''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

新米 京都産丹波 こしひかりを食らうより。

昨日の遅い帰宅は、雨でした。
秋空が続いていたので、安心していましたが、雨の日もあります。
日々の暮らしの中に、いろいろなことがあります。

人生の岐路を感じます。
一体どうしたらいいのかと、思することも多いです。
つまらないことに、いらいらしたり、うじうじしたりしています。
凡夫のサガですね。

フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの言葉に、「人間は考える葦(あし)である」と言うのがあります。
あしと言うと、足の方を思いつくかもしれません。

葦(あし)というより、葭原の葭(よし)ですね。
あしと言うと、「悪し」に繋がります。
それを逆転の発想で「良し」に替えます。
硯(すずり)箱は、当り箱で、スルメはアリタメですね。

パスカルの言う葦と言うのは、弱いものの代表です。
風が吹けば、すぐに倒れる。
弱いものです。
しかし、それにも関わらず、時間が経ては、また元のとおりの葦に戻ります。
この辺の繰り返しが、人間に見立てた比喩の表現かもしれません。

つまらないことに引き吊られないようにしないといけません。
この世は、仮の「空」です。
いらいらしたり、うじうじすることも、架空の出来事のはずです。
それに、心がとどまり、不愉快な気分を引きずります。

そう分っていても、なかなか現実の生活の中で、達観した気分で過ごすことが出来ないのも、凡夫のサガです。
何か美味いものでも食べて、気分を変えないといけませんね。
イメージ 1

先日、近くのスーパーで新米を購入です。
京都丹波産のこしひかりです。
今年は、東日本大震災の影響で、米の価格も高い目と感じます。
米所に、地震原発放射能とくれば、被害の拡大は当然の事です。

しかし、丹波でもこしひかりとは、意外です。
ここ数年で、米を買うようになりました。
それまでは、郷里から米が届いていました。
家で細々と作っていたからです。

しかし、父母も高齢のため、稲作の方は、止めているようです。
それも仕方ないです。
時々、小芋やサツマイモなどは、作っているみたいで、送ってくれます。
市販品と違い、無農薬ですから、安全で美味いし、早く煮えます。

それでも、新米という言葉を聞くと、美味そうに感じます。
少し水分を少なくして炊かないと、べっちょりします。
それにしても、炊き立てのご飯は、それだけで美味いです。
日本人に生まれて来て良かったと、感じる瞬間です。

それに焼き魚、味噌汁、香の物と来れば、極楽気分ですね。
米には、こうした特別の感覚が強いです。
歴史的にも、白いごはんを、腹いっぱい食べて来られた日本人は少ないはずです。
そう思うと、今は極楽ですね。

映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』の中で、翻訳した見返りに、廓に出かけ、どんちゃん騒ぎしています。
芸子も酒もたっぷりあります。
もちろん、ご馳走もいっぱいです。

その中、仲間の一人が、出て来た白いごはんを、それだけで食べています。
そして、坂本に聞きます。

「これは、何という食べ物じゃ」
「米だ」
「こんなうまいもん、食ったことがない」
と言いながら、芸子や周りのご馳走にも振り向かず、一心に白米を食べています。

米は作るもの、年貢として納めるもの、食べるものではなかった下級武士の暮らしが見えます。
何を食って暮らしていたのでしょうね。

稗粟の雑穀でしょうね。
今では鳥の餌ですね。
まー、粟お越しは今でも、大阪名物です。
ショウガの聞いた甘くて硬い懐かしい味です。

♪今日のお越しをありがとう、岩おこし、粟おこし、ようおこし~
松竹芸能の「パート2」さんの最初のさわりを思い出します。

今は、大名並の暮らしですね。
家は、小さいけれど、人の暮らしに、それほどの差はないですね。
それを思えば、ありがたいです。
食事も、大金持ちだからと言っても、やはり米は食べます。
値段は違っても、米に違いはありません。

ありがたい暮らしと感謝しています。
上を見ても、下を見てもキリがないです。
自分の分にあった暮らしが、あるだけです。

私はありがたいことに、仏縁を頂いています。
日々の暮らしの中、ささやかな喜びを見つけています。
身近にあるんです。

花を見て、月を見て、旬の食材を食らい、酒を呑む。
至福じゃないですかね。
ありがたいと感謝しています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすが、願いです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈ります。

最後まで、面白くないまんまの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。