです。

誰もが使えるわけでなく、侍大将ぐらいの武将です。
平時に会っては、足軽大将ともいいます。
多くの足軽を、陣太鼓の音に乗せて、規律よく、前後左右に意のままに動かす必要があります。

馬印は、危険です。
敵に御大将がここにいることが一目瞭然です。
大将の首を取ると、それで戦は終了でからね。

家康公も、真田幸村に危く首取られそうになり、ここで腹を切って、相手に首を取られるなと覚悟を決めた大阪夏の陣は、有名です。

もしや、幾度と家康暗殺の噂は付きまといます。
その度に影武者の存在が、取り出されます。
晩年は、駿府と江戸の二重政治が行われます。
この辺も、大御所家康と将軍秀忠の確執を取り立たされた所以でもありましょう。

隆慶一郎著の時代小説『影武者徳川家康』では、世良田二郎三郎が影武者として登場します。
でも、晩年の家康が、影武者であるという話は面白いですが、現実的には無理があるように思えます。

同じく隆慶一郎著の『吉原御免状』(新潮文庫)の中でも 、家康の影武者・世良田次郎三郎元信が登場します。
吉原の特別な免状と、忍者の話は後を絶ちません。

柳生であったり、風間であったりと、闇の世界に近いです。
それ以上に、傀儡子(くぐつし)という日本古来の山岳民族の存在、隆慶一郎のテーマの一つですね。

歴史の教科書に載らない歴史も存在します。
見える世界と見えない世界です。
真実のほどは分かりません。
しかし、吉原御免状には、特別な政治的な判断があったことには、間違いありません。

吉原というと、そういう特別なイメージが付きますが、それ以上に、マネーロンダリング、同様に、人のロンダリングがあったわけです。

傀儡子の娘に戸籍はありません。
しかし、もし戸籍がなくても、吉原では存在が肯定されます。
生まれも育ちも、全く問われずに生きていけるわけですね。

郭言葉の「ありんす」も、創造された新しい言葉です。
なまりも、これで消えることが出来ます。
花魁(おいらん)には、踊りや音楽の才、それ以上に文才も必要です。

教養が必要とされた訳です。
お大尽や身分の高い人とも逢うわけですからね。
話が合わないと、興ざめです。
そういう意味では、読み書きそろばんも、会得できる機会があったということになります。

まさしく、人のロンダリングとしても、チャンスがあったと言えます。
吉原は、もともと葦の原です。
葦は、あし、悪しきのあしに通じます。
これを転じて、悪しを良しに、言葉を転じます。

スルメもアタリメです。
すすり箱もあたり箱ですね。
するとは、すってしまう、一文なしになる悪いイメージです。

それを、ゲンが悪いと言い変えます。
この辺は、日本人の感性でしょうね。

この世にあって、人は悪いことをせずに、善い事をする。
仏の世界の根本です。
この世にあっては、悪い縁を断ち切り、良い縁を結ぶというのが、現世の修行だと感じています。

過去世の縁が、現世につながり、来世に繋がっています。
「空」という中に、三世の縁が繋がっています。

悪いことを、いい方向に繋げる。
これは、すべてに渡って言える事ですね。
ありがたい仏縁におすがりします。
ありがたいと手を合わせます。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、千生りみたいに話が、幾(善く)通りにも派生したお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。