''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

庖丁正宗に見る短刀の妙より。

朝から晴天の予感する日差しです。
秋晴れはいいですね。

 

「天高く馬肥ゆる秋」
中国のことわざです。

 

馬に乗った馬賊が攻め込んで来ます。
注意が必要です。
そんな意味だと聞きます。

 

日本にも短い手紙はあります。
「一筆啓上 お仙泣かすな 馬肥やせ」
「鬼作左」と呼ばれた徳川譜代の家臣・本多 重次(ほんだ しげつぐ)の言葉です。
お仙とは、後の丸岡城主本多成重です。

 

短い手紙にいろんなアイテムが入っています。
戦いに馬は必要なアイテムです。
戦国時代なら、鎧冑に馬、そして、腰には太刀、刀、もちろん脇差も用意です。
ある程度身分の武人なら、腰には短刀も差されています。

 

戦です。
勝つこともあれば、負けることもあります。
戦場なら、敵に自分の首を差し出すことは出来ません。

 

主人の死は、味方の兵が何万あろうと、大将不在では、到底勝つことは出来ません。
味方の武将も主人を変えて、戦を続けます。

 

江戸時代ほど、主家に対する思いはありません。
仕える家が無くなるほど、悲惨なことはありません。
今大録で偉そうなことを言えるのも、先祖の威徳です。

 

その録高で、すべてが決まります。
役職も然りです。
奉行には奉行の禄高の家から、選ばれます。
本人の能力は、関係なく家の格式が中心です。

 

江戸も中期以降になると、大名家も疲弊します。
土地の米の出来で、その国力を算定する以上、石高を増やすには、やはり、農地開拓しかありません。
しかし、米の出来高で、値段も左右します。

 

豊作だと言って喜べません。
豊作だと、米の値段が下がります。
食べるだけなら、いざ知らず、それを売って金銭に換えないと、武士も暮らして生けなくなります。

 

経済が未熟な社会で出来ることは、倹約でしょうね。
幾度なく倹約の触が出ます。

 

経済しては、より悪い方向に向かいます。
経済の縮小が、そこにある訳ですからね。
景気対策をしないと、お金が回りません。
商売人だけが、儲かる仕組みに、政治がそうしているのです。

 

そこに比べると戦国時代は、どうしていたのでしょうね。
戦の戦費と、城や砦の築城修理に、膨大な費用がかかったはずです。
しかし、安土桃山は文化的にも華やかです。

 

武人なら、鎧冑に刀剣類が必要です。
一番高いのは、馬の維持費でしょうね。
絶対に必要なものです。
なくては戦が出来ません。

 

鎧と槍だけで戦う徒歩ならいざ知らず、甲冑に騎馬ぞろいの200石クラスの武人なら、家来も必要です。
もちろん、馬も必要です。

 

時に1匹ということは出来ません。
替えの馬も必要です。
馬に乗るのは、現代なら高級車を維持するより大変だったと思います。

 

それ以上に、刀剣ですね。
太刀や刀も1本ではダメです。
折れることがあります。
予備の刀も用意が必要です。

 

それに、身分が高いと、刀だけでなく、腰に短刀もないと、不細工です。
江戸時代のように、腰に脇差は差していません。
正面に、短刀を差しています。

 

短刀とは、1尺未満の短い刀です。
腰に差すのは、腰刀といい、もっと短く着物の中に入れるタイプもあります。
こちらには、世に言う「懐刀(ふところかたな)」や「懐剣」ですね。

 

脇差とは、1尺以上2尺未満の刀です。(ただし、2尺以上と書かれているものが多いですね。2尺なら何になるのでしょうね。)
少し用途が違います。

 

腰に短刀を差すのは、戦国時代の習いです。
江戸時代は、刀と脇差の2本差すのが武士の習いです。
俗に、武士の事を、「二本差し」と呼びます。
主家を持たない浪々の身なら、刀だけです。
それも時に、本身でなく、竹光のこともありますからね。

 

江戸時代には、戦国の世と違うアイテムがいろいろあります。
髭もそうと言えます。
戦国時代には、髭武者はいましたが、江戸時代になれば、主家に仕える武士に、髭はありません。

 

