''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

北浜辺りで昼ごはんより。

今日も朝から雨ですね。
昨日から、ずっと降り続いています。
一足早い梅雨になったかのような錯覚を覚えます。

 

昨日のバラ園の続きです。
すでにバラ園を出た頃には、3時近くになっていました。
やはり、空腹を覚えましたね。

 

先にネットで、北浜辺りのランチする場所を検索していました。
ところが、実際に言ってみると、まだ開店していませんでした。
それとも、日曜日が定休日だったのを、見逃したのかもしれません。

 

向かった場所は、お好み焼き「ぼたん」でしたね。
ビルの地下にある「横町」とは、言えないほどの4店舗ほどの地下空間です。
どのお店も同じように、この時間には営業されていませんでしたね。
「鳥貴族」も入っているビルです。

 

その近くに「北浜食堂」を見つけました。
関西でもよく見かけるご飯屋さんです。
北浜なら「北浜食堂」、京橋なら「京橋食堂」と、その地域の名前を付けたチェーン店です。
伏見にもありますので、何度か入ったことがあります。
一昔前の、陳列された棚から、自分の好きなおかずを選ぶというスタイルです。
学生時代にも、学食でお世話になった形式です。

 

ここの最大の売りは、ごはんです。
店先に釜が置かれています。
釜で炊いたご飯を頂けます。

 

それに熱々の玉子焼き(178円)をその場で、焼いてくれます。
これはありがたいです。
もちろん、注文しましたね。
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小さいごはん(126円)、味噌汁(105円)、さばの味噌煮(241円)、ポテサラ(105円)、漬物(84円)、じゃこおろし(105円)、満足度プライスレスです。
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これにエビスビール・缶(315円)をつけました。
至福です。
これなら、休日のひるごはんとして、優雅です。
もちろん、おかずを選ぶタイプはどうしても割高になるのは、致し方ないです。
ビールを除くと、1000円でおつりが来ます。

 

同行カメラマンも、美味しそうなホッケの南蛮漬やらナス揚げ煮など、食されています。
意外に満足そうです。
これは、満足です。
こうしたスタイルお店は、初めてのようです。
いい経験だと思います。

 

意外にごはんが美味いですね。
釜で炊いたと聞くと、それだけでご馳走に感じます。
我が家の炊飯器で炊いたごはんも、どうしてどうして美味いです。
それも満足です。

 

おかずが、いっぱいあれば、それだけで豪華に感じます。
おかずと言う位ですから、数えられない位は不要でも、3品は欲しいですね。
酒呑みですから、いっぱいおかず並べるのかに、憧れます。

 

六代目笑福亭松鶴は、いっぱい豪華に料理を取って、それを食せず、添え物のショウガをつまみながら、酒を呑むのが好きだったとも聞きます。
真偽の程は知りません。

 

大酒飲みは、あまりツマミを食されません。
酒以外で、胃袋が満たされるのを嫌います。
すごい酒飲みは、塩だけで呑むといいます。
酒の味が、変わるのが嫌だということでしょうね。

 

六代目松鶴と言えば、酒の噺が多いですよね。
それが、私も好きでしたね。
しかし、一度倒れられて、ロレツが悪くなると、あえてカツレツの悪い酒呑みの噺をよくされていましたね。

 

私はカツレツのいい、切れのいい、元気な頃の六代目松鶴の酒呑みの話が好きでしたね。
落語「らくだ」(上方落語では「らくだの葬れん」)を思い出します。
過去にも記事にしています。

 

らくだと呼ばれる札付きの悪い人です。
すでにふぐに当って、死亡しています。(主役でありながら、登場しません)
そこに訪ねて来た兄貴分が、その現場に来た所から、噺が始まります。

 

通り掛かりの屑屋とらくだの兄貴分の掛け合いが良かったですね。
立場が、酒を仲介にして、あべこべになる。
この辺が、演者の腕の見せ所です。

 

大家を脅します。
脅迫です。
何で脅すかと言うと、踊りです。
踊りをさせて、お金、つまりらくだの葬式代を捻出しょうというのです。
兄貴分も、なかなかの知恵者です。

 

大家に至っては、らくだは一度も家賃を入れたことがないという、悪者です。
それを、死んだからと言って、香典を包む気はない。
清々すると、言い放ちます。
ご近所さんも同じ気持ちでしょうね。

 

仏になったらくだの担ぎ出して、「かんかんのう」という踊りをさせると言うのです。
やれるものならやって見ろと、息巻く大家です。
しかし、実際に運ばれると、嫌でも葬式の費用を出す羽目になります。
酒と料理です。

 

江戸時代、幾つかのブームが来ます。
「数学ブーム」もありました。
円周率の問題とか、以外に難しい問題を、解こうとします。

 

その他にも、「中国ブーム」がありました。
漢文なんかの難しい問題を解こうと、ブームになります。
その時、この「かんかんのう」も流行ります。

 

♪かんかんのう~ きうれんす~
「看看踊」、別名「唐人踊」ですね。
あまり流行に、お上より「禁止の触れ」(文政5年・1822年)が出たくらいとも聞きます。
歌川国安の「駱駝之図」文政7年(1824)と言う書物が出版されています。
「かんかんのん」と同じ頃に、日蘭の交流で「らくだ」が来日したことに因ります。

 

大きな者の例えが「らくだ」と言うわけです。
大きな男を「らくだ」とあだ名をつけたことになりますね。
ですから、日本中に当時は「らくだ」さんと呼ばれる方も多かった訳ですね。

 

この噺の「らくだ」も大男です。
その男がフグに当って死んだ。

 

犠牲者は、たまたま立ち寄った屑屋さんです。
商いがあるので帰ると言う度に、兄貴分が難癖を付けます。
酒が進むに連れて、兄貴分と屑屋の立場が、逆転するんです。

 

最後は、見繕った酒樽をらくだの棺桶にして、二人して担ぎます。
しかし、仏さんは酒桶が抜けて、どこかに置き忘れたようです。
これじゃ、成仏出来ませんね。

 

冷や冷やしますね。
もちろん、落ちもこの「冷(ひや)」と「火屋(ひや)(火葬場)」という言葉が、キーワードです。(明治の初めまで、あの千日前に火屋(火葬場)がありました。後に、役所が土地代出(お金を付けて土地を売却)して処分させて、繁華街にしたようです。落語は当時の名残です)
♪ちゃんりん~ ちゃんりん~ でんでん。

 

この間のお酒の失敗に、我が身の事の様に、堪えます。
少し温かくなると、それでも「冷」で呑みたくなりますね。

 

「酒は缶(燗) 肴は粋に 酌はタボ(美人)」でお願いしたいです。
私は「ダボ(播州弁で、最上のアホ)」です。
缶ビールですから、燗には出来ませんね。

 

いつか、人である以上「死」が来ます。
その時に、人様に悪態付かれて、「らくだ」のように死にたくありませんね。

 

悪いことをしないで、いい行いをする。
それが、仏の道です。
現世の修行は、悪い縁を断ち、いい縁を結ぶことにあると信じます。

 

私にはありがたい仏縁を頂いています。
ありがたいことと感謝しています。
ありがとさんです。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らせるように祈ります。

 

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、らくだの長い顔のような話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。