''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

鯨(くじら)の龍田揚げを食らう より。

先日スーパーに参りましたら、鯨がありました。
それも、龍田揚げ用に衣まで付いた便利なものです。
これは食べるしかないと、ゲットです。

調査捕鯨とシールが、貼られています。
イワシ鯨と呼ばれる種類のようです。
あまり聞いたことがないというか、あまり鯨の種類も知りません。
テレビで、いろいろと捕鯨については、国際的な問題になっています。

日本は有史以来、島国として、魚を採って暮らして来た民族です。
もちろん、鯨もです。
農耕も然りですが、漁民としての姿もあります。

今でも、日本人は魚好きです。
最近、魚離れと言われますが、子供さんにも好物というと、お寿司は上位に入ります。
煮魚、焼き魚を食する機会や、主婦が作る機会を失ったのが、原因と考えます。

確かな魚を捌くのは、手間ですからね。
キッチンも汚れます。
ゴミの問題もあります。

敬遠気味の魚ですが、日本人は生で魚を食べたがる民族です。
これは、大変珍しい民族と聞きます。
それだけ、海と食卓の距離が近いということですね。

魚の鮮度も保つのは難しいです。
じゃと、生命力の強い鱧などが、海から遠い京都で、祇園祭りには無くてはならない食材になります。

鯖も然りです。
日本海の若狭から、塩した鯖が、ちょうど京都に運ばれた頃、塩が聞いて美味くなる。
それを鯖寿司にする。

庶民の知恵です。
お酢に漬けるという調理方法を得て、生に近い状態で食することが出来るわけです。
京都には、鯖寿司の有名なお店が多いです。
なかなか美味いですね。
私の好物でもあります。

私が、子供の頃、学校給食に鯨は出ていました。
龍田揚げもありましたし、ノルウェー風○○とか、揚げた鯨にウースターソースとケチッャプを合えたソースに、合えた何とも不思議な味の鯨の揚げ物です。
以外に、これも美味かったです。

鯨はどうしても、血の味がします。
それを抜ききると、パサパサして美味くないです。
すりおろしたショウガに、酒、醤油で作ったタレに漬けて置き、これをフライパンで焼く鯨のソテーが、我が家の定番でした。

私たちより二世代上なら、鯨のカレーも食されたと聞きます。
私はないですね。
もちろん、鯨のベーコンも懐かしい味です。

今に錦市場なら、5センチ角の鯨のベーコンなら、5000円くらいの値段が付いています。
チョー高級品です。
昔は、肉の代用品として、貧しい日本人のタンパク源となっていました。
本物のベーコンが食べられないので、その代用品だった鯨のベーコンが、今や高嶺の花です。

おでん屋で、コロと言えば関西の定番でしたが、今や庶民の味ではありません。
京都の老舗、蛸長なら幾らぐらいするでしょうね。
1つ1,500円から2,000円ほどは見ておかないといけないでしょうね。
それとも、時価かもしれませんね。
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難しいことはさておき、鯨の龍田揚げを作りました。
少しきりっと強い目に揚げていますので、色も錦色でなく、大夫黒っぽい仕上がりです。
アロマっ子さんから頂いたすだちを、かけて頂きます。

懐かしい味です。
郷愁の味ですね。
鯨を知らない今の子供が食べたなら、少し敬遠するかも知れません。
これには、やはりビールか発泡酒です。

龍田揚げは、もちろん、錦色を差します。
紅葉の錦のまにまにです。
「ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」

在原業平朝臣の和歌ですね。
古今集百人一首で有名です。
この和歌の錦色から、龍田揚げの料理名前の由来とも聞きます。

落語の「千早振る」がすぐに思い浮かびます。
こちらも過去の記事にしています。
崇徳院」にしても、百人一首をテーマにした落語もいろいろとあります。
それだけ、江戸期には、百人一首や和歌の知識が、庶民にもあったという事です。

当時、日本人の知識の高さは、世界でも高水準です。
その為、明治に入って、学校制度が出来ると、一気に識字率が高くなります。
世界でも、90パーセントを超える識字率のある国は少ないと聞きます。

ブログの世界でも、日本人のブログの数が圧倒的とも聞きます。
2位のアメリカに倍近い数の差があるとも聞きました。
字が書ける字が読めるとこは、人生を豊かにします。
ネット社会でも、そう言えます。
それがための功罪もあるのも事実です。

字が読めれば、仏教世界でも、経典が読めます。
昔の人は、字を読めなくても、それら覚えて居られる方も多かったです。
信心深かったです。

今と違い、人の生き死にが、それだけ近かったですからね。
生きるは死ぬことです。
武士道の「葉隠」一節ではありませんがね。

生きてるということは、それだけ必要があると言う事です。
死んだのが、不要というのではありません。
人の運命ですから、短命なこともあります。
生き残った人にすべき使命があるということを言っています。

今度の東日本大震災で、多くの方が亡くなられました。
悲しい事です。
老いも若きも男女の区別なくですからね。

生き残った者には、使命があるはずです。
運良く生き残った訳ではないと思います。
一日も早い復旧復興を念じてやみません。
政治も早く日常の暮らしが出来るように対策すべきです。

今日のニュースで、原発被災の子供さんの、高校退学の記事を見ました。
政治として簡単にやれることです。
子供さんの将来を奪わないで下さい。

今あるのは、偶然の偶然でなく、必然です。
生きているのでなく、何かの力で生かされています。
私の場合には、ありがたいことに仏様です。
ありがたいと感謝して暮らしています。

日々の暮らしの中に、ささやかなよかったを見つけます。
きっと、あるはずです。
被災者の皆さんにもです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、うるさくわうわうほえーる話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。