''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

カレー鍋した後のお楽しみより。

暑いですね。
何気なく出る言葉です。
夏ですからね。

天気がいいので、朝から、梅干の土用干しの用意です。
この記事は別の機会にします。

今日は、祇園祭の巡航の日でしたね。
恥ずかしながら、京都に住して四半世紀一度も巡航を目の前で見たことはありません。
(右手は、少し縦気味に添えながら、敬礼しながらのポーズです。横井 庄一バージョン)
昨日は、宵山でした。

遅い帰宅の途中、浴衣を着た女性や子供さんを見かけました。
サッカーのなでしこでも、準決勝戦で、日本の女性が浴衣を着て、応援されて居られた様子がテレビでも、見かけました。

いや、女性の和姿いいですね。
若い女性の浴衣姿もいいです。
年配の女性の着物姿もいいですね。

京都という土地柄、年配の女性が、和装されているのをよく見ます。
お茶やお花、歌舞伎の鑑賞と、その和の装いは、凛として男性の心を魅了します。
帯と着物のあわせ方や、季節季節の小物や着物の柄と、こだわりが至るところに見られます。

最近、和装に興味が出て来ました。
私も、浴衣ぐらい上手に着てみたいです。
どこかに行くというのでなく、エコな暮らしとして、上手に先人知恵を拝借したいです。

エコと言えば、食事についてもです。
先週は、食べ物の話を特集しました。
昨日のカレー鍋の続きです。
鍋の〆と言えば、麺類か雑炊ですね。

カレー鍋だけに、うどんを入れてカレーうどんもいいです。
しかし、口はご飯ものを求めています。
それじゃと、雑炊ですね。
この場合には、雑炊というより、おじやでしょうかね。

おじやは、女房言葉です。
じゃじゃと鍋が音をすると言うのが、言葉の語原のようです。
昔、このブログに書く時、調べたことがあります。

『知って見て得する情報バラエティ シルシルミシル』の「すぐ調べる課」に投稿するほどのこともありません。
そんな時は、じやねって、軽くあしらえば済むかもです。

おじやと雑炊の違いと来るといろいろありますが、さらりとしたのが雑炊で、べっちゃりしたのが、おじやと言うのはどうでしょうね。
雑炊は、「増水」の語原のように、少ないご飯の量を増やす目的もあります。
その点、おじやはこってりとして、べっちょりしています。

鍋の出汁を吸い尽くしています。
うまくないはずは、ありません。
さりながら、このおじや雑炊は、痛風の敵でもあります。
プリン体たっぷりです。
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しかし、少量ならとその食欲を負けました。
写真映りは、よくないですね。
ほのかな黄色い色合いとそのカレーの香りが、食欲をそそります。
一口目のスプーンは、口の中で、カレーのいろいろなスパイスの味が、鼻腔にこだまします。

適度な辛みも、ごはんとよく合います。
もちろん、お約束のイチラーですから、一味唐辛子もフリフリです。
フリフリと言っても、リージョンやマクロジョンは出て来ません。
可愛いレースのスカートも、出て来ません。

味のアクセントになりますね。
少し味が単調に感じたら、ウースターソースを少しかけます。
子供の頃、食べた懐かしい味です。
一昔前まで、カレーにソースかけて頂く方を見ましたが、今はあまり見かけません。
家なら、やられている年配の方も多いでしょうね。

子供の頃、軽食や喫茶でカレーをオーダーすると、ウースターソースが一緒についていましたね。
やはり、定番の食し方だったんでしょうね。
今の若い人はは、「えー、信じられない」っていうでしょうね。

関西人、特に大阪人はソースが好きです。
何にでもソースをかけます。
それでも、今ほどに味のこってりしていない薄いカレールーで作ったカレーライスには、ウースターソースも悪くないです。

独特風合いです。
郷愁の感さえありますね。
うまいまずいの問題ではないです。
懐かしい味とも言えます。

不思議な味の記憶が、人によってあるものです。
ずっと前の、『スマスマ』のクリスマスの特集の時、ゲストが富田 靖子さんだった時の料理を思い出しました。
富田 靖子さんのリクエストは、お米(ごはん)とべちょべちょした物がお好きとのことでした。

