''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

休肝日にも、これならありかも、ノンアルコールより。

暑いですね。
まだまだ8月ですからね。
子供の頃なら、夏休みの宿題が、追い込みの時期です。

総じて、私は計画的な子供でしたから、この時期もマイペースでした。
7月末には、凡その宿題も道筋を付けていました。
漢字の書き取りや計算問題も、それほど苦痛なら、マイペースで遣っていました。
計画的に物事を出来る子供だったですね。

この時期の日曜日なら、夕刻6時30分から始まる「サザエさん」で、カツオが宿題で父の波平や、義兄のマスオさんに宿題を手伝ってもらっているシーンが、この時期の風物詩でもありました。

そんなことは一度もありませんでした。
暑い最中に宿題など、出来様はずがありません。

その反面、学生の期末試験などは、なかなか計画的に勉強をすることは出来ず、一夜漬けの苦労もありましたね。
計画的なのか、それとも非計画的なのか、人間にはその両面があるようです。

何事も計画しても、なかなか続かないことも多いです。
三日坊主と呼ばれますよね。

本当に三日なら大した者です。
一日でも、坊主と呼ばれるなら、それは凄いです。
一日でも、僧になれるのですからね。

仏教典の「妙法華経」の中でも、「佛を帰依し、法を帰依し、僧を帰依する」という一節があります。
この三つをあわせて、仏法層ですね。

この三つを帰依する。
つまり、帰依する、仏教的に言うなら、「南無」です。
南無三宝ですね。
これを転じて、困ったときや驚いた時に「南無三(なむさん)」と言います。

最近の方は使いませんが、一昔は小説などによく出てきた言葉です。
時代の変遷とともに、使う言葉も移り行きます。
寂しいと感じることもありますが、これまた時の流れです。

情緒のある日本語でしたね。
夏休みの情景も、それぞれに夏の風物詩として、あちこらにありました。
懐かしい日本姿です。

計画的と言えば、昨日は私事ながら、「休肝日」でした。
休日明けの月曜日に、この日を当てることが多いです。
酒が好きと言えば、それまでですが、呑みたくないと感じることもあります。

呑まないと、朝の目覚めがいいんです。
たまに、ゆっくりと睡眠とりたいと思えるのが、月曜日が多いです。

休日には、少しアルアルが過ぎます。
連休なら尚更です。
時に昼間から呑むこともあります。

昼のアルコールは、何とも言えません。
休日であるという開放感と、暑い最中呑めるという充実感と、複雑な気持ちです。
呑み助の言い分です。

しかし、昼間にアルアルして、昼寝をし過ぎると、夜が寝れません。
これはさすがに、苦痛です。
やはり、睡眠とアルアルタイムの比率が、健康管理には、必要です。
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昨日は、サッポロのプレミアムを頂きました。
麦芽100パーセント麦汁使用と書いてあります。

ノンアルコールですが、痛風患者の私にとって、いいのか悪いのかの判断は付きかねます。
しかし、休肝日と言うなら、これも選択肢の一つです。
先日「シェ・ムートン」で、呑んだキリンの瓶のノンアルコールビールは、なかなかいけました。
後味もすっきりでしたね。

このサッポロも悪くはないですが、やはりビールや発泡酒の代替品的な要素があります。
慣れるとこれでも、食事には満足できると思います。
もちもと、サッポロ製品は好みですからね。

車で来られた時などは、いいかもしれません。
昔のノンアルコールビールは、少量のアルコールが含有していましたからね。
ノンアルコールとは言えず、低アルコールでしたね。
味も変な味でした。

最近、ノンアルコールブームで、意外と楽しめますね。
もちろん、ノンアルコールですから、酔いません。
それでも、食事にあう飲み物というとなかなかありません。
大人の飲み物としては、いいかもしれませんね。

オンとオフの選択が出来ることはありがたいです。
その辺は、計画的に過ごせそうです。

オンとオフ、スイッチの入ると切るの、二進法ですね。
パソコンの世界です。
その二つの世界で、このブログも成り立っています。

不思議な世界です。
「妙法華経」の世界なら、見えない世界の「妙」と見える世界の「法」の世界です。
この世の中も、今ある見える世界の「金剛界」と見えない黄泉の世界の「胎臓界」の二つの世界の中に、私たちは住しています。

この二つの世界を、スイッチのオンオフみたいに、「空」(くう)の中で輪廻を繰り返すわけです。
過去世の縁が、現世にも、来世にも繋がっています。
空の世界、それは縁起とも言えます。

原因と結果の因果関係が、そこにはあります。
現世では、悪い縁を断ち、いい縁を結ぶのが、修行と考えています。
そのためには、悪い行いをせずに、いい行いをするわけです。
その行いが、いい縁を導いて下さると信じています。

もともと、この現世も「仮」の世界です。
そう思えば、つまらないことに腹を立てることも、意味がありません。
人のしがらみに、心痛めることもありません。
仏さまに繋がって、生かせて貰っているという安堵感を感じられることが、幸せです。

ですから、飛びぬけた幸せは、そうそうありません。
日々の暮らしの中であった、ささやかな出来事に、「よかった」を見つけられる暮らしは、心穏やかです。

花を見て、月を見て、旬の食材を食らい、酒を呑む。
これこそ、ささやかながら、自分の分にあった幸せです。
そう感じられることに「感謝」です。
ありがたいです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすを旨としています。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、仮の酔っ払いの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。