''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

高野山奥之院の身代お守りに見える世界より。

今日も朝から天気がいいですね。
日差しを浴びて、朝から裏庭のトマトに水遣りです。
最近の日課でもあります。

前に植えていたトマトが、水切れで大きくなっていたのを、枯らしてしまいました。
残念に思う気持ちはあります。
それを教訓にして、今回は枯らせないようにしたいです。
その為の水遣りです。

裏庭に、腰掛けるところがあります。
そこに座っては、トマトとしゃべります。
頭が変ではありません。(先生~、かんとうしょうえさんが変です~)
もちろん、アブリもやってません。

しゃべっている雰囲気を楽しみます。
私の一方的な話しかけです。
独り言と言われても仕方ないですね。
でも、トマトに話すと、ほっとする自分がいます。

植物を育てると言うのは、楽しいです。
やはり、百姓の遺伝子でしょうかね。
土に交わるというのが、いいです。
水をやるのも楽しいです。

朝の15分が私の癒しの時間でもあります。
時には、このままここに居たい。
仕事に行きたくないと思うこともあります。
誰にでもありますよね。

でも、大人なです。
仕事もあるから、休日も楽しめると思えます。
仕事があるのはありがたいです。
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パーマンみたいに、身代りの人形でもあれば、便利かもです。
身代りと言えば、先日、カメラマンから高野山に行ったお土産を頂きました。
高野山奥之院の身代りお守りです。
親の為、三世の為に、特別な用意もして下さいました。

気遣いが嬉しかったです。
この場を借りて、ありがとさんとお礼を述べておきます。
ありがとさんです。

私も奥之院に参詣したことがあります。
特別な空気がそこにはありましたね。
あの奥で、今も弘法大師は眠って居られます。
次回の仏、弥勒菩薩さまが、この地上に出現される56億7000万年後に向けて修行されています。
どんなことがあっても、一緒にこの世にお供として、来られる気がします。

身代りというと、空海の命を狙われたことがあるやに聞きます。
弓矢で、命を狙われた。
しかし、矢が当ったと思うと、それはお地蔵様であったというのです。

京都の南区、羅城門近くに、身代り地蔵様・「矢取地蔵尊」というのがあります。
この地蔵さんが、その時の身代りになったお地蔵様であるとも聞きます。
右肩には、矢の傷跡があるといいます。

その事件の発端は、神泉苑での雨乞いに対決で、時の天皇の勅命により、天長元年(824年)、西寺の僧であった守敏との対決です。
この記事も過去に書いています。
善女龍王を勧請(呼び寄せられ)された空海が勝ったことに由来します。
天に飛来する龍神さまの力が、雨を降らせるためには必要だったのです。

空海は、中国から雨乞いに有効な経典「請雨経法」を用いたとされます。
経典だけでなく、気象、天文、それに鉱物に関する豊富な知識もあったのが、その勝因でもあったことは間違いがありません。

四国から、和歌山辺りにかけて、水銀の鉱脈があります。
その為、その辺りに、空海由来の場所が多いです。
水銀は、宗教界の必須アイテムです。

今でも、水銀と聞くと朱肉です。
そう、寺院仏閣の朱色が、水銀が大きな関係があります。
朱色を作る水銀を我が物にしたと言うことは、当時の宗教界を掌握したことでもあります。

仏教でも、神教でも同じです。
どちらも朱色が必要です。
その意味では、政治家でもあったと言えます。

若いときから、そのした才能が、もしかしたら、仇になって、こうした命を狙われた話になったのかも知れません。
この矢取地蔵尊の話は有名ですが、真偽の程は分りません。

当時の高僧、西寺の守敏が、負けた腹いせに空海の命を狙うことは、考えられません。
空海の力で、雨が降って、民にとって、それありがたいと言ったと思います。
気象の知識が、先行した守敏にとって不利であったことは、空海は知っていたはずです。
ただ知識の勝利です。
そう思いたいです。

ですが、命を狙われた話には、その存在が旧宗教界には、余りにも大きかった。
脅威に感じられていたのは、事実です。
しかし、空海の功績は偉大です。
それは事実です。

梵字も、空海なくして、現代に存在しません。
正当な後継者として、知識も書物も第一級でしたからね。
梵字には、間違いが多いです。
もともとない字が作られたりすることも多いです。
しかし、空海の記した梵字は、正当な梵字として、後世に大きな影響を残します。

高野山には、こうした宝がいっぱいありますからね。
霊山として、また今も弘法大師空海が眠る聖域として、特別な場所です。

その奥之院近くには、大勢の歴史的有名人のお墓が存在します。
豊臣秀吉公、前田利家公、徳川家康公、歴代の将軍さま、それに親鸞上人のお墓もあったように記憶しています。

個人的には、四谷正宗と呼ばれた刀工の源清麿の兄、山浦真雄のお墓を見つけました。
一人喜んでいたことを思い出しました。
マニアック過ぎますよね。

身代りをして助けて下さることは、やはり仏縁を頂けたことに寄ります。
ありがたい仏縁に感謝しています。
もしかしたら、身代りになって助けて下さることがないのが、一番ありがたいことです。
妬みや恨みを買わずに暮らせたら、それが一番幸せです。
何より幸せです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすことを旨としています。
心静かに暮らしたいと、祈るばかりです。

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、恨みを買わない話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。