''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

相国寺承天閣美術館 肥後松井家の名品『武家と能』を鑑賞より。

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昨日10月1日は、相国寺承天閣美術館に参りました。
今、肥後松井家の名品『武家と能』を開催しています。
同時開催で、茶道資料館では、『武家と茶』を開催しています。

一枚で両方鑑賞できるチケットを、同行カメラのお力でゲットです。
それも招待券です。
ありがたいです。

もうすぐ始まる京都国立博物館で開催の『細川家の至宝 ─珠玉の永青文庫コレクション─』の前哨戦です。
なるほどですね。
これも行くつもりです。
こちらは、前売りチケットで行く予定です。

肥後熊本藩主細川家の筆頭家老松井家に伝わる、能面・能装束を中心に武具や茶道具、また、中近世の書画を一堂に展観。
松井家は、康之の功績によって豊臣秀吉から山城国などに知行地を与えられ、この所領は徳川家康にも安堵され、徳川将軍家及びに自家の代替わりには江戸に参府して将軍の御目見えを許されるという、特殊な家柄であった。
Digistyle京都イベントより 抜粋

もとも足利将軍家に使えていた細川氏とは、同輩のご縁ですね。
とは言え、初代康之という御仁は、なかなか武勇も政治手腕もあったようです。

太閤秀吉公から、大録で家臣になるように誘われますが、これを断ります。
細川家の忠義の筋を通します。
この辺は、「天地人」の直江山城守殿と同じですね。

戦国期にあっても、江戸時代にあっても、特殊家柄です。
家臣、陪臣でありながら、石高3万石の八代城の城主です。
石高だけでも、大名です。

あくまでも、大名に順ずる位置にあったことは事実です。
江戸時代でも、加賀の前田家や、岡山の池田家など、太守クラスになると、そうした万石以上の家臣も居ります。

これも特殊です。
一国一城の令にも、特殊な例外でもあります。
明治の時代まで生き抜きます。
明治に入っても、そのまま男爵家として名を残します。

そんな名家のお宝が、いろいろと見る事が出来ましたね。
タバコ入りやら、小道具にも、贅を見ることで出来ましたね。

宮本武蔵の書画が、ありましたね。
得意の達磨さんの絵も見る事ができました。
それに書も勢いがあります。
書には、武蔵の息遣いが感じ取れます。

能やその装束は、まるで素人なので、コメントは出来ませんが、蒔絵の塗り物は凄かったですね。
中でも、お弁当箱、そんなチンケなものでなく、御大尽の昼餉を大勢で頂くお重です。
その手の込んだこと、込んだこと、このお重にどんな料理を盛り付けたのかと思うと、ワクワクします。

春の花見なら、楽しいでしょうね。
池を配した自分のお屋敷なら、気遣いも要りません。
月見櫓か東屋で頂く、いつもの食事と違う味わいがあります。
それが、弁当の良さでもあります。

そのお重の素晴らしいさに、じっと眺めていました。
にたにた笑いながら、見ていたかもしれません。
怪しい人に見られたかもしれません。

同行カメラマンも呆れ顔です。
招待券でこれだけ楽しめたら、本望です。

「はいはい、次ぎ行くよ」
この声に、「御意」と返答したくなるくらいのノメリコミでしたね。

それにしても、松井康之という武人は、茶にも能にも造詣が深かったようです。
文化的な理解が深い分、主君細川公とも馬が合ったと感じますね。
主君と筆頭家老が、上手く行かないことも多いです。
それだけ、細やかな気遣いの出来た人のようです。

頭が下がる思いです。
実るほど頭の垂れる稲穂かな
そんな名言がありましたね。
『未熟ということは大切なんだよ。僕だって未熟。天狗になったらおしまいだよ』という池波正太郎氏の名言もあります。

上には上があるんですよね。
天狗になることはないにせよ。
謙虚は大切です。

今あることは、偶然の偶然、つまり必然です。
天命が働いたと思います。

生きているわけでなく、何かの力で生かされています。
私の場合には、仏様ですね。
そんなありがたい仏縁に感謝しています。

日々の暮らしの中にこそ、幸せがあるんです。
特別なところに、幸せも仏の道もないと考えています。
何もないことが、実は幸せなんです。

東日本大震災で、被災された方々には、日常のありがたさが、痛感されていると思います。
一日も早い復興復旧で、日常を取り戻して頂きたいですね。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすのが、願いです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、仏様に庇護(肥後)された話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。