''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

すだちの香りの贈り物より。

朝から、やはり寒いですね。
先週まで、夏でしたが、昨日ぐらいからはっきり秋を感じています。
半袖は寒いです。

夜もしっかり春秋の布団に、使っています。
それくらいがちょうどです。

朝一番で、貧家の玄関を叩く音が、しまったサツのガサ入りでしょうか?
やばいかも、いえいえ、宅配業者さんでしたね。
安心しました。
送り主は、ブログのお友達のアロマっ子さんです。
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この時期が来たかと、季節の贈り物です。
中身は、徳島産のすだちです。

いつもながらの達筆です。
この時期には、酸味と香りのいい贈り物を頂きました。
いつもながら、お礼申し上げます。

秋と言えば、さんまですね。
さんまは美味いです。

漢字なら、秋刀魚ですね。
確かに、刀のような感じもします。
太刀魚も、やはり刀のような銀色の輝きが、魚のネーミングの妙を感じます。

焼き魚にすだちは、食欲をそそります。
秋刀魚と言えば、やはり佐藤春夫の「秋刀魚の歌」です。

あはれ
秋風よ
情〔こころ〕あらば伝へてよ

から始まる有名な詩です。
過去にも私のブログの記事にしています。
そのなかの一節に、以下のようなところがあります。

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸〔す〕をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。

この部分の蜜柑の酢は、かぼすなのか、すだちなのか、不明ですが、佐藤春夫は、和歌山県の出身です。
普通に考えると、蜜柑(みかん)の産地ですから、青い蜜柑とも考えられます。

故郷とは、新宮市ともあります。
秋刀魚鮨でも有名ですが、この場合には、橙(だいだい)のようですね。
すだちにしろ、かぼすにしろ、橙にしろも焼いた秋刀魚にはよく合います。

詩の最後の方に出てくる一節が好きですね。

さんま、さんま、
さんま苦いか塩っぱいか。

何ともリズミカルで、関西なら、塩っぱいより、塩辛いか、辛いと言うでしょうね。
言葉も味も、東京ナイズされちゃったのでしょかね。
それ以上に、焼ける秋刀魚の煙と涙に、塩っぱいと言ったのでしょうかね。
この時期に来ると、いつも思い出す名作の詩ですね。

だいたいと言えば、竹村健一氏ですね。
「だいたいやねぇ」とざっくりした言葉から始まりしたね。
タモリさんの初期のネタでしたね。

懐かしい気もします。
日曜の朝と言えば、この方のニュース解説が楽しみでした。

政治評論家して活躍されていましたが、職業に肩書きをつけない、名詞にも「竹村健一」名前だを記されているとも聞きます。

肩書きも時には必要ですが、時に不要の時もあります。
肩書きで、その人物を見てしまうことがあるからです。
確かに、社長という肩書きの名詞には、気を使います。
世界的な企業の社長から、家内工業のような社長まであります。

人物と肩書きの一致していない方も多いですね。
ですから、仕事関係意外では、肩書きは関係ないですね。
人は見かけに因りません。
それをつくづくと感じます。

肩書きなれている方は、仕事以外でも、上席に座りたがります。
どんな席に立とうが、人物が見られます。
それもいいと思います。
でも、二度と同じ席には、着きたいと感じませんね。

この世は、仮の「空」です。
辛いことも、悲しいことも、仮の世界、そう思うと、つまらないことにも、イライラしません。
悪い縁を断ち切り、いい縁を結ぶ。
それが、現世の修行と心得ています。

柔和忍辱の衣で、身を包めば、些細なこと、おろかなことに思えます。
イライラするほどのことでもありません。
心の平安を乱されることもないことは、安穏に繋がります。

すだちの香りに、癒されます。
心穏やかにして、秋刀魚の塩焼きに箸を付ける。
そして、お酒を呑む。

花を見て、月を見て、四季を食らい、酒を呑む。
至福です。
日々の暮らしの中に、幸せはあると感じています。
それを拾うか、拾わないかだけです。

ありがたい仏縁を頂けた事に感謝して、日々暮らしております。
本当にありがたいです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすのが、願いです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、さんまの煙に巻いた話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。