''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

南座十月大歌舞伎 「墨染念仏聖 法然上人譚」より。

昨日に続いて、京都・南座十月大歌舞伎 第二幕「墨染念仏聖 法然上人譚」です。
今年は、法然上人八百年大遠忌記念狂言新作歌舞伎と銘打ってあります。
確か、法然上人の法要の行事も、ニュースで見ました。

法然上人は、浄土宗を開いた日本の宗教会を偉大な功績を残された偉人です。
総本山は、知恩院(京都)です。

本名は、法然源空
幼名 勢至丸(せいしまる) 長承2年(1133) 4月 7日生美作国(現岡山県)の地方豪族出身です。

漆間時国明石定明の夜襲により没により出家 9才されます。
その後13歳で比叡山に入られます。
修行の後、承安5年(1175)阿弥陀仏の本願の真意感得 浄土宗を開く 時に43才です。

浄土宗の教えとは、阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ「南無阿弥陀仏」とみ名を称えて、人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、往生(西方極楽浄土に生まれること)を願う信仰です。 (浄土宗ホームページ参照 一部抜粋)

この法然上人の威徳を、歌舞伎でされるわけです。
どんな新作になるのか楽しみにしていました。
イメージ 1

緞帳が開くと、第二幕が始まります。
真っ黒な空間に、宙に阿弥陀仏が浮いています。
その中を、6本の白い円柱が配置されて、そこに若い修行の僧が念仏を唱えています。

歌舞伎とは、言えない様相です。
美術(前田剛)、照明(室伏生大)、音楽(藤舎呂船)の三者の仕事が演出に生かされています。
照明に、竜笛、笙の雅楽的な音楽、そして、舞台には、黒白の世界です。
緞帳の錦の色合いとは、まったく異なった空間です。

そこに源智上人(翫雀)が、舞台下からせり上がります。
なにやら書き物でもされているような様子です。
法然上人がこの世の去られて一年が過ぎ、その思いを綴られましています。
法然上人は、藤十郎丈が演じられます。

話の中心は、熊谷次郎直実(橋之助丈)です。
黒白の空間に、白いいでたち、6本の柱と4本の白い布が、いろいろと想像をさせます。
6本の白い柱が、時にお堂の空間の大きな柱に思えます。
前に並んだり、横に並んだり、舞台が廻りますので、いろんな角度から、観客はお堂の中を見た気持ちです。

熊谷次郎直実は、源平の一ノ谷の戦いで、自分の子直家と年の変わらぬ平敦盛との一騎打ちして、その首を上げます。
その事が、きっかけで仏門に入ります。

その師匠が、法然上人です。
黒谷には、今でもこの鎧がけの松があります。

その熊谷次郎直実の回想するシーンに、この白い布がいろいろとイメージさせます。
時に、海であったり、風があったり、その中が色の付いた鎧だけが、動きます。
直実の苦悩が、照明と音と黒白世界に表現されていますね。

少しして、香り立つような艶やかな、式子内親王(壱太郎)が花道のせりからあがります。
式子内親王は、後白河天皇の第3皇女です。
黒白世界に、色のある世界が混じります。
式子内親王の禁断の恋が、ここにあります。

それを追ってか、九条兼実(亀鶴)が現れます。
しかし、史実は、式子内親王にとって、九条兼実は、いわば敵です。
後白河天皇崩御の後、遺領の大炊御門殿を横領されたとされています。
歌舞伎の世界と、史実は違います。

最後には、法然上人もお出ましになり、黒白の世界が、一転金色(こんじき)の世界です。
観客からも、声があがります。
舞台が、大きな仏壇の中を思わせます。
極楽浄土の世界かもしれません。

私の思う従来の歌舞伎と違う新作の世界に、引き込まれました。
6本の白い円柱も、もしかしたら、南無阿弥陀仏の6字を表現しているのかなど、見ている間に感じましたね。
熊谷次郎直実が、台詞の中が、「粉骨砕身」と言う言葉が出ます。
浄土真宗でも、「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も骨を砕きても謝すべし」と「恩徳讃」の中でありますね。

阿弥陀さまにすがり、浄土に生きる、そんなありがたい感謝の気持ちです。

やはり、感謝は必要です。

私たち、生きているのでなく、何かの力で生かされています。
私には、ありがたい仏縁を頂けています。
ありがたいことです。

仏の仏縁を感じた歌舞伎の鑑賞になりました。
ありがとさんです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、「次は丹波橋」と仏の架け橋の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。