''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

賄いランチ 昭和のナポリタンより。

今日もいい天気でしたね。
昼前に大阪に行っていました。
この記事は後日にします。

先日、土曜日のランチと言えば、あり合わせです。
冷蔵庫を見たら、生麺のパスタが残っています。
ピーマンあり、ベーコンありです。

これなら、昭和のナポリタンでしょう。
イタリアンともいいますよね。
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パスタなんて言う物じゃなく、スパゲッティーです。
レストランでなく、喫茶店の味です。
熱くなった鉄板に盛り付けられていたあの昭和の感じですね。

私には懐かしい憧れの食べ物でした。
それ程頻繁に喫茶店には、連れて行ってもらわない時代ですからね。
時々、父のお供で、出かけた時に、喫茶店で頂く昼ごはんの思い出です。

フォークも三角折した紙ナプキンで、クルクルと巻かれています。
タバスコと粉チーズが一緒に付いて来ます。
当時、粉チーズは少し苦手でたので、少しタバスコ振るくらいです。
味が薄い時は、ほんの少しウースターソースもかけていましたね。

あの懐かしい味を再現です。
パスタは、生パスタですので、ソフト麺的なうどんぽっい味わいはありません。
しっかりとした歯ごたえのある生麺の美味さです。
たまに生麺のパスタも美味いです。

ベーコンに、たっぷりのピーマン、少し大人の味かもしれません。
当時はピーマンとオニオンの炒めと物と、ロースハムだったですね。
それもいい方です。

安いところや家なら、赤い淵のハムでしたよね。
それでもご馳走でしたね。
グリーンピースも入っていたりしました。

子供の頃には、トマト味より、トマトケチャップの甘みが、麺ととりなす味わいが、洒落た味に感じていました。
飲み物は、レモンスカッシューと言うのが私の定番でしたね。
当時、二つで800円は越えていたように思えます。
今とは、倍ほども違いません。

物価がスパイラルなデフレによるものか、それとも社会の物価指数が違うのか、社会のシステムによるものか、不明ですが、35年ほど前の記憶としては、曖昧でしょうね。
当時は、コーヒーは一杯250円~300円でした。

これを考えると、喫茶店の経営は大変な時代になったと言えます。
あの頃より美味しいコーヒーが200円以内で飲めます。

マクドに至っては、105円で本格的な味わいのコーヒーが飲めます。
関西は、マクドナルドは、マクドと言います。
関東のように、マックとは言いませんからね。

エライ時代です。
茶店と言えば、どこの町内にもあったお商売でしたね。
昭和60年代、喫茶店の数と宗教法人の数が、ほぼ同じあったわけです。
今では、宗教法人の方が多いでしょうね。

数万という数の世界です。
その中にあって、京都と言えば、石を投げればお寺に当るくらいにお寺だらけです。

京都の町の中に、寺町通りと言うのがあります。
下は五条辺りから、上は今出川近くまでありますね。
すべて寺が並んでいます。

もちろん、京都の町をこんなことをしたのは、ご存知、太閤・豊臣秀吉公です。
お土居と同じで、京都の町を守るための手段です。
寺の敷地を、お堀に見立てたわけですね。
火事にも、戦時にも強い町、それを京都に求めたわけです。

もともと、平安の御世には、京都の碁盤の目の中には、二つの寺しかありませんでした。
東寺と西寺です。
今は、東寺しか残っていません。
西寺の方は、西寺公園として名前を残しているだけです。
この話も過去に記事にしています。

東寺は、今でもかの地にあり、世界遺産ですからね。
すばらしいものがあります。
弘法大師のご遺徳でしょうね。

永遠として残るものがあります。
昭和の懐かしいナポリタンも私の中では、永遠の味です。
フレッシュートマトとオリーブオイルの本格的な味も、美味いです。
それでも、あのソフト麺のような、うどんのような、柔らかいスパゲッティーも忘れることの出来ない思い出の味です。

母の日の今日は、懐かしい昭和の味の記事を書いて見たくなりました。
食べたくなりますよね。
思い出の甘酸っぱい味です。

子供の頃、いろいろと嫌なこともありましたが、余り悪い思い出を感じません。
いい思い出が強く残ります。
心の三毒も静かに消化されて、穏やかな時間に変わることを祈ります。

私にはありがたい仏縁を頂いています。
母の日の今日も、ありがたいと感謝しています。
仏さまは、時に慈父であり、時に精神的な母かもしれません。(基本仏様はすべて男です)
慈悲深い徳にすがり付きたいです。

今日も一日、私も世の中も平穏無事に過ごせますように、祈ります。

最後まで、赤い縁が麺のように絡んだ話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。