ゴールデンウイーク、如何お過ごしの事でしょう。
世の中とは違いの仕事の予定です。
しかし、世の中の行事はあります。
世の中とは違いの仕事の予定です。
しかし、世の中の行事はあります。
私の住まいしています伏見の地に、藤森神社があります。
山城国では、一番古い学問の神様でもあります。
京都と言うと、それも学問の神様というと、菅家の道真公ですよね。
しかし、藤森神社は、舎人親王さまをその神様のお一人としてお祀りです。
山城国では、一番古い学問の神様でもあります。
京都と言うと、それも学問の神様というと、菅家の道真公ですよね。
しかし、藤森神社は、舎人親王さまをその神様のお一人としてお祀りです。
素盞鳴命(すさのおのみこと)
別雷命(わけいかずちのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
応神天皇(おうじんてんのう)
仁徳天皇(にんとくてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
武内宿禰(たけのうちのすくね)
舎人親王(とねりしんのう)
天武天皇(てんむてんのう)
早良親王(さわらしんのう)
伊豫親王(いよしんのう)
井上内親王(いがみないしんのう)
以上十二柱を神様としてお祀りです。(藤森神社ホームページより参照)
別雷命(わけいかずちのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
応神天皇(おうじんてんのう)
仁徳天皇(にんとくてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
武内宿禰(たけのうちのすくね)
舎人親王(とねりしんのう)
天武天皇(てんむてんのう)
早良親王(さわらしんのう)
伊豫親王(いよしんのう)
井上内親王(いがみないしんのう)
以上十二柱を神様としてお祀りです。(藤森神社ホームページより参照)
5月5日は、藤森祭です。
このゴールデンウイークは、まさにずっと儀式が続きます。
その中でも、今日は最大のイベントです。
このゴールデンウイークは、まさにずっと儀式が続きます。
その中でも、今日は最大のイベントです。
武者行列や駆馬神事があります。
今家の前近くの通りを、武者の姿をした甲冑姿の方が歩いておられます。
何十人という武者です。
今家の前近くの通りを、武者の姿をした甲冑姿の方が歩いておられます。
何十人という武者です。
去年は、同行カメラマンと見ていました。
稲荷神社との因縁の行事を、間近で見ました。
なんとも荘厳な儀式でしようね。
稲荷神社との因縁の行事を、間近で見ました。
なんとも荘厳な儀式でしようね。
二つの神社関係者が掴み合いの事を起さないように、仲介には、京都市長と京都市議会議長の臨席の元、行事が進んでいきます。(ご心配なく、形式的な儀式です)
もちろん、今では争いごとになることはありません。
しかし、もともと稲荷山は、藤森神社の境内でしたからね。
もちろん、今では争いごとになることはありません。
しかし、もともと稲荷山は、藤森神社の境内でしたからね。
ここにも空海こと弘法大師も、稲荷と東寺の中でトラブルとなり、和解することもありました。
歴史的人物の宝庫です。
もちろん、幕末には、この神社さんに新撰組の近藤勇も参詣しています。
腰が悪かったようです。
歴史的人物の宝庫です。
もちろん、幕末には、この神社さんに新撰組の近藤勇も参詣しています。
腰が悪かったようです。
映画の世界なら、その前を鞍馬天狗が走ります。
嵐寛(嵐寛寿郎)って言うたら、そら古すぎます。
市川雷蔵ぐらいにして置きましょう。
(それでも古いです。眠狂四郎円月殺法なら、私の生まれる前の話です。花のある役者さんでした)
時代劇は、まさしく勧善懲悪の勝負の世界です。
嵐寛(嵐寛寿郎)って言うたら、そら古すぎます。
市川雷蔵ぐらいにして置きましょう。
(それでも古いです。眠狂四郎円月殺法なら、私の生まれる前の話です。花のある役者さんでした)
時代劇は、まさしく勧善懲悪の勝負の世界です。
植物の菖蒲から、勝ち負けの勝負に、言葉が変じます。
その上、今日は境内を駆馬が走ります。
狭い境内に、馬が失踪します。
時に人の多さから、馬が興奮し過ぎて、観客の中に飛び込むこともあります。
その上、今日は境内を駆馬が走ります。
狭い境内に、馬が失踪します。
時に人の多さから、馬が興奮し過ぎて、観客の中に飛び込むこともあります。
人が馬に乗り、その上で曲芸的な芸も神様に奉納します。
時に、駆ける馬の上で、一筆書きの書を奉納します。
ここは見所です。
時に、駆ける馬の上で、一筆書きの書を奉納します。
ここは見所です。
何度も見ましたが、だいたい書く字は「馬」が多いですね。
一筆で、崩した字です。
大変見応えのある奉納儀式です。
一筆で、崩した字です。
大変見応えのある奉納儀式です。
駆ける馬と勝負と言えば、競馬ですね。
競馬関係の関係者の参詣を多いと聞きます。
ニュースでもやっていますよね。

その庶民のお祭りと言えば、やはり決まって「鯖寿司」です。
いつものお気に入りの、蛤の皿に盛り付けます。
収まりのいい中皿です。
競馬関係の関係者の参詣を多いと聞きます。
ニュースでもやっていますよね。

その庶民のお祭りと言えば、やはり決まって「鯖寿司」です。
いつものお気に入りの、蛤の皿に盛り付けます。
収まりのいい中皿です。
いつもなら、三つ盛っては、三世の世界の話になります。
しかし、三切れは、身を切ると嫌う人もいます。
料理の世界では、三は悪い数字ではありません。
三種盛り、五種盛りとよく使う言葉です。
しかし、三切れは、身を切ると嫌う人もいます。
料理の世界では、三は悪い数字ではありません。
三種盛り、五種盛りとよく使う言葉です。
人は輪廻します。
仏教では、「空」という輪廻の中に人はいます。
過去世、現世、来世と、その輪廻の中から脱出出来ないです。
この脱出は、解脱(げだつ)と言うことになります。
仏教では、「空」という輪廻の中に人はいます。
過去世、現世、来世と、その輪廻の中から脱出出来ないです。
この脱出は、解脱(げだつ)と言うことになります。
現世は、悪い縁を断ち切り、いい縁を結びつけることです。
その中で、人は魂として修行し続けます。
ほとんどの方が、前世の記憶もありません。
お釈迦さまは、幾多前世の記憶を語られています。
その中で、人は魂として修行し続けます。
ほとんどの方が、前世の記憶もありません。
お釈迦さまは、幾多前世の記憶を語られています。
その中で、前世にすでに悟りを得られていたのです。
経典の中でも書かれている有名な下りですよね。
ですから、私は、お釈迦様を「南無久遠實成大恩教主釋迦牟尼世尊」として、第一に位置づけます。
ここに、私の仏縁を頂戴しています。
経典の中でも書かれている有名な下りですよね。
ですから、私は、お釈迦様を「南無久遠實成大恩教主釋迦牟尼世尊」として、第一に位置づけます。
ここに、私の仏縁を頂戴しています。
侵すことの出来ない神聖な領域です。
ここからが、神さまの領域を示すように、白縄が張られています。
魔が近づかないように、真っ赤な朱色で、魔を威喝しています。
人もそれらの領域を侵してはなりません。
ここからが、神さまの領域を示すように、白縄が張られています。
魔が近づかないように、真っ赤な朱色で、魔を威喝しています。
人もそれらの領域を侵してはなりません。
見えないけれど、そこには何か存在しています。
現代人は、特にそれを感じる能力が薄くなっています。
昼も夜も、変わることのない暮らしです。
現代人は、特にそれを感じる能力が薄くなっています。
昼も夜も、変わることのない暮らしです。
深夜の山の中、灯りのない真っ暗な中で、暮らしていると、何かを感じることが強くなるはずです。
そんな暮らしをすることは不可能です。
そんな暮らしをすることは不可能です。
それは時に、神様でもあり、仏様でもあります。
迷信ではなく、存在するのが事実です。
見えないと存在しないのは、別物です。
貴方に見えないだけです。
迷信ではなく、存在するのが事実です。
見えないと存在しないのは、別物です。
貴方に見えないだけです。
目の前に見えないばい菌や細菌、ニュースにもなっているO-111は、目には見えません。
その存在を肯定しながら、もっと大切な神仏を信じないのは、不思議です。
何かの力で生かされていると感じることが必要です。
その存在を肯定しながら、もっと大切な神仏を信じないのは、不思議です。
何かの力で生かされていると感じることが必要です。
上を見ても下を見ても、キリはないです。
今ある自分の生活をしっかり見つけて、それを楽しむことです。
つまり、日常です。
今ある自分の生活をしっかり見つけて、それを楽しむことです。
つまり、日常です。
特別な幸せは、続きません。
特別でなく、日常こそ、平穏な幸せが存在しています。
その平穏な幸せも、見えない神仏のご加護により、暮らさせて頂いています。
それを感じることこそ、幸せを感じる方法だと思います。
特別でなく、日常こそ、平穏な幸せが存在しています。
その平穏な幸せも、見えない神仏のご加護により、暮らさせて頂いています。
それを感じることこそ、幸せを感じる方法だと思います。
道は近きにありです。
幸せは、遠くからやって来るのでなく、自分の心に見つけることが、穏やかな暮らしに繋がると信じています。
ありがたい仏縁を頂けていることに感謝です。
幸せは、遠くからやって来るのでなく、自分の心に見つけることが、穏やかな暮らしに繋がると信じています。
ありがたい仏縁を頂けていることに感謝です。
今日は、神さまにとっても、仏さまにとっても、特別な日かもしれません。
ありがとさんと感謝します。
ありがとさんと感謝します。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、お祈ります。
最後まで、尻切れ(四切)の話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。