ご法度です。
隠居した武士なら、髭もあるのかもしれませんけどね。
大抵は、髭をそります。

 

戦国の世とは違うと言うことを、形した触れが幾つも出ますね。
城の色もそうです。
戦国時代は、黒です。
江戸時代は、白がお城の色です。

 

家康公のこうした安定した江戸幕府の統治に力を入れます。
短刀も、だんだんと腰に差されなくなりました。
身分の高い人ならいざ知らず、お家の宝です。

 

お家の大事が発生したとき、その大名は責めをとり、お家断絶、身は切腹です。
切腹には、短刀が使われます。
お肉通しなどとも、言われますね。
内蔵助の言葉を思い出します。

 

細川家の至宝展にあった「日本一則重」の短刀は健全です。
よく磨がれています。
もともと筍反りと言われる形ですが、写真から見ても、よく使われた感じがします。
筍みたいな形の短刀です。

 

それだけ使われた刀とも言えます。
主人を守る刀もあります。

 

吉光の短刀は、主人を守るという縁起のいい刀です。
畠山政長が戦利にあらず、切腹しようとすると吉光の短刀が刺さりません。
家臣が臆したものとして、自分の信国の短刀を貸します。(信国こちらも名刀が多いです)

 

放り投げた吉光の短刀は、鉄の薬研(やけん)に刺さったといいます。
主人の死を留めたとして、この名刀は薬研藤四郎と呼ばれます。
吉光は藤四郎と呼ばれることがあるからです。

 

大名家は、こぞって欲しがります。
それほどあろうはずもありません。

 

本阿弥家を通じて、吉光だの、正宗だのという刀が、恩賞に使わされます。
偽者、いえいえ、鑑定家の本阿弥家が、折り紙付けたのです。
偽者も本物に早代わりです。

 

粟田口藤四郎吉光とは言っていません。
土佐吉光もあります。
正宗という刀工も多いです。
あの相州五郎入道正宗とは言っていません。
 
それは、お客さんの勘違いです。
正宗の太刀や短刀は、無銘が大半です。

 

正宗は、鎌倉幕府の元にあった刀工の頭です。
正宗ファクトリーの体表者です。
正宗十哲と呼ばれる弟子が、刀作に当っています。

 

たまに自分でも、短刀なら作ったかもしれません。
その場合でも、納品先は決まっています。
ですから、銘は入れないということのようです。
特に身分の高い人の贈り物なら、銘を入れません。

 

時々、市販品を作ることもある。
この時には、銘を入れるとも聞きます。

 

異様な方の刀もあります。
それが、庖丁正宗です。
三振存在します。

 

過去の記事でも紹介しています。
名物庖丁正宗を観る。(上)
名物庖丁正宗を観る。(下)
有名なのは、樋の入っている穴あきの庖丁透し正宗です。
イメージ 1

今回の展示は、大人しめの庖丁正宗です。
それでも国宝です。
その存在は、大きいですね。
それを間近で見られました。

 

梵字が彫られています。
カーンですね。
不動明王さまを表しています。
それにしても、相州の短刀のイメージそのものですね。
やはり、名刀ですね。

 

当時、庖丁というの短刀の流行が、あったみたいですね。
鎌倉末頃に流行があり、藤四郎吉光にも、庖丁藤四郎というのがあるとも聞きます。
行光の短刀にもあると聞きます。
どちらも見た事がないです。

 

どんな身分の高い御仁が、腰に差したのでしょうね。
身幅の太い担当なら、拵えも太くなります。
今回展示にも、りっぱな拵えが一緒に展示されていました。

 

こんなの腰に差したら、どんな気分でしょうね。
想像の産物です。
腰に憶越えの短刀は重過ぎます。

 

我が家にも庖丁ならあります。
鋼作りの堺の名刀・直次郎です。
まな板まで、刺さります。
これで充分です。

 

これで旬食材を調理して、晩酌タイムを楽しみます。
「楽しみハ 鼻の下」ですからね。
秋の旬を充分楽しみたいです。

 

ありがたいです。
健康で食事が出来て、晩酌が楽しめる至福です。

 

ありがたい仏縁に感謝しています。
ありがとさんです。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、単刀直入にはならない話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。