あれまー、私と気が合いますね。
映画『アイコ十六歳』や『さびしんぼう』など、デビュー当時から注目していましたからね。
あの愛くるしい表情が「いい」ですね。

映画やテレビの美味しんぼシリーズ、 栗田ゆう子 役は、はまり役であったような気もします。
原作にはない、独自の持ち味がありました。

すでに彼女も40歳を越えていますよね。
それでも、輝いています。
最近、40歳を越えた女優さんが元気だと感じます。
富田 靖子さんにも、もっといい作品に出てもらいたいですね。

大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』の春日局役での、登場が待ち遠しいです。
主役上野樹里さんより、私には主役かもしれませんね。

40歳にはもう少しある、京極殿の鈴木砂羽さんもいいですね。
癒されます。
私は、どうも少し不思議ちゃんキャラが、大好きなようです。

40年と言えば、仏法世界の「妙法華経」の無量義経説法品第二の中で、「四十余年には未だ真実を顕さず」とあります。

これはお釈迦さまが、その40年余の生涯において説いた教えが、いまだ真実をあらわしていないというこであり、また方便品に至っては、それらの教えは一切衆生を導くために説いた仮の教えであり一つの手段に過ぎなかった、とされています。

「えー」って、驚きますよね。
今まで聞いた教えが、方便ってね。
驚きでしょうね。

ここでは、三乗の教えや一乗の教えには触れません。

そして、「無量義を修学することを得んと欲せば 応当(まさ)に一切諸法は、自ら本・来・今、性相空寂にして二法あることがなしと観察すべし」と記されています。(かなり難しいです)

では、その無量義(むりょうぎ)とはどのようなものでしょうね。
「無量義とは、一法より生ず。其の一法とは即ち無相なり。是の如き無相は相なく、相ならず、相ならずして相なきを名づけて實相とす」
(頭がなかなか付いて行きません)

「諸法実相」深い教えですね。
つまり、この世のあらゆるものごとは普遍的なもので、変わる事はない。
仏の大宇宙、この世界は、一切のものごとの実相を見つめることに有るようですね。

難しいはずです。
経典の中、最後に「唯佛と佛のみ乃し能く究了したまへり。」とあります。
つまり、「唯佛と佛のみがよく理解できるものである」と言うことです。
仏さまでしか理解出来ない物事のようです。
到底、私のような凡夫に分ろうはずもありません。

しかし、40年という年月はいろいろなことを変化させてくれます。
私も40歳半ばです。
未だに迷い、道を模索しています。
日々、その暮らしの中で、理解できない物事も多いです。

東日本大震災で、何故、多くの罪無き人が亡くなったのか、老いも若きも男女の区別もなく、一瞬にして人が息絶える、そんな地獄が必要だったのかと、疑問が生じます。

本質的な事で言えば、この世は仮の姿です。
辛いことも、嫌なことも、また楽しいこともです。
「空」という中を、人は輪廻を繰り返しています。

そう考えると、この被災で亡くなられた方も、きっといい来世を迎えられるべきでしょうね。
そう考えずには居られません。
仏さまに選ばれた方かもしれません。
ご冥福を祈るばかりです。

まだまだ若輩で、迷いの中にいます。
しかし、仏の世界に住する以上、私もきっと死を迎えます。
これは必ずです。
早いか、遅いかだけと言えば、短絡です。

如何に生きて来たか、これからも如何に生きるべきか、迷い続けなければ、先に亡くなられた方々に申し訳ないです。
残された者に、使命があるはずです。
天命があるばすです。

聞こえにくい小さな天の声に、耳をすませて、前に進むしかありません。
昨日の月も綺麗でした。
花を見て、月を見て、四季を食らい、日々の暮らしを続けます。

日々の暮らしの中に、ささやかな「よかった」があるはずです。
どんな時にあっても、幸せを探せる術をありがたい仏縁で頂けたと自負しております。

ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすを旨としています。
道は近きにありです。

最後まで、「(お)じゃね」とスパイシーお気軽な話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。