''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

池田の逸翁美術館「銘のある茶道具」より。

暑いですね。
ムシムシして、息苦しささえあります。
夏ですからね。

何か涼得たいです。
精神的なもので、涼を得ようと企画しました。

土曜日の事です。
私は、金曜日から大阪の新今宮辺りに宿泊していましたので、環状線大阪駅に向かいました。
同行カメラマンと待ち合わせです。
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池田の逸翁美術館の招待券を手にしたと言うので、便乗させてもらいました。
今回は、「銘のある茶道具」と題して、小林一三こと逸翁がこよなく愛した茶道具の展示です。
それも、不思議な銘のある茶道具です。
これは、楽しみです。

いつもながらの名品の数々です。
数寄者としての人柄が出ています。
逸翁は、阪急グループの創始者としての経済人の顔だけでなく、文化人として顔もお持ちです。

特に絵画や陶器、そして茶器を愛されていました。
それも、歴史観や評価・値段が高いという基準でなく、値段の多寡に関わらず、茶道具として、物を見る目をお持ちでした。

それが、凄いところです。
ちょうど利休が、自分で花入れを作ったり、はたまた川漁師が使っていた魚籠などを、花入れにして使ったのと同じです。
数寄者として、物を見る真眼があったということですね。

いろいろな面白い銘の茶碗が、展示されています。
その中でも、特に気になったのが、「家光公」ですね。
徳川三代将軍の「家光公」です。
銘は、この家光公から、つけられています。

五彩蓮華紋呼継茶碗です。
華やかな茶碗です。
何故、この茶碗の銘が「家光公」なのか、不思議でしたね。
解説文を読んで、合点が行きました。

逸翁流の銘の楽しみが、そこにあります。
割れた大きな破片一つと小さい破片六つを加えて、全く別の茶碗に継合わせて、作った茶碗です。

これを、呼継(こつぎ)と呼ばれています。
されど、この「家光公」、一目で継ぎ接ぎの茶碗に見えないほど、よく出来ています。
よほど、この呼継の茶碗に感心されたのでしょうね。
三代家光公と言うと、初代神君家康公、二代秀忠公、そして、三代目にして、後の250年続く徳川の体制を固めた人物としての評価です。

三代目で潰れるの例えもあります。
戯れ歌に、こんなのがあります。
「親わらじ 子供雪駄に 孫裸足」

初代が、贅沢もせずに、一生懸命に働いて商売で基盤を作ります。
しかし、二代目というのは、そんな親の姿に反発して、贅沢な暮らしをしますよね。
ある程度、親の財がありますからね。

その子(親)を見て育った孫は、もっと惨めです。
商売もしないで、遊んでばかりの暮らしです。
そうなると、商売もうまく行かず、三代目で潰れることが多いという例えです。
身近なところにも、よく見かける風景です。

三代目がもっと難しいというのでしょうね。
名君と呼ばれて、家光公も最初は我侭ばかりです。
母親・江にも見捨てられ、期待を全くされていなかったですからね。
それを母親代わりに、愛情もって春日局が、命にかけて守ります。

社会とは少し違っていますが、それが良かったのか、徳川の世を太平にしてくれたことは確かです。
乱世に戻ることなく、四代、五代と続きます。
共に、父は家光公です。

この見事の呼継の茶碗と、家光公を重ねた逸翁のユニークなセンスが、光ると言うわけですね。
見ても絶対に「家光公」という名は思いつきません。
やはり、稀代の数寄者です。

五彩の蓮華という名もいいですね。
「妙法華経」の妙華と法華、二つの連なりが蓮ですね。
妙と法、それらが一対となって、真実が成り立ちます。
仏さまの世界に住している以上、その世界に反する者は淘汰されます。

現世では、悪い縁を断ち切り、いい縁を結ぶ。
その為には、悪いことをせず、いい行いをする。
それだけですね。

なかなか言うは易いが、することは難しいです。
楽天と道林和尚の話を思い出します。

いろんな世界も、いろいろな所で繋がっています。
過去世の縁が、現世にも、来世にも繋がっています。
不思議なことも多いです。

今あることは、偶然の偶然でなく、必然です。
天命に従って、進むだけです。
生きているのでなく、生かされているのです。
ありがたい仏縁を頂けたと感謝しています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすを、念ずるだけです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。


最後まで、継ぎ接ぎしたような話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。