''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

明るいと言う字に、さも似たり、ウェッジ上のパンより。

朝から雨の京都伏見の地です。
今も雨が降っています。

昼前に首の治療に行って、マッサージを受けていきました。
今日は当たりの先生でした。
丁寧に揉んで下さったんです。

女性の若い先生です。
少しだけプライベートな話もして下さいました。
いろんなこともあるものだと、物静かに聞けるそういう歳です。

そう言えば、差し入れを頂きました。
パンです。
中に里芋の入っている少し変わったパンです。
上には、粉チーズも振ってあって香りもいいですね。
川端通り団栗橋下がった辺りの、鴨川の川縁に座って、飲み物は温かいカフェラッテで頂きました。
イメージ 1

お外(柴淳風に)で頂いたので、写真映りを考えると、皿替りにウェッジウッドの花柄のハンカチです。
意外に私は、ウェッジウッドのエプロンやハンカチは好きですね。

もちろん、ウェッジウッドは、お皿やカップがいいことは知っています。
ミセスの年代では、雑誌の付録に、ウェッジウッドの小さなバックが、付いている事がありますね。
あれは、私も欲しい大きさです。

男性が持つと可笑しいですが、あっさりして弁当を入れたり、軽い飲み物入れたりして、昼ごはんに使うなら、便利です。
汁垂れして、汚さないように気を使います。

花柄というとちょっと抵抗がありますが、ウッェジウッドならいいかもです。
ウッェジウッドのエプロン似合う女性は、きっとパン作りとか上手なイメージです。

パン作りの先生とかね。
上品なミセスな感じです。
北の方に、知り合いに一名そんな方を存じています。

パンと言えば、ウッェジウッドが私の刷り込みです。
それにしても、意外なことに気付きました。
パンが漢字の「明」に似ています。

いえ、差も似たり。
♪さて、さて、さては南京玉簾

明るいと言う字の「明」ですが、「日」と「月」の2つ以上の文字を組み合わせて、新しく作った字かと思えば、違うようです。
もと「冏」と「月」で、あかり取りの窓から、月光が差しこんで来て、物が見えることを示すようです。
あかるいことや、人に見えないものを見分ける力を「明」というようです。

「冏」は、音読みは、ケイ、キョウ、訓読みは、まど、あきらかのようです。
何か顔のような形ですので、顔文字に使われることもあると聞きます。
もともと、 漢字構えの一つで、「冏構え」(けいがまえ)です。
「冊」「再」「冑」などの「冂」の部分の称です。
知らないことが多いです。

仏教の経典、「妙法華経」の安楽行品第十四に出てくる髻中明珠の譬え (「法華七諭」の第六)の「明」ですね。
人に見えないもの、それは「妙」の世界、音も同じ「ミョウ」ですね。

月が陰なら、日は陽です。
陰陽の如く、妙法が存在します。
胎蔵界金剛界と言うにあたりますね。
ありがたい佛の世界です。

仏様の事を、明行足(みょうぎょうそく)とも言います。
十号(じゅうごう)という、仏に対する10種の称号、如来(けらい)・応供(おうぐ)・正偏智(しょうへんち)・明行足(みょうぎょうそく)・善逝(ぜんぜい)・ 世間解(せけんげ)・無上士(むじょうし)・調御丈夫(じょごじょうぶ)・天人・佛・世尊の一つにもあります。

見えないものを見る不思議な力をお持ちなんですね。
過去世も来世も、この現世のすべてが見える力が、備わっておいでです。

もちろん、ご自分の過去世もご存知です。
それらの輪廻の輪から、解脱されています。
過去の因縁もありましたね。

仏の「空」の中で、輪廻を繰り返す。
それが、仏の世界の住人です。

悪い縁を断ち、いい縁を結ぶが現世の修行と心得ます。
その為には、悪い行いをせずに、いい行いをする。

因縁が、世を越えて繋がります。
原因と結果の関係です。
ですから、空は縁起とも言えます。

「空」は、無とは違います。
「空」の中に、有と無があり、もっと言えば、無でなく、見えていないということではないのかと考えています。

もちろん、仏様には、すべてが見えるわけです。
胎蔵界金剛界の両方に、仏様がおいでです。

生きているのでなく、何かの力で生かされています。
私の場合には、仏様です。
仏縁につながって、生きていることはありがたいです。
安堵があり、安心感があります。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、パン食う(空)話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。