''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

建仁寺の隣 摩利支天さまの狛猪(こまいのしし)物語より。

昨日も雨でしたね。
遅く帰宅には、パラパラしていました。

今日も雨の予報です。
朝、玄関先が濡れています。
朝からも少し降ったのでしょうかね。

関西でも数日前に梅雨入りしました。
今から1ヶ月ほど長雨に突入です。
まるで、戦に行くような心持です。

戦と言えば、武門の誉れです。
武士は、縁起を担ぎます。
無計画に戦を起しません。
神や仏の守護がなければ、絶対に戦に勝利できないからです。

武門の神と言えば、「摩利支天」もそのお一人です。
日本では、女の神様です。
もともとは、インドの出身の神で、男の神様であるとも聞きます。

隆慶一郎著「一夢庵風流記」を原作とした、原哲夫の漫画『花の慶次』に登場にも登場する美人の生神様です。
年齢は60歳を超えているが、その美貌は20代のままで全く衰えていない設定でしたね。

うらやましい限りです。
世の女性、垂涎の的でしょうね。

摩利支(まりし)とは、太陽や月の光線を意味する。摩利支天は陽炎(かげろう)を神格化したものである。陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。

護身、蓄財などの神として、日本で中世以降信仰を集めた。楠木正成は兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。また、毛利元就は「摩利支天の旗」を旗印として用いた。山本勘助前田利家といった武将も摩利支天を信仰していたと伝えられている。禅宗日蓮宗でも護法善神として重視されている。(Wikipedia参照)

兎にも角にもありがたい神様です。
この摩利支天さまが、祇園にある建仁寺の隣にお祀りされています。
ここを訪れた方も多いと思います。
恵比寿さんの近くです。
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この摩利支天さまの、神殿前に置かれているのが、狛犬でなく、狛猪(こまいのしし)です。
狛猪(こまいのしし)と呼ぶのかは、不明です。
しかし、どの摩利支天さまにも、狛猪(こまいのしし)が「あ」「うん」の形、1対置かれています。

古来、武士に猪は嫌われものです。
干支の中でも猪と犬は、不人気です。

猪は、猪侍と呼ばれ、卑下されます。
犬侍は、卑怯という別の意味があります。
犬畜生と言われる所以かも知れません。

古来貴人にあっては、双子は不吉と言われます。
畜生腹と言われて、天を二分するという謂れから来ます。
どうも犬は敬遠されているようですね。

もしそんなことがあれば、そのお1人は仏門に入る慣わしです。
それも、公然とされない秘密の出来事として、封印されます。

昭和にもあったと聞きます。
本になっていましたね。
真実は、不明です。

武門に嫌われる猪が何ゆえ、摩利支天さまの神殿にあるのかは、不明です。
刀剣にあっても、猪と言うと嫌われ者です。
ところが、刀の鍔(つば)にあっては、別物です。
世が穏やかになると、刀の拵えに、いろいろと飾りを付けたがります。

男ならわかります。
車や機械に、いろんなオプションを付けたがります。
アイフォンなんかもおシャレなグッズが、よく売れています。
ケースにしたり、カバーにしたりと、大変センスがいいですからね。

刀の鍔も、十二の干支のシリーズを揃えたくなります。
すると、犬や猪は基本武士には不人気ですから、存在しまいレア者となります。
すると高値が付きます。
10枚じゃ自慢出来ません。

花のシリーズや、いろんなシリーズが存在します。
武士のセンスじゃ、ダメダメ君です。
しかし、コレクターとしては、そんなの構いません。
武器として使いませんからね。

こうなると武門やら武士の魂やらは、どこかに行ってしまいます。
江戸時代も太平になるとこうなります。
武士が官僚化するわけです。
そうなると、意味もなく、刀を振り回す輩が出て来ます。

刀を抜いた諍(いさかい)が増える訳です。
命の重さを知らない武士が大勢います。
人の命の駆け引きに、自分も置かれると、人の命の重さも分ります。

東日本大震災で、同じようにことが行われています。
原発の問題も然りです。
責任を取って、責任者が、責めを負う。

自ら、責めを負う。
自決しろとは、言いません。
でも、自決しても済むような簡単に問題ではないです。

それなのに、こんな悲しい姿です。
被災者や被害者を思えば、何をすればいいのか、分るはずです。
戦にあった武士なら、命の重さも理解していたはずです。
簡単に敵だとて、殺したりしません。

今あることに感謝する気持ちを忘れてはいけないと思います。
私はありがたい仏縁を頂けています。
昨日も、そのありがたい仏縁に救われました。
実感できます。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいと祈っています。

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、突っ走った話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。