''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

歩こう会、宇治市の源氏物語ミュージアムに立ち寄るより。

昨日の深夜の雨は、意外と強かったです。
その前に、家路には着いていました。

運が良かったと感じます。
これも、仏さまのご縁かもしれません。
ありがたいことです。

昨日の続きです。
花の三室戸寺を、宇治の橋の方へ歩みだしまた。
来るときは、京阪宇治駅前から、バスで来ましたが、帰りはテクシーです。
テクテク歩きます。
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下り坂になっていますので、大変歩きよいです。
このまま、世界遺産宇治上神社へと歩みを進めます。
その途中、宇治市源氏物語ミュージアムに立ち寄りました。
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立派な建物です。
館内に入ってすぐに、短冊と竹が飾られています。
七夕が近いですからね。
ここで、歩こう会の皆さんと、短冊をしたためました。
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源氏物語五十四帖の中、最後の十帖の舞台が宇治です。
王朝文化の匂いが、館内では楽しめます。

短編映画「橋姫」の上映もされていました。
こちら、すこし難しかったですね。
男と女の世界も、複雑です。

時代を超えても、そうした複雑なものなのですね。
1000年以上前の話です。
すごい文化があったものかと、息を呑みます。
日本の世界に誇れる文学ですね。

姫橋とは、宇治橋の守り神さまのようです。
瀬田の唐橋や、龍田川の龍田姫も同じような神さまです。
宇治川をはさんで、右岸と左岸は、此岸(しがん)と彼岸、極楽浄土のこの世(現世)とあの世(来世)を結ぶ架け橋とであると、パンフレットに記載されいます。

宇治市のもう一つの世界遺産・宇治の平等院も、浄土世界ですね。
霧煙る橋を境に、この世とあの世の世界観が、西方の極楽浄土に繋がっていると平安の方は思われたのですね。

しかし、宇治橋辺りには、多くの神社が存在してます。
神々の住まいかもしれません。
非日常ですね。
私たちは日常に暮らしています。

ささやかな日々の暮らしの中で、安穏な暮らしを求めます。
上を見ても切りがない。
下を見ても切りがない。

そう言えば、昨日爆笑問題の深夜の番組で、府中刑務所を特集されていたのを見ました。
案内役、杉良太郎さんです。
その杉良太郎さんが、何度か口にされたのが、「上を見ても切りがない。下を見ても切りがない」という言葉でした。

俳優の他に、特別職の法務省特別矯正監としての、別の顔もお持ちです。
長年、刑務所などの慰問活動が認められた功績です。
また、ベトナムとの友好関係にも、偉大な功績があったとして、外務省日本ベトナム特別大使、ベトナム社会主義共和国ベトナム日本特別大使として、両国の橋渡しに寄与されている方でもあります。

両国の間に「すきま風」が吹かないように、ご尽力されていますね。
♪人を愛して、人はこころ開き~

なかなか出来ることではありませんね。
今回の東日本大震災でも、妻の五代夏子さんと被災地石巻で炊き出しの活動もされていたみたいです。

昔、実写版・忍者ハットリくんの敵役・ケムマキを演じておられましたよね。
初代のドラマでは、ケンちゃんにも、お姉さんがいました。
確か、松阪慶子さんでしたね。

意外なキャスターですね。
杉良太郎さんも松阪慶子さんも、今も現役で活躍されていることを思えば、凄い作品だったかもしれませんね。

刑務所暮らしは、凄いですね。
それでも、そこに常連のように帰ってくる受刑者です。
社会に適用できない方も多いです。

そうした受刑者にも、高齢や介護という問題が切迫しています。
娑婆世界と同じです。
もちろん、麻薬などの常習者が、刑務所の壁の行き来を繰替えします。

三度三度の食事と住まいの場を得ているということが、こうした繰り返しをさせるのかもしれません。
毎日、仕事をしても暮らしの良くならない方も、社会には大勢おいでです。

三度の食事すら出来ない方もいるのも、事実です。
社会は公平には出来ていません。
これも事実です。

しかし、その中で、自分の存在をしっかりと捕らえ、日々の暮らしの中で、ささやかな幸せを、見つける喜びのある暮らしを、至福だと感じます。

まず、自由です。
自由の意味を吐き違うと困ります。
自由には、責任が付きまといます。

遊んでいた暮らせるはずもありません。
仕事もしないといけません。
嫌なことも多いです。
それも日々の暮らしです。

一日の汗した労働の後の一杯が、幸せを感じさせてくれます。
昨日は、たまたま休肝日でしたけどね。

それも、酒のありがたみを感じさせてくれます。
健康であるが故に、酒もうまいです。
体も心も健康でないと、生きるのが楽しくないです。

刑務所という隔離された空間での暮らしは、人の暮らしではないと思います。
生きているのでなく、生かされていると実感すれば、更生できると思いますがね。

簡単なことではないのは、理解出来ます。
普通に暮らせる喜びを感じれることは、やはり幸せです。
ありがたいことです。

生きているのでなく、何かの力で生かされていると感じることが、自分の存在を肯定します。
ありがたい仏縁にすがれた私は幸せです。

日々の暮らしの中、花を見て、月を見て、四季を感じて暮らす。
ささやかな幸せを見つける術を得たような気分です。
自分にあった分があります。

それを感じらられたことも、幸せです。
ありがたいです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすを旨としています。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、宇治川の流れのように長い話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。