''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

春告げる野の筆便りより。

幾分か春めいてきましたね。
でも、桜もまだまだつぼみです。
今日辺りぐっと暖かくなると、それにつられてつぼみも開花することを祈ります。
春の来ない冬はないと言います。

東北辺りでも、必ず春は来ると、忍ばれる時からしれません。
被災された方には、本当の意味での春が来られることを祈るばかりです。

まずは、日々の暮らしです。
家族だけでの生活が出来れば、少しは気も落ち着きますからね。
仮設であっても、そこから生活が始まります。
阪神淡路の地震の時も、多くの仮設住宅から、復旧の始まりはありました。

春を見つけるのは、自分自身です。
「花をのみ待つらむ人に山里の 雪間の草のはるを見せばや」
家隆卿の和歌です。

いつもこの和歌を心に置いています。
最後の見せばやがいいですよね。
いい意味で、「どや顔」的な感じがするのは、私だけでしょうかね。

それでも、金銭や名誉や地位だけが、花ではないように思えます。
貧家に咲いた雑草の花にも、春はありますからね。
こんな貧家にも、自分の分に応じた春が来ますし、それを見つけられることは、この上ない喜びです。

そんなこんなで、春の便りを見つけました。
それを、ベロメーター(舌で味わう計り)で、春を味わいます。
土に書かれた便りを、舌で味わうとは、何だか禅語みたいです。

土筆(つくし)は、春の便りです。
それ目でなく、舌味わうというのがいいです。
私の好物です。

少し旬を逃した感があります。
もう少し前に取りたかったですが、仕事途中では採取できなかったです。
袋に少し入るぐらい、どんぶりの器にぐらい採りました。

遅く帰宅から、土筆の袴を脱がせて、15分くらいかかりましたね。
こんな少しでも手間がかがります。

子供の頃、大きな袋いっぱいに、土手に行って土筆を採りましたね。
それを家に帰って、母と一緒に袴を取るわけです。
二人しても、小1時間は充分にかかります。
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後は油炒めです。
これが、私の大好物です。
上品におひたしもいいですが、やはりこの時期の土筆の苦さは、油で炒めると楽しめます。
炒めたら、醤油を少し差します。

素朴な味わいです。
この日も、少量でしたが、春の便りを感じることが出来ました。
「うまいです」

こんなものが美味いのですから、口の肥えた美食家や裕福な家庭の方には判らないと思いますね。
これが、私の雪間の草、まさしく美味しい春です。
ベロメーターも振り切ります。(59オーバーです。ラジャー)

イチラーですから、一味もフリフリしています。
これまた大人の味わいです。
土筆のほろ苦さが、春を告げます。

しっかりと春のお告げを感じました。
お告げと言えば、神さまや仏様からのお告げもあります。
だいぶ前に、こんなことがありました。

少し入り用で、宝くじ(ナンバーズ)を買おうと、寝る前に念じたことがあります。
ナンバー4でのお告げです。
あるんですよね。

こんなこと、早速次の日に買いに行きました。
教えてくださった数字を、4つ書いて、売れ場に出そうと思った瞬間、ちらっと昨日の結果が目に入りました。
あれー、昨日の当選した数字でしたね。

こんなこともあります。
もっと働けというお諭しでしょうかね。
それとも、何とかなるという意味でしょうかね。

未だに不明ですが、それ以来、前日就寝前の神仏頼りの宝くじはやってないです。
それでも、その場で宝くじ買う時だけは、はやり祈ってしまうのは、凡夫の悲しさです。

予知夢の神通力は、未だに頂いておりません。
でも、東北大震災にあっては、宝くじを発行してもらいたいですね。
1等は、100万円でもいい、その代り多くの方に当るものにしてもらいたいです。

収益はすべて、大震災の義援金にして、当選者も10パーセントは、義援金として差し引かれた形で、配当するのはどうでしょうね。

一口でも買いますよ。
一度だけでなく、定期的に何度も何度も、大震災用の宝くじを発行してはどうでしょうね。
復興支援の気持ちが、長く続きますように祈りを込めてね。

私はありがたい仏縁を頂いていることに感謝しています。
家隆卿の和歌ではないけれど、幸せは自分で、自分の分に応じた幸せを探せることが、幸せです。
日常の「よかった」を探します。

宝くじではないけれど、1億円は当らないですけど、300円当ればラッキーです。
秋の宝くじも、300円当りました。
これが私の分に応じた当りです。
そう自分に納得できることも、またありがたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、春の頼りない話にお付き合い下さいまして、心よりありがとさんです。