''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

岩手県釜石 「吟醸酒 浜千鳥」を呑み干すより。

朝から雨ですね。
台風の影響です。
朝の目覚めも、この雨音でした。

空気も涼やかで、少し寒いです。
まだ、9月と言えども、去年ならまだまだ猛暑の夏でした。
この台風で、一気に「秋」に向かいます。
ちょうど、彼岸の頃と重なりました。

「暑さ寒さも彼岸まで」、昔の人の言うことは、なかなか確かです。
季節がもっと身近であったと思います。
今のようにエアコンや扇風機も存在しないで、この暑い夏を乗り越えた来たわけですからね。

その分、行水、夕涼みという日常がありましたからね。
浴衣を着て、縁台で将棋なんかも、情緒があります。

今では、そんな折には、必ずお酒が付きますよね。
クーラーの効いてない長屋の暮らしも、趣がありますよ。
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先日、買い求めた岩手県釜石のお酒です。
東日本大震災の復興支援として、高島屋で売られていました。
私に出来る支援は、東北を消費することくらいです。

あまり東北のお酒を呑むことがなかったです。
せいぜい新潟のお酒を呑むのが、精一杯でした。
あまり、意識して買った事がなかったのかもしれません。
今では、東北を意識して買います。

今回のは、吟醸酒 浜千鳥です。
株式会社浜千鳥のお酒です。
杜氏は、小原孝敏氏の名がしるされています。
あまり市場に出ないお酒という風にかいてあります。

呑み方の指南も書いてあります。
冷やして、小さなグラスで頂く上品なお酒です。
甘みもあり、濃く深く、芳醇な味わいのお酒です。
肴は、やはり魚介類があいますね。

いや、至福のお酒かもしれません。
この吟醸酒くらいが、私にはちょうどです。
いえいえ、正直上等すぎるくらいです。

たまには味わって頂くことも、お酒の価値を知る上で、重要です。
昔は、一合の酒の意味が大きかったです。
家で、一合かよく呑めて二合が、贅沢のお酒です。

今みたいな、吟醸酒は御大尽でもない限り呑めまいでしょうね。
はたまた、江戸時代に吟醸酒と呼ばれる製法があったのかも、不明です。
勉強不足です。

それだけお酒の価値が、現代と違うわけです。
独り頂く、慰労酒も、卑下されていたました。
それでも、それを楽しみに生きるのも、分に応じた暮らしです。
今でも、手酌酒です。(笑)

それも、楽しいです。
手料理に、舌鼓打ちながら、こんな美味しい酒を呑めるのは、至福です。
上を見ても、下を見ても、キリはないです。
自分の分に応じた幸せがあるだけです。

浜千鳥と聞けば、幕末の英知を思い出します。
浜千鳥と言えば、英語のハウ・マッチ・ダラーと似ているので、「いくら?」という交渉には、この「浜千鳥」という言葉が、使われたとも聞きます。
幕末の商人は、商魂たくましいですね。

それも一種の方便です。
彼岸の岸に辿り着くためには、そうした方便も必要です。
上手に騙されることも、必要です。

心の癒しには、時間もかかります。
東北の元気を取り戻す「方便」も必要です。
まずは、東北を消費すること、これが私に出来ることかもしれません。

今、秋刀魚の漁が盛んです。
原発問題を考える上で、健康上の問題も考えないといけません。
政府も、しっかりとした舵取りをして、風評被害にならないように、努力しないといけません。

健康被害には、方便は要りません。
真実だけを公開すべきです。
先日も、落語の「目黒のさんま」に因んで、東北産の秋刀魚の祭りも様子が、やられていました。
行政区がまたがっているため、二箇所で、「目黒のさんま」の祭りがあることも知りました。

落語なら、馬生さんの滑稽な「目黒のさんま」はいいですね。
「苦しゅうない。替りを持て」
殿様が、何とも滑稽です。
それでも、人柄はいい殿様です。

バカ殿と言えば、志村けんさんでしょうね。
私的には、小島慶四郎さんです。
人気の喜劇役者藤山寛美氏の新喜劇黄金時代に貢献した方です。

「鼻の六兵衛」(藤山直美演じる場合「はなのお六」)での有馬玄蕃頭は2004年7月に通算1000回を超えたほどの当たり役で、その白塗りの殿様姿が満場の爆笑を誘う。
(Wikipedia参照)

そうそう、有馬玄蕃頭でしたね。
褒美に、名刀「兼光」の短刀を与えます。
その時のオチが、「その方、鼻で刀の銘まで分かるか?」の殿様の問いに、六兵衛が答えます。

「へぇ、目方(重さ)で分かります」
そら、名刀「兼光」でなく、竹光でない金光でしょう。
私でも分かります。

不思議な泣き笑いの激しい喜劇でしたね。
昭和の時代が懐かしいです。
小島慶四郎さんの白塗りの殿様は、何も言わずに座っているだけで、笑いがとれますからね。
無舌の芸かもしれません。

被災された方々も、その殿様なら、心の底から、笑いが出ます。
生きている喜びも、生き残った者の試練です。
一日も早い復興を念じます。

ありがたことに、私は仏縁を頂いています。
日々の暮らしが、少しでも幸せに生きている喜びを感じています。
貧家の住まいですが、足を伸ばして寝られることに感謝しています。
静かに過ごせることに感謝しています。

それでも、心の三毒は生じます。
イライラ虫も、ウジヴシ虫も、心に沸きます。
それも、日常です。

それらも、時に上手に排除しています。
それも方便かもしれません。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、あちこちに彷徨う千鳥足の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。