''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

落語・金原亭馬生の『子別れ』に、人情噺の妙を見た より。

朝から雨ですね。
今は止んでいます。
台風の影響でしょう。
どんより曇った空です。

 

台風12号の爪あとの被害は、甚大でしたね。
多くの死者、行方不明者が出ています。

 

被害を受けられた方々には、お見舞いを申し上げます。
当方では、何も影響が出ずにほっとしています。
やはり、都の地の利でしょうね。
風雪災害にも強い地でもあります。

 

台風での大きな被害は、あまり記憶にないです。
すでに、京都伏見の地に住んで、四半世紀を過ぎています。
鴨川の氾濫も疎水の決壊も、未だ経験しておりません。

 

しかし、今の住まいは、一度氾濫すると、床下浸水になる地域です。
古い古い記録により、そうした被害予想の地図が、配置されています。
どこなら、水害に影響しないかは、よく知っています。

 

仕事場は、宇治川桂川が、氾濫決壊水位3メートルの水没地域にあります。
辺り一面、誰も助からない地域です。
もちろん、ビルの中ですので、3階以上に登れば助かります。

 

一度、大雨の為、水位膝上まで来て、家に帰られなかったことがありました。
天災は、忘れた頃にやって来ます。
失敗や教訓は、忘れないようにしないといけません。

 

先日、NHKのオンデマンドで、落語を見ました。
10代目金原亭 馬生(きんげんてい ばしょう)の『子別れ』です。
父は5代目古今亭志ん生、弟は3代目古今亭志ん朝、そして、長女は女優池波志乃さんです。
と言う事は、義理の息子は、「中尾だょ~」の中尾彬さんですね。
いつもネジネジされています。

 

『子別れ』は、人情噺です。
笑いはないです。
私の好みの人情噺、馬生さんの話術に引き込まれます。

 

45分の大作です。
本来は、上・中・下の三部構成んらなっている長い噺です。
通常は、中の後半部分と下を合わせて演じることが多いと聞きます。
私もよく聞くのは、この短い噺がほとんどです。

 

今回は、全編聞くことが出来ました。
上は、「強飯の女郎買い」の部分を聞いて、なるほどと理解できました。
いやはや、いけない酒癖、女癖の悪い男ですね。
上を聞かないで、中と下を聞くと、それほど悪い男でないと勘違いしそうです。

 

しかし、なくても落語として、『子別れ』は人情噺としては成立します。
その為、あまり遣らないんですよね。
それに時間の都合もあります。
なるほど、ガッテンしました。(合点承知の介です)

 

噺は、次ぎような内容です。
大工の熊五郎が、主人公です。
腕はいいのだが、酒癖が悪く、女癖も悪い。

 

集金したお金も、友達となか(吉原)で使ってしまいます。
翌日も、家に帰るのにバツが悪いと、近くの酒屋で升酒、二杯を引っ掛けてご帰宅です。

 

おかみさんは、針仕事を黙々としています。
そこに、悪い癖が始まります。
挙句に、昨日の女郎の惚気話まで始めてしまう有様です。

 

最後には「縁がなかった」「家風に合わない」と、出て行けといい始めます。
これに、かみさんも愛想が付いて、夫婦げんかの末、独り息子の亀坊を連れて家を出てしまいます。

 

こんな熊さんが一人で居られるはずもなく、年季が明けたなじみの女郎(噺の中では花魁)を家に引き入れてしまいます。
ところが、上手くいくはずもありません。
朝は起きないし、ごはんが炊けない。
ずるずるとしただらしない女です。

 

やはり、昔の人は上手に言います。
「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」

 

商売で一緒に過ごすのと、家で家族として過ごすのは違います。
そうなると、前のおかみさんが懐かしい。
あー、失敗したと後悔します。
目が覚めたんですね。

 

熊さん、生活を改めて反省します。
一生懸命になって働くわけです。
元々腕がいい大工です。

 

ある日、出入り先の番頭さんが、家に来てご隠居さんの命で、熊さんは番頭さんと一緒に、木場に木材の目利きをしに行く算段になりました。

 

その木場に向かう途中で、番頭さんが熊さんの息子亀坊も見つけます。
学校帰りの途中です。
先に木場に行っていると、番頭さんが気を使います。

 

三年ぶり、わが子と再会です。
いの一番に、新しいお父っつぁんの事を尋ねます。
居ない様子にホッとする熊さんです。

 

次ぎに、親子の生活を気にかけます。
話を聞くと、近所の仕立て物をしながら、三畳一間の長屋暮らしのようです。
親子二人して、つましな暮らしです。

 

申し訳ない気持ちでいっぱいです。
しなくてもいい苦労をさせた負い目を感じる熊さんです。
この辺の人情の機微が、演者の馬生師匠の持ち味です。
人情噺がいいですね。(ちょっと、うるうるかも)

 

滑稽な噺の「目黒のさんま」とは、全く別人ですね。
芸の引き出しの多さに、驚くばかりです。

 

息子の亀に、五円(噺によっては、50銭の時もあります)の小遣い与えます。
その上で、「明日、そこの角の鰻屋で、鰻をご馳走する」と約束します。

 

別れ際に、「俺と会った事は、おっかあには内緒にしろよ」と言い含めます。
家に帰った亀坊が、着替えをします。
その時、もらった五円が母親に見つかります。
こっちにおいでと、いきなり打たれ、厳しい詰問を受けるます。
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父なしの親子二人とは言え、人様の物に手を付けることは許しません。
亀は、自分のだと言い切ります。
言わないので母親は、父の使っていた「金鎚」で頭を敲こうとします。

 

しかし、母の涙には勝てません。
本当のことを言います。
それを聞いて、少し嬉しそうなおかみさんです。

 

次ぎの日、いい着物を着せ、鰻屋に送り出します。
それからソワソワです。
居ても立ってもおられず、とうとうかおみさんも鰻屋に出向きます。

 

店の者が、母親も来たというと、熊さんに部屋に連れて来てもいいだろうと、助けを出します。
もちろん、悪いわけもなく、二階の部屋に連れてくると、今度は「鰻」の注文をしてもいいかと、これまた亀坊の気遣いです。

 

もちろん、悪いわけもないです。
焼けるまで、間が持ちません。
昨日、亀に遭って、そうしたら好物の鰻をご馳走すると約束をしたという話を、煙草に口を付けながら、何度も繰り返すばかりの始末です。

 

このシドロモドロな加減が、上手に仕草に出ています。
落語の妙ですね。
名人芸かも知れません。

 

馬生師匠が、本当の熊さんに見えます。
まるで、その場の鰻屋に居合わせたような、錯覚を覚えます。
(匂いもするような~気がします)

 

亀坊が、これまた、助けを出します。
元の鞘に戻ってくれと、楽しみます。
夫婦だけでは、こうは行きませんね。
その亀坊が、「子は、かすがい」というのが、サゲです。

 

最近は、「かすがい」をご存知ないかもですね。
大きな木材と木材を、離れないようにする鉄製の大きなホッチキスの玉、芯みたいなものですね。
夫婦という他人を、子供が、離れないようにしています。

 

心温まる噺です。
人情橋の「妙」ですね。

 

仏の世界では、目覚めるとは、覚者、つまりブッタという事になります。
悟りを開けたお釈迦様です。
前世、すでに悟りも得られていました。
目覚めたのは、過去世記憶の連鎖から、目覚めたのかも知れません。

 

お釈迦様は、前世の話をされますよね。
16王子として、阿弥陀さまと兄弟であった話や、常不軽菩薩さまであった話、ダイバダッタに仕えていた話と、多くの過去世の記憶が蘇り、輪廻の輪から最終解脱出来たことでしょうね。

 

過去世の記憶があれば便利でしょうね。
そうした記憶を、お持ちの方もおいでと聞きます。
その前の過去世もその前の過去世もあります。
もちろん、来世もあります。

 

「空」という中で、人は輪廻しているわけです。
過去世の縁が、現世にも、来世にも、繋がっています。
「空」とは、その為「縁起」とも言えます。
原因があって、結果に繋がります。
因果の関係が、世を越えて、繋がっているのです。

 

悪い縁を断ち、いい縁を結ぶが、現世の修行です。
その為には、悪いことをしないで、いい行いをする。
ここに起因することになります。

 

ありがたいことに、私は仏縁を頂けています。
生きているのでなく、生かされていると自負しています。
すべてが、ありがたいです。

 

もちろん、日常に嫌なことも、腹立たしいことも多いです。
それも、すべて仮の「空」の、この現世の出来事です。

 

苦しいことも、腹立たしいことも、一時の事と、忍耐が必要です。
「妙法華経」の柔和忍辱の心を、衣にして身に纏います。
幸せも、その日常にあります。
道端に咲いた花を見て、天のある月を見て、心安穏に過ごします。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、糠に釘のようなトンチンカンな話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。