''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

生パスタの意外な美味しい麺へ道々より。

今日から新しい年度が始まります。
春とともに、新しい年度でいろいろと変わります。
人事異動やら、システムが変わることも多いです。

それに付けても、いろいろとした雑事が多いもの事実です。
昨日今日とで、桜も開花ですね。
明日には、疎水の桜も、3分桜になるでしょうね。
春の到来は、何となくワクワクするのも事実です。

先日の生パスタの残りを、和食でアレンジしてみました。
使ったのは、フェットチーネタイプの平麺パスタです。
うどんのような、きしめんのような、和のイメージにも合います。
イメージ 1

ならと、きしめん風にアレンジです。
ワカメとネギを入れれば、どう見ても和の麺ですね。
もちろん、イチラーですから、一味もフリフリです。

きしめんと言えば、その語源もユニークです。
尾張藩の武士が考案した「きじ麺」から出たという説があります。
きじは、あのケンケンと鳴く雉(きじ)です。
桃太郎さんの鬼退治のお供した由緒ある日本の国鳥です。

日本の国鳥と言うと、鶴とか朱鷺(とき)をイメージしますが、雉なんですね。
意外な感じもします。(意外ね。意外ねって、言っていた金造さんを思い出します)
「キジも鳴かずば射たれまい」とか、雉の「ケーン」とかの鳴き声から「けんもほろろ」とか、ことわざにもよく使われています。
日本の日常的な生活のよくいた鳥なんですよね。

私は播州の田舎者です。
しかし、お金持ちのお家に行くと、必ず雉の剥製(はくせい)やウミガメの剥製(はくせい)が置いてありました。
そんなイメージですね。

先ほども書きましたが、きしめんは、尾張の武士がその雉肉を使った物を藩主に献上したことに由来するという説があるんです。
そんな雉を食べるなんて、今は確か禁鳥です。

食べれないということになってるはずです。
私も、雉鍋を食べたことがあります。
法律を冒してでなく、旅館で食べたことがあります。
国産の雉肉では、なかったので合法です。

これがなかなか美味いです。
もっと野趣ある鴨のような味かとイメージします。
しかし、あっさりとしてなかなか美味いです。
鶏肉みたいに脂もそれほどありません。
一度食べた味が忘れられません。

あの雉肉なら、麺とも合いそうです。
いえいえ、あくまでも説です。

もともとは、丸い形です。
棋士(きし)、つまり碁石の形であったところから、きしめんという語原というこのようです。
それがいつの間にやら、丸が長細い平たい麺になったのかは、不明です。
本山荻舟の解説にも記されているようです。

でも、パスタも円いものもあります。
シルクロードを東に越えて、パスタは餃子に形を変えています。
猫の耳のような麺もありますからね。

シルクロードを西に越えると、イタリアあたりのパスタです。
もともと、中近東の小麦の料理と肉の料理から、世界に広がっんでしょうね。

きしめんのもう一つの語原が、紀州生まれの人が作った「きしゅうめん」という語原です。
たぶん、こちらの方が正しいとも思えます。
どちらにしても、徳川御三家に関わる藩からきしめんの語原があるようです。
由緒あるような麺ですね。

地方地方に麺があります。
地域に根ざした麺が一番です。

播州なら、私はそうめんでなく、にゅー麺ですね。
温かい出汁の入ったそうめんです。
関西では、よく食べられます。

仏法世界も、人によって、行く道の方向は違えども、たどり着く場所は、長安です。
いずれも長安に向かっています。

「分け登るふもとの道は多けれど 同じ高嶺の月をこそ見れ」 by 一休禅師
(真理の山に向かう道は違うけれど、同じ月を我らは見ている)

達観した禅の立場から、すばらしい歌ですね。
私は、家の前に道を歩いていけば、きっと長安に通じていると感じます。
休み休みでも、一歩一歩進めます。

パスタも、西へ行けばローマに、東に行けば長安に向かったわけですね。
パスタは本当のローマや長安に向かいましたが、私、場所の長安ではありません。
仏法世界の長安です。

道は近きにありです。
日常の中にこそ、仏法真理の悟りもあるように思えます。
悟りというより、心静かに安穏に暮らすを旨としています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らせるよう、花を見て、月を見て、旬を食らう。
人の本来の心の平安を求めて、自分の分に合う幸せを見つけたいです。

ありがたい仏縁を頂いていることに感謝です。
ありがとさんと手をあわせます。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、平べったい話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。