''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

時々、私の口が、新福菜館の中華そばの口になります。

今日は朝から暑かったですね。
やはり、9月とは言え、まだまた夏です。

 

暑さ寒さも彼岸までの例えの如く、まだもう少し夏の気候を楽しめます。
それでも、夜になれば虫の音が心地よく聞こえ、涼やかな風が奥の茶の間まで、入って来ます。
「秋深し隣は何をする人ぞ」

 

読書もいいですし、映画をDVDで見てもいいでしょうね。
シリアスな人間ドラマもいいし、ドンパチのアクション物もいいです。
特に、話芸もいいですね。

 

落語なんかはいいですね。
私の大好きな人情噺は、うるうるします。
滑稽なシュールな話もいいです。

 

先日、見た米朝さんの「世帯念仏」は、滑稽でしたね。
ご仏壇に、御灯明あげて、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけの話ですが、これまた面白い。
大寺院の長老から、船場の大店の主人、裏長屋の老主人の唱える御念仏、これらが、さも全く違う御念仏になります。

 

これほど違うものかと、その芸の深さに、人間の器を見た想いです。
同じ人間が、同じ御念仏をあげるだけで、こうも違うものかと、感じますね。
人の見た目と、その内面する人間の資質を思い知らせます。
人の振り見て、我振り直せです。

 

それにして、大寺院の長老の「♪ ん~ な~ な~ ぁ~ なぁ~ なぁ~ ん~」の長い長い節回し、長老の威厳がありますね。
最初の「な」の音だけで、数分はかかりますね。
滑稽ですが、ありがたいです。

 

船場の大店、その主人の上げる御念仏、一つまみ数千円のお香をたききながら、「♪ ん~ な~なぁ~ あ~」、本当に一万円札が落ちてきそうな気がしましたね。
こちらもありがたいです。

 

それに比べて裏長屋の老人のあげる御念仏、信心があっての念仏でなく、毎日やっているので、これをやらないと朝ごはんが美味しくないという理由でやっていだけです。
いろんな理由ながら、仏さまを信心するのは、悪いことではないです。
それにして、ここの老人の木魚を敲きながらあげる念仏の滑稽なことです。

 

頭の先から出るような調子の外れた高い声です。
「♪ なみだぶ なみだぶ なみあみだぶ~」
この繰り返しです。

 

その御念仏の最中、ばあさんに話かけます。
朝ごはんは何か、味噌汁の具は何か、その前後も「♪ なみだぶ なみだぶ なみあみだぶ~」です。
ありがたいことも何でもないですね。

 

長屋の空けたままの玄関先に、どしょうを売りに来ます。
どじょう屋と、値段が高いだのまけろと値段交渉をいいながら、どしょう二合、それを買って来いだの、その前後も「♪ なみだぶ なみだぶ なみあみだぶ~」のお念仏が続きます。

 

その生きているどじょうを、酒の入った鍋に入れて蓋をするように、ばあさんに指示します。
何ともうるさい老主人です。
どじょうの入った鍋が、騒がしいです。
酒の入った鍋の中、どじょが苦しんでいます。

 

それをニタニタして笑う老主人です。
これじゃ、地獄も極楽も一緒こたんですね。
それが、サゲの部分です。
米朝師匠の話芸、奥の深さを見ましたね。

 

味噌汁にどじょうを入れて、どじょうの味噌汁にするという算段でしたが、その後どうなったのかは、不明です。

 

そうそう、秋と言えば、食欲の秋ですね。
最近、私の口が変なんです。
口が、新福菜館の中華そばの口になります。
突然切れたようになりますね。

 

朝から、「♪ ん~ 食べたい~ 食べたい~」みたいに米朝さんの落語のように「念仏」替りに、口から出ます。
早速、行ってて来ました。
昼時は、もちろん外します。
夕刻4時過ぎに、入りました。
もちろん、お約束の一杯です。
小瓶350円、これがちょうどです。
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渇いた口の中を、ビールで湿らせます。
うーん、うまいねぇ。

 

そうこうしている間に、麺カタの中華そば並(650円)がやって来ました。
ここからが忙しいです。
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すでに、箸を割ってスタンバイです。
写真をすばやく撮って、麺の硬さを確認します。
いい感じです。

 

いつもの中華そばです。
もちろん、ここは本店です。
南隣は、第一旭の本店です。

 

京都ラーメンのメッカ、いえ聖地の一つですね。
私は、新福菜館派です。

 

第一旭のラーメンも食べますが、何度も来ていますが、本店の味は、もう一つです。
何か違います。
私の口には、ぴったり合いませんね。
第一旭のラーメンを食べるなら、他店に行きます。

 

この時間でも、第一旭は玄関に、数人並んでいますね。
みんな手にガイドブックか、ラーメンの雑誌を手にしていますね。

 

昼時は、新福菜館にも列が出来ます。
同じく手にガイドか雑誌を持たれている、修学旅行の学生さんが多いですね。

 

いくら美味しいからと言って、並んでまで食べるものではありません。
少し昼時を外せば、いいだけです。
込んでいる店内では、ゆっくり食事も出来ません。

 

少し醤油の強い真っ黒なスープですが、奥が深いですね。
やはり、それだけ魅了する庶民の味です。
ありがたいです。

 

軽く中毒しています。
ラー中、そば中です。
新福菜館なら、「菜中」でしょうかね。

 

時々、切れます。
本店に来る価値はあります。
それでも、麺を上げる人が、時間によって変ります。

 

味もそこには、バラツキがあります。
中華そばだけに、麺が命です。
麺を上げるのは、技術です。
難しいです。

 

スープの方は、時間によって調整さえすれば、技術ではありません。
どんぶりの鉢の何処まで、スープを入れるのか、先に決めています。
スープに関しては、味を一定にするという事が、一番難しいですね。

 

麺は、難しいですね。
1つだけ茹でるなら、何とかなるかもしれません。
しかし、5人くらいになると、麺の仕上がる時間を計算しないといけません。
鉢に盛り付ける時間、麺を仕上げて、
鉢に入れ分ける時間、スープを張る時間、すると茹で上げの時間を逆算しないといけません。

 

その上に、麺カタや麺ヤワなど好みもあります。
その腕の技術で、味が変ります。
麺釜のお湯の色も、仕上がりに大きな変化を生じます。
お湯の管理も、技術一つですね。

 

上には上があります。
すごい人なら、10人前くらいを一度に管理しますからね。
10人前くらいが、最多でしょうね。
それ以上なら、仕上がりにムラが出来て美味しいラーメンや中華そばにはなりません。

 

もちろん、麺の太さも店によって違います。
近藤製麺との相性は、新福菜館はいいですね。
隣の第一旭も、同じ近藤製麺ですからね。
ただし、太さが違います。

 

まずラーメン屋に行ったなら、店の隅に置いてある麺箱を見ます。
それで、大抵のラーメンの方向性が見えます。
私の好み、鶏がらスープのラーメンなので、釧路製麺なんか大好きですね。

 

新福菜館第一旭のように、豚の背油のスープも大好きですが、体調が悪いと美味しいないです。
新福菜館の中華そばが、食べたいと思う時は、体調がいいですね。
それが、私の健康のベロメーターかもしれません。
(今日は、ここしか笑うとこないですよ。ねぇー、とおるちゃん!!)

 

秋は、やはり私の場合、「食欲の秋」ということになりますね。

 

それでも、ありがたいです。
元気で生かせてもらえています。
ありがたいと感謝しています。
日々の暮らしの中での、ささやかな幸せを感じます。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすのが、願いです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、食べたい食べたいと念仏みたいに長い話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。