''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

お昼に、金婚式の祝いで乾杯より。美々卯編

イメージ 9

今日のお昼は、温かかったですね。
絶好の行楽日和でした。

それに比べて、昨日は少し肌寒い一日でした。
温暖の差に体が付いて行きません。

昨日は、京都で家族会でしたね。
前回は、淡路島へ一泊旅行に、家族会で行きました。
我が家最初の家族旅行でした。

いろいろなことがありましたが、両親が元気な内に、一度は家族旅行がしてみたいと私も思っていました。
しかし、旅行となればなかなか大変です。
母からの提案でしたね。

その淡路島で、京都に行きたいとの提案でした。
伏見の疎水の桜が綺麗と、私が言ったのが、その発端でした。
それ以上に、今月中旬、両親の金婚式だと言うことを聞きました。
私もそろそろだと、自覚はしていましたが、そう聞くと「じゃ」と京都の貧家に宿泊という運びとなりました。

金婚式ですから、50年ですね。
よくも元気で居てくれたものだと、感謝しています。
口喧嘩は、いつものことです。
「まぁまぁまぁ」と中に入りますが、それでも50年共に暮らして来たかと思うと、すごいと感じます。

一言に50年と言えば、半世紀ですからね。
なかなか金婚式も、どちらかが欠けることがありますと、成立しません。
そういう意味では、子供としては、ありがたい事だと感謝しています。
ありがたいことです。

両親を迎えに、京都駅に行きました。
母は、初めての京都駅です。
新しい京都駅になったことすら、ニュースでしか知りません。
お得意の空中散歩に連れ出しました。
まずまずは、機嫌よく始まりました。

少し早いでしたが、11時過ぎに祝いの食事をとりました。
場所は、京都伊勢丹の「美々卯」です。
京都には、祗園にも支店があります。

「うどんすき」と言えば、「美々卯」の主人・薩摩平太郎が1928年頃に考案したものとあります。
そして、この「うどんすき」という呼称は、もともと「美々卯」の登録商標でした。
最近訴訟になったようですが、やはり一般的な名称になりつつあります。
(「Wikipedia」参照)

昼から「うどんすき」と行きませんね。
京都伊勢丹の「美々卯」では、お昼には目立ちすぎます。
そんなということで、松花堂弁当(2800円)にしました。

松花堂弁当と言うと、中に十字形の仕切りがあり、かぶせ蓋のある弁当箱を用いた弁当のことですよね。
仕切りの中には、それぞれに刺身、焼き物、煮物、飯などを見栄え良く配置されていることが、一般的です。

「松花堂」の名前の由来は、江戸時代初期、京都の石清水八幡宮の社僧であった松花堂昭乗(1584年- 1639年)に因みます。
昭乗は、農家が種入れとして使っていた器をヒントにこの形の器を作り、絵具箱や煙草盆として使用していたと(Wikipedia)に記されています。
書家として有名で近衛信尹本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」と称せられています。

私が聞いたのは、松花堂昭乗が、墨や硯を入れる愛用した文箱の形から、この名前に由来すると言うのです。
どちらにしても、このタイプの食事が、茶席の懐石料理として出されたことに由来しています。

茶人好み名前を、茶室や茶席に使うことも多く、その中には料理も「利休」と称する料理が多いのも事実です。
利休居士が考えたのでなく、茶人好みである名前からの命名ですね。

北村幽庵なんかも、この手です。
北村幽庵とは、近江堅田の生まれで、千宗旦四天王の1人・藤村庸軒に茶を習い、後に一派を成した茶人です。
通称、「堅田の幽庵」ですね。
焼もの(焼き魚の料理)の、「幽庵焼」の名前で知られています。

香りに置いては、大層鼻が利いたようですね。
茶人たるもの、水の香りや味にこだわることも、並みの凡人とは違います。
この事は過去の記事にも書きました。

その入れ物が松花堂弁当として発展したのには、昭和の初期、かの名料亭であったあの「吉兆」の創始者である湯木貞一氏が、この器を使って、茶懐石の弁当を作ることに貢献されたことは事実です。

吉兆なくして、松花堂弁当が今のように、上等な扱いになったことは、紛れもない事実です。
それが、その実の娘(女将)によって、大輪の「花」が散ろうとは、思っても見なかったことでしょうね。

話は戻って、金婚式です。
そうでしたね。
形だけのビールで乾杯して、料理の方は、まず食前酒「梅酒」から始まります。
あっさりとした梅酒です。
食欲があがります。

伊勢丹の「美々卯」の松花堂弁当は、凄いですね。
八寸盛は力が入っています。
イメージ 1

旬の食材やら、手の込んだ料理が、籠の中にこれでもかと、盛られています。
味が濁らない様に、その細やかな気配りは凄いですね。
意外と、手の抜かれるのが、八寸盛です。

もちろん、懐石ではありませんが、松花堂の一つの升に、凝縮した料理の宇宙があります。
それほど、力が入っています。
手抜きはないですね。

イメージ 2

次は、先付けのゴマ豆腐ですね。
春の菜の花が、天に盛られています。

ゴマ豆腐、一見簡単そうですが、舌触りも滑らかです。
味も濃いですね。
いい仕事がされています。
イメージ 3

次の升は、焼き物の鴨ロースです。
サラダ風に洋風に盛られています。
細かい仕事が、口を喜ばせます。
両親も、うまいうまいと、ご満悦です。
イメージ 4

最後の升は、炊合せです。
この時期ですから、温かい若竹煮です。
桜の形の生麩もあしらわれています。

一寸豆も皮が上手に剥かれています。
一寸豆も、形も崩れないで盛られているのは、腕の見せ所です。
湯がく、味を染込ませるという和の持ち味が、この一品に凝縮されいます。
イメージ 5

四つの升は終わりですが、続いて造りです。
鯛の松皮造りの上品なこと、上品なことです。
独特の臭みも、全くありません。
どして、どして、腕を見せますね。
イメージ 6

続いて、揚げ物の天婦羅です。
しいて言えば、天婦羅は、普通です。
いえ、厳しく言えば、揚げ方が、もう一つです。

カラッと揚がっていません。
カラッとした天婦羅なら、完璧でしたが、他が上出来な分、馬脚が出た感が強くありましたね。

難しい鱚と海老が、冷凍物の為でしょうね。
鱚の解凍の方法が、よくなかったみたいです。
開店間近で仕込みも忙しかったので、そこまで手が回っていなかったのでしょうね。

これだけ美味い料理が3000円以下なら、仕方がないことです。
しかし、揚げの腕で、それをカラッとさせて欲しかったです。
ここだけが残念でしたね。

後は、じゃこ焚いたものと香の物、ご飯が続いて出ました。
もちろん、美味いです。
イメージ 7

次に出たのは、ゆばそばでした。
これが、さすが「美々卯」です。
父はうどん、私と母はそばをチョイスです。

特に、ゆばと麺の取り合わせが、美味かったですね。
いやはや、びっくりしました。
天婦羅の減点も、余りあるほどの出来です。
出汁も上品で、美味いかったですね。

両親も、大絶賛です。
次は、単品でも、ゆばうどん、ゆばそばでも食べたいと言っていました。
イメージ 8

泣かせるのは、最後のデザートです。
写真では分り難いですが、抹茶アイスとイチゴのムース、それに餡のかかった白玉です。

白玉、もしかして、こちらでお作りではと感じましたね。
市販品の食感では、ありません。
なかなかやりますね。

市販品なら、私が土産に買い求めたいくらいです。
多分、こちらで作られていますね。
盛られた果実も丁寧な仕事です。

あっぱれです。
大満足の「美々卯」の松花堂弁当です。
これなら、日頃少し始末して、その恩恵で食べてみたくなる逸品ですね。
料理長の大差配が、感じます。

父も母も大満足です。
ご飯だけ少し残して、あとは綺麗に食べてしまいました。
記念すべき金婚式の祝いには、この店を選んでよかったです。

美々卯」に大感謝です。
両親に形ばかりの、祝いの席を持てたことも嬉しいです。
子が二人も居て、祝い無しなら、これほどの不幸はありませんからね。

帰りに、「美々卯」の弁当が美味しかったと、何度も何度も言っていました。
子としては、嬉しい限りです。
ありがとさんです。

ありがたい仏縁を頂けていることに、今一度感謝です。
ありがたいです。
ありがたいです。

次は、何婚式の祝いやら、分りませんが、たぶん母の古希と、その次の父の喜寿の祝いでしょうね。
京都なら、やはり「美々卯」で昼の祝いをしたいですね。

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、金銀銅の色にこだわった話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。