''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

カレーな鍋で、立冬も温まるより。

朝は、いつもより寒かったですね。
昼間も風が冷たかったです。
スクーターに乗っていると、季節の替り目が、はっきり分る瞬間があります。
毎日、乗っているといろんなことを気付きます。

その最たるモノは、気温ですね。
同じ時間に通勤するわけですから、風景や気温の変化に敏感になります。
そんな季節の感じ方もