''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ご存知、銘菓「阿闍梨餅」より、何思うより。

今日も朝からいいお天気ですね。
お日様が、燦燦と日差しを、全てのものに降り注いで下さいます。
昨日の月も綺麗でしたね。
陽と陰、二つの対比が、物事を深く思慮させて下さいます。
「妙法華経」の「妙」と「法」の如くです。

 

先日、頂いたお菓子に、ご存知、満月の阿闍梨餅」がありました。
江戸末期の安政三年(一八五六)の創業というから老舗の菓子司ですね。
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餅米をベースにして、氷砂糖や卵といったさまざまな素材を練り合わせた生地に、丹波大納言小豆の粒餡を包んで焼いた半生菓子で、しっとりとした皮とあっさり風味の餡が見事に調和した逸品だ。(満月 グメル情報より抜粋)

 

阿闍梨という言葉は、高僧を意味する言葉です。
特に天台・真言の僧位を表していることが多いと聞きます。

 

餅の中央部が盛り上がった形は、比叡山で千日回峰修業を行なう阿闍梨がかぶる網代笠を象ったもので、厳しい修業中に餅を食べて飢えをしのいだことにちなんで考案されたという。(満月 グメル情報より抜粋)

 

小説の中でも、高僧に向かって、阿闍梨さまお呼びするシーンがありますよね。
特別な高僧の名称と理解しています。
それを菓子に付けたら、やはり意味有り気に感じます。
食べるだけで徳を頂けるように感じます。
凡夫の浅はかさです。

 

京都に銘菓は多いけれど、何かそこに特別な要素がないと、菓子の町、京都では世に出ません。
先人の知恵が、現代でも受け継がれ、客が食べ続けられることに意味があります。
川端道喜の「道喜粽(どうきちまき)」などは、時の帝が夏の暑いとき、食欲がないときに、食事替わりに食べられたという有名お菓子ですね。
残念ながら、未だに食べたことがありません。

 

川端道喜こと、初代五郎左衛門は、茶聖、利休とも親交がありました。
利休の手紙の中にも、川端道喜の名が記されています。
古田織部とも親交があったとも聞きます。

 

先人の知恵ですね。
たかが菓子、されど菓子、歴史の中で、今も食べられる銘菓には、産みの苦しみも有った筈です。
知恵と聞くと、やはり文殊さまですね。
知恵の文殊、三人寄れば文殊の知恵で、親しまれています。

 

阿闍梨文殊さまと聞けば、「妙法華経」の結経にある佛説観普賢菩薩行法経の一節を思い出します。
 
是の因縁・功徳力を以ての故に、今釈迦牟尼仏、我が和上と為りたまえ。
文殊師利、我が阿闍梨と為りたまえ。
当来の弥勒、願わくは我に法を授けたまえ。
十方の諸仏、願わくは我を証知したまえ。
大徳の諸の菩薩、願わくは我が伴と為りたまえ。

 

心強いです。
お釈迦さまに、文殊さま、それに次世代の仏さまの弥勒さま、そして、十方の仏さまや菩薩さまが、知恵や法や伴となって、守護して下さいます。
ありがたいです。

 

私はありがたい仏縁を頂けたことに感謝しています。
静かに手を合わせて、平穏を感謝しています。

 

日々の暮らしの中で、イライラもウジヴシもします。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすことを、旨としています。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、世の中の傘にもなれない甘い話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。