''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

京都・黒谷阿弥陀さまのご縁より。

東北の地震の被害が、日々大きな数値になりつつあります。
犠牲者の数も、まだまだ大きな数になっています。
原発の被害も、日毎・時間毎に大きな被害になっています。

それにも関わらず、情報が広く公開されずにいることが、不信感を増幅させていますね。
東京電力の記者会見でも、それが露呈していると言えます。
すべてが他人事の感じを受けるのは、私だけでしょうかね。

そんなことを嘆いても仕方ないです。
少しでも、そんなくらい話でなく、日々の暮らしを書き記します。

先週梅見の記事の続きです。
岡崎神社を後にして、西に少し行ったところに、北側に細い坂道があります。
この坂道を登ります。
すると、そこは黒谷です。

黒谷というと、京都では金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)を差します。
京都駅から、タクシーで、「金戒光明寺に行って」と言っても、「はぁー」と聞かれることもあります。
黒谷へ行ってと言えば、金戒光明寺に向かいます。

去年は、大河ドラマ龍馬伝』でも、ここは舞台になります。
龍馬暗殺も、大きく関わります。
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黒谷・金戒光明寺と言うと、浄土宗の大本山です。
知恩院と並ぶ大本山の一つです。

承安5年法然上人が比叡山の「黒谷」を下り、草庵を結ばれたのが、浄土宗最初の寺院のはじまりです。
ここがその記念すべき場所になります。
ですから、黒谷と言うのですね。

正式な言い方なら、新黒谷というべきでしょうね。
でも、そうは言わず、こちらも黒谷です。
ダブル黒谷です。

ダブル浅野みたいですね。
浅野ゆう子さんと言うと、最初の月9のトレンディードラマ『君の瞳をタイホする!』が懐かしいです。
このドラマから月9も1988年に始まります。

そう言えばキムタクの奥さん工藤静香さんも、出演されていましたね。
まだ昭和の時代ですね。
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話は戻って、奥の建物が、御影堂(大殿)です。
手前の立派な松が、熊谷直実鎧掛けの松です。

あの平敦盛を討ち取った、熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)(1141~1208)は、建久4年(1193)に、この黒谷の法然上人を尋ね、方丈裏の池(鎧池)にて鎧を洗い、この松に鎧を掛けて出家した言われています。

今の松に二代目のようです。
それでも、大変立派な松です。
平成15年、京都市指定保存樹に指定されています。
平敦盛と言えば、幸若舞の『敦盛』、信長公の「♪ 人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」で有名な敦盛です。

須磨の浦における「一ノ谷の戦い」で敗れて首を取られます。
武門の習いとは言え、自分の子供程の、若者の命を取ったのです。
武士を捨て、この世の憂いを感じ、法然上人の元で出家します。

御影堂(大殿)
内陣正面には、宗祖法然上人75歳の御影を奉安しています。
火災による焼失後、昭和19年に再建された京都にあっては新しい建物です。

今奥に三重の塔の中に安置されていた獅子に騎乗する文殊菩薩が、御影堂に安置されています。
金戒光明寺文殊菩薩と脇侍の尊像は、運慶作と伝えられています。
台座の獅子は、江戸時代のものようです。
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お隣の阿弥陀堂の前に、梅が咲いています。
この金戒光明寺は、会津藩松平容保公が、京都守護職に任命されるに折の本陣・宿舎となっていた場所でもあります。
家来と共1000人を引き連れて、この役に当ります。

この寺は、城構えの寺としての機能もあります。
高台にあるので、天気のいい日には、大阪のツインタワーが見えるようです。
軍事上でも、要衝の地にあったと言えます。

容保公も再三に亘って辞退され、二人の家老からは、辞退を勧められたにも関わらず、最後には、藩祖の保科正之公の「家訓」に、泣き泣きこのお役に就いた経緯があります。
文久三年、近藤・芹沢等は黒谷の阿弥陀堂で、京都守護職松平容保公に拝謁が、かなったました。

部屋にも入らず、廊下での拝謁でしょうけどね。
京都守護職が一介の浪人グループの頭と会うわけですからね。
大河ドラマ龍馬伝』でも、気さくな松平容保公に演じられていましたね。

大河ドラマと言えば、この寺に「江」の墓もあります。
春日局の墓も、目の前にあります。
確か仲が、悪いはずではと思います。

春日局は、明智光秀重臣・斉藤利光の子供です。
江は、言わずと、知れた信長公の姪です。
伯父の仇と憎んでいたようですからね。

それに、江の目を結んで、妾に生ませたのが、会津の藩祖・保科正之公ですからね。
年上の妻・江は、妾を許しませんでしたからね。
知れば、会津の藩祖・保科正之公も命も、会津藩も存在していないと言うことになるでしょうね。

秀忠が死ぬ間際に、家光に遺言した内容に異母弟・保科正之公のことも託した訳です。
何とも複雑な思いのする寺院です。

不思議な縁が、どんな縁かは、知らないけれど、あみだくじみたいに、どこに行くのか分からないでも、繋がっています。
ありがたい仏さまのご縁です。
ありがたいと手を合わせます。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすを幸せと心得ています。
東北にも、一日も早く、そんな平穏な暮らしに戻れるように祈ります。

最後まで、黒白の話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。