浄土宗の教えとは、阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ「南無阿弥陀仏」とみ名を称えて、人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、往生(西方極楽浄土に生まれること)を願う信仰です。 (浄土宗ホームページ参照 一部抜粋)
この法然上人の威徳を、歌舞伎でされるわけです。
どんな新作になるのか楽しみにしていました。
緞帳が開くと、第二幕が始まります。
真っ黒な空間に、宙に阿弥陀仏が浮いています。
その中を、6本の白い円柱が配置されて、そこに若い修行の僧が念仏を唱えています。
どんな新作になるのか楽しみにしていました。
緞帳が開くと、第二幕が始まります。
真っ黒な空間に、宙に阿弥陀仏が浮いています。
その中を、6本の白い円柱が配置されて、そこに若い修行の僧が念仏を唱えています。
歌舞伎とは、言えない様相です。
美術(前田剛)、照明(室伏生大)、音楽(藤舎呂船)の三者の仕事が演出に生かされています。
照明に、竜笛、笙の雅楽的な音楽、そして、舞台には、黒白の世界です。
緞帳の錦の色合いとは、まったく異なった空間です。
美術(前田剛)、照明(室伏生大)、音楽(藤舎呂船)の三者の仕事が演出に生かされています。
照明に、竜笛、笙の雅楽的な音楽、そして、舞台には、黒白の世界です。
緞帳の錦の色合いとは、まったく異なった空間です。
そこに源智上人(翫雀)が、舞台下からせり上がります。
なにやら書き物でもされているような様子です。
法然上人がこの世の去られて一年が過ぎ、その思いを綴られましています。
法然上人は、藤十郎丈が演じられます。
なにやら書き物でもされているような様子です。
法然上人がこの世の去られて一年が過ぎ、その思いを綴られましています。
法然上人は、藤十郎丈が演じられます。
話の中心は、熊谷次郎直実(橋之助丈)です。
黒白の空間に、白いいでたち、6本の柱と4本の白い布が、いろいろと想像をさせます。
6本の白い柱が、時にお堂の空間の大きな柱に思えます。
前に並んだり、横に並んだり、舞台が廻りますので、いろんな角度から、観客はお堂の中を見た気持ちです。
黒白の空間に、白いいでたち、6本の柱と4本の白い布が、いろいろと想像をさせます。
6本の白い柱が、時にお堂の空間の大きな柱に思えます。
前に並んだり、横に並んだり、舞台が廻りますので、いろんな角度から、観客はお堂の中を見た気持ちです。
その熊谷次郎直実の回想するシーンに、この白い布がいろいろとイメージさせます。
時に、海であったり、風があったり、その中が色の付いた鎧だけが、動きます。
直実の苦悩が、照明と音と黒白世界に表現されていますね。
時に、海であったり、風があったり、その中が色の付いた鎧だけが、動きます。
直実の苦悩が、照明と音と黒白世界に表現されていますね。
少しして、香り立つような艶やかな、式子内親王(壱太郎)が花道のせりからあがります。
式子内親王は、後白河天皇の第3皇女です。
黒白世界に、色のある世界が混じります。
式子内親王の禁断の恋が、ここにあります。
式子内親王は、後白河天皇の第3皇女です。
黒白世界に、色のある世界が混じります。
式子内親王の禁断の恋が、ここにあります。
それを追ってか、九条兼実(亀鶴)が現れます。
しかし、史実は、式子内親王にとって、九条兼実は、いわば敵です。
後白河天皇崩御の後、遺領の大炊御門殿を横領されたとされています。
歌舞伎の世界と、史実は違います。
しかし、史実は、式子内親王にとって、九条兼実は、いわば敵です。
後白河天皇崩御の後、遺領の大炊御門殿を横領されたとされています。
歌舞伎の世界と、史実は違います。
私の思う従来の歌舞伎と違う新作の世界に、引き込まれました。
6本の白い円柱も、もしかしたら、南無阿弥陀仏の6字を表現しているのかなど、見ている間に感じましたね。
熊谷次郎直実が、台詞の中が、「粉骨砕身」と言う言葉が出ます。
浄土真宗でも、「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も骨を砕きても謝すべし」と「恩徳讃」の中でありますね。
6本の白い円柱も、もしかしたら、南無阿弥陀仏の6字を表現しているのかなど、見ている間に感じましたね。
熊谷次郎直実が、台詞の中が、「粉骨砕身」と言う言葉が出ます。
浄土真宗でも、「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も骨を砕きても謝すべし」と「恩徳讃」の中でありますね。
阿弥陀さまにすがり、浄土に生きる、そんなありがたい感謝の気持ちです。
やはり、感謝は必要です。
私たち、生きているのでなく、何かの力で生かされています。
私には、ありがたい仏縁を頂けています。
ありがたいことです。
私には、ありがたい仏縁を頂けています。
ありがたいことです。
仏の仏縁を感じた歌舞伎の鑑賞になりました。
ありがとさんです。
ありがとさんです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。
最後まで、「次は丹波橋」と仏の架け橋の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。