''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

六月始まる梅雨なる気分より。

朝から雨ですね。
うんざりします。
いえいえ、水田の苗には、今が田植えの時分です。
水も無ければ困ります。

困ると言う字も、不思議です。
口の中に木があります。
「囲いの中に、木が閉じ込められたさま」が字源と見つけました。

木が伸びるには、根が必要です。
その必要な根が囲いによって、それ以上大きくなることが出来ない。
それでは、こまったと言う、困ったと言う字になったというのです。

水田のように、どこまでも、根がはれるなら、困ったことにはならないのでしょうかね。
そうではないですね。
他の根に邪魔されるからです。

困ったというながら、自分のテリトリーがあるのは、以外に楽なのかもしれません。
その上で、その時分の殻を抜け出して、もっと大きくなろうとすると、困ったことが発生する。

人間の成長には、つき物です。
生きていると楽しいことばかりではありません。
嫌なことも多いです。
それも世の習いです。

それらの世の中では、我慢が必要と説きます。
仏法世界でも、忍辱(にんにく)と言って、それを耐えないといけないと言われます。

人は二つに分けることが出来ます。
人に迷惑のかける人と、人に迷惑をかけられる人です。
生きる以上、自分の中に、常にどらちも存在します。

しかし、世の中には、その比率の偏った人がいますよね。
仕事場でも町内でも同じです。
人は、いろいろな人がいます。

人の形をしているけれど、本質的な基底が人の人もいれば、菩薩さまもおいでです。
もちろん、餓鬼の人も、畜生の人もいるのです。
世の中が、なかなか平和にならない本質でもあると思います。

そういいながら、基底が人であっても、時に怒り、時に妬みして、餓鬼や畜生になることもあります。
もちろん、人に優しく言葉をかける菩薩さまの心になることもあります。

仏法、特に天台の流れにおいては、「一念三千の法理」と呼ばれる妙義です。
困ったと言っても、いろんな困ったがあります。

水も無ければないで、困ります。
降れば降ったで困ります。
この加減が難しいです。
人様にとっては、嫌な事でも、違う人様にとって、いいこともあります。

物事はすべて相対的なものです。
仏の世界は、それらを超越した絶対観の世界です。
すべてが善であり、すべてが悪です。

人が生きることも、究極的に言えば「悪」です。
何かを殺して食しないと生きていけないわけです。
動物と言えど、植物と言えど、代わりはありません。

水だけでは生きてはいけません。
私も同じです。

難しい話はこれくらいにして、国構えの中には、先ほどの「困」もあれば、「囲」と言う字もあります。
「囲」には、中に井戸の「井」の字がありますね。
どうも、囲うものに、水は関係するのかもしれませんね。
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先日呑んだ賀茂鶴「生囲い」です。
生貯蔵酒、氷点貯蔵という文字が見えます。
今日から、6月、衣替えですね。
もうすぐ暑い暑い夏がやって来ます。

そんな時、たまには冷えた日本酒で、キュウリ揉みか、キュウリとタコの酢の物でも、肴にして、「暑い暑い」といいながら、風鈴の音を聞きながら、縁側に座って、一献したいです。

今年の夏は、東日本大震災の影響で、節電しないといけませんね。
クーラーなしで、生活できますか?
貧家の我が家は、暑い京都と言いながら、クーラーもエアコンも置いていません。

長屋ですから、風が通ります。
意外にすずしいです。
玄関に打ち水でもして、玄関から裏庭に風を通します。

これにビールか発泡酒でも飲みながら、はたまた冷酒を呑みながら、暑い休日をゆっくりと過ごしたいです。
それも楽しみです。
もちろん、汗は流れます。
それが心地いいです。

夏ですから、夏を楽しみます。
夏しか出来ない楽しみです。
ありがたいと感謝します。

ありがたい仏縁を頂けているお陰です。
物事は、気持ちの持ちようで幾分もかわります。

仕事もしているのか、させていただいているのか、同じことですが、やはり違いますね。
生きているのでなく、何かの力で生かされています。
ありがたいことです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、自分の世界に囲まれて話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。