''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

日本一の則重の名刀を鑑賞するより。

雨も少し降った日曜日になりました。
昼餉に、我が家では、餃子を焼きました。

熱々パリパリの餃子に、発泡酒が進みます。
王将の生餃子を、3人前買って来て、今日の昼餉に頂きました。
いつも、我が家では、生を買って来て、家で焼きます。
餃子焼くのは、得意です。

王将の店のバイトさんにも、負けないですね。
自分好みがあります。
少し強い目に焼くのが、好きですね。
もちろん、天使の羽根も付いています。

発泡酒の美味いこと、うまいこと、ビールでも同じでしょうね。
ビールと焼き餃子は、ベストかも知れません。

♪ここのスシ屋は日本一 スシ食いねェ~
シブがき隊の歌が思い浮かびました。

まさに、今日の餃子は日本一です。
王将の餃子はよく出来ていると思います。
あの値段では、美味しい餃子を手軽に頂けます。

如何せん、店に寄って焼きの技術がバラバラです。
脂っこかったり、焼きが甘かったりしています。

焼きと言えば、やはり日本刀です。
日本刀の名刀と言えば、数あれど、日本一と言うのは、日本一則重の短刀です。
因みに黒田節で有名な日本号(にほんごう、または、ひのもとごう)は、天下三名槍と呼ばれる有名な鑓もあります。
しかし、日本一とは言われていません。
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『新・日本名刀100選』佐藤寒山著 秋田書店出版

日本一と言えば、則重の短刀です。
細川家の至宝、永青文庫の所蔵品にあります。
細川護立氏、愛蔵の一振りです。

則重は、新藤五国光の弟子であり、行光や正宗とは兄弟弟子になるようです。
新藤五国光の父は、国綱です。
あの粟田口国綱(評価値2000万円)です。
本名、藤林六郎、通称・藤六郎、又は左近将監と役職で呼ばれます。
ご存知池波正太郎ワールド「鬼平」、長谷川平蔵の愛刀でもあります。

晩年に出来た子が、新藤五国光(評価値1200万円)です。
鎌倉幕府により、山城から相州に招聘されます。
相州の刀は、ここから花開きます。
弟子に、正宗、その父・行光が、大輪を咲かせます。

相模国鍛冶の系譜も定かではありません。
諸説色々あります。

祖は、貞国と書かれているものもあります。
鎌倉鍛治として、備前三郎国宗を祖といるものなどがあるようです。

いずれにせよ、備前から移った助眞・三郎国宗、それに山城から移った国綱、この三刀工が、相州物の開拓者であったことは、間違いないと言われています。

しかし、正宗が相州五郎入道正宗として、相州伝の本流であることは、否めません。
この正宗の下に、正宗十哲と呼ばれる高弟の各地に散ることにより、刀剣の世界に大きな影響を与えたことは、間違いないです。

何ゆえ、新藤五と呼ばれているのかは、明確な説明を探すことは出来ません。
新藤五の前に、もう一人国光が居た様子もありますね。
二代目の国光で、新藤五国光でしょうね。
刀の銘にも、「鎌倉住新藤五国光」と自分でも、そう名乗っています。

氏姓は、藤林ですからね。
姓を村と記されているものもあります。
ですから、藤○郎と呼ばれることが多いですね。
だとすると五郎か、六郎(新五郎)かになる予想ですね。

山城の粟田口、刀工の血筋で、間違いないです。
この流れの中に、日本一の則重が、存在します。
則重(評価値2000万円)は、本名は佐伯九郎三郎です。
一説には、五郎次郎(二郎)と称していたようです。
越中国婦負郡御服に住していました。

則重の太刀は少なく、短刀の名手とも聞きます。
師匠譲りの短刀の名手として、世に聞こえます。
日本一則重を見れば、よくわかりますね。

則重の短刀は、小ぶりの物が多く、この短刀のように、筍反りの鋭い形をしています。
この形は、則重だけの特徴のようです。
他にも、無反りの短刀が多いようですね。
後世、この則重の短刀を真似て、筍反りの短刀が、幾度と作刀されたようです。

よく言われる松皮肌や重則肌と言われる特徴までは、はっきりと確認出来ませんでしたね。
それはそれで、じっくり鑑賞しましたけどね。
やはり、名刀です。
名刀には、何か引き込まれる魅力があります。

文章の中に出てくる評価値は、売買価格ではありません。
評価の値段です。
不景気の現在、日本刀の値段は下がっています。
実売価格なら、評価値の1/3か1/2以下ですね。
あくまで、太刀や刀の値段で、脇差や短刀なら、値段も下がります。

しかし、それに国宝やら重要文化財などという肩書きが付くと、値段も変わります。
もちろん、本物という証明書が付くと、値段も上がります。
過去に、日本刀ブームがありました。
昭和40年代後半ですね。
景気の動向によって、日本刀の価値も変わります。

本来、普遍的なものであるはずです。
しかし、日本の終戦時には、GHQの接収もありえました。
華族制度の崩壊などで、社会の混乱期に、こうしたお宝が放出されます。

名家に伝わるお宝が、外国に流れずに良かったと思います。
細川家の護立氏の功績は、甚だ偉大です。
細川の家だけでなく、日本の文化に大きく影響された方だと、尊敬の念を抱きます。
日本一に相応しい名家の意義が、この至宝展で遺憾なく発揮されたと思います。
一人でも多くの方に、日本の歴史に対する思いを強くしてもらえばと、痛感しています。

今あるは、過去の時代の偉人があればこそです。
脈々とつながる文化を、お宝と共に、その精神も伝えることが出来るといいですね。

ありがたいと感謝です。
この縁に繋げて貰ったことにも感謝です。

ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
ありがたいと感謝しています。
いろんな縁が、私にもあります。
この日本一の縁にも感謝です。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、刀工の話をタンと出来た話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。