''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

りんごの自然酵母のパンで、朝ごパンより。

朝からいい天気でしたね。
ゴールデンウィーク如何お過ごしのことでしょう。
私は、平日ながら連休中です。

朝から首の痛みのため、マッサージに向かいました。
その前に、久しぶりの朝食を頂きました。
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スープとりんごの自然酵母のパン、それにポテトサラダと明太子のペンネの添え物付です。
ワンプレートに、ちょうど乗った感じです。

日曜日に差し入れを頂きました。
それを朝に頂いたような次第です。
仄かにりんごの香りです。
レンジで少し温めました。

その為、いつも以上にりんごの甘い香りがして、心地よい朝ごパンです。
いつもは、朝は食しません。
昼ごはんと、仕事場での休憩の合間のおにぎりが、空腹を満たしてくれます。
パンを食することが、日常では少なくなったように思うます。

甘い菓子パンに至っては、1年近く食していないような気分です。
何も入っていないプレーンか、ハムが入ったハムロールはお気に入りです。
口にはよく合います。

たまに昼餉に、サンドウィッチ食べたくなります。
もちろん、自家製のサンドです。
長いバケットパンの合間にハムやレタスやトマトなど、ぎっしり入ったバケットサンドも、美味いです。

バイトで、サンドウィッチも作っていたことがあります。
大量のサンドを並べて、工場的な作業になります。
ハム係りの人は、ハムを並べて行くわけです。
私はズボラですから、レタス係りです。

パン、ハム、パン、パン、レタス、パン、パン、チーズ、パンと、合間にパン・パンとパンが続くんですよね。
中にはイレギラーもあります。
パン、ハム、パン、チーズ、パン、何てね。
上から重ね作り、最後にカットして、ナイロンの三角のパッケージに入れるわけです。

大量に作ると、分んなくなります。
最後に三角の袋に入れる時になって、入らなくなる。
それ以上にカットする段階で、何かいつもと高さが違うとなります。

単純な作業だけに、頭が付くいて行かなくなる事も、多いです。
時に朝の早い作業であることが多かったですからね。
でも、家ならそんなルールは無用です。

トムとジェリーのアニメなんかでは、ハムやレタスの間にトムが入っていたり、トマトやソーセージの合間に、トムが入っていたりすることもありましたよね。
ハムやソーセージが入りれば、トムは要らないと思いますけどね。
アニメでから、そんなドタバタを子供の頃楽しんで見ていました。

でも、アメリカのサンドウッイチは、量が凄いです。
ハムと言ったら、本当にたっぷりのハムやベーコンがしっかり入っています。
でも、市販のハムサンドというと、一枚の薄いハムが入っているだけです。

最近では、何枚か折り曲げたハムサンドやレタスやトマトの入ったサンドは、食べ応えがあります。
ワインかビールを持っていけば、ピクニック気分です。
鴨川の川沿いにでも腰をかけて、天気のいい下で、ピクニック気分のゴールデンウィークも、楽しいでしょうね。

わざわざ込んでいる人ごみに行く必要もないです。
花見は終わっても、草つみもありますからね。
のどかに過ごす休日は、至福です。

東日本大震災の被災者の方には、申し訳ない気分です。
しかし、このゴールデンウィークに、原発事故の福島県に行かれている人も多いとニュースを見ると、ほっとします。

頑張れ!!東北です。
人としての機微でしょうかね。
人情もまだまだあるのだと感じました。

関西でも、もっと東北フェアーして欲しいですよね。
私の近くには、なかなかないですね。
「がんばれ!!日本」のロゴや、ポスターは目に付きます。

特別でなく、日常すら取り戻せていない人も大勢います。
一日も早い復興と、日常を取り戻してもらいたいと思います。
もう少し連休残っています。

あれもしたい、これもしたいと思いながら、その半分もできないままですが、一つ一つ前に進んでいます。
それも日々の戒めでもあります。
いつも出来ると思っていたら、出来ずに終わります。

「明日ありと 想うこころの仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」

親鸞上人の和歌ですね。
この和歌は、親鸞上人が、9歳の時、得度される前夜に詠まれた歌と聞きます。
親鸞上人は、貴族の出身ですが、幼くして両親を早くに失います。
その為、み仏の道に導かれることになったのでね。

この度の東日本大震災でも、多くの親をなくされた子供さんがおいでです。
その中でも、親鸞上人は、希望の星であることは言うまでもありません。

明日も桜があると思えば、明日見ればいいと思うが、人間の常です。
いざ見ようと思うと、前日嵐になって、見ることも出来なくなるやもしれません。
日常でも、明日ありと思う心のまま、無念の結果になることは、今回の地震津波で、強く感じました。

私も長年、放置していた問題を解決すべき、行動を起してきたところです。
結果は、どうなるのか分りません。
返り討ちに遭うやもしれませんね。

命のやり取りの話ではありません。(ご心配なように)
最悪、訴訟になりますね。
負ける気はしません。

過去、裁判には、100回近く出廷したことがあります。
勝率も90パーセント以上と高勝率です。
それでも、常に勝てると思うのは、傲慢で、慢心です。

勝つか、負けるかは、時の運です。
明日ありと、安易に思うといけません。
しかし、ずるずるとした気持ちに区切りをつけることになります。
少し、ほっとしています。

こんな裁判の沙汰の、プライバシーの保持の程度で、書ける範囲のことは記事で経緯を報告してみたいと思います。
出来れば、話し合い、和解を前提にトラブルはご免です。
裁判なら、東京見物になります。
有休残しておいて、少しゆっくりと見物と行きたいです。

道は近きにありです。
どんな道ですか?
石垣の外にある道です。[墻外底(しょうげてい)]
いえいえ、[恁麼(いんも)](その家の前)の道ではありません。
この道は、長安に続く道です。

突然に着いたり、近道はありません。
一歩一歩進むしかありません。
疲れれば、休みます。
また、元気になれば歩けばいいだけです。

日常にこそ、求める幸せもあるはずです。
それを無くして、初めて分るとは、愚かです。
歌の歌詞にあるように、「幸せは、歩いて来ない」です。
幸せは、自分の日常の中にこそ、自分の心の中にこそ、存在します。

心静かにありがとさんと、感謝できる気持ちのゆとりの中にあるように思えます。
きっと心の三毒も廃し、心穏やかに安穏に暮らせることが、一番幸せです。
どうか、被災者の方々も、一日も心の安穏を取り戻せますように、祈るばかりです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、サンドのような積み重ねの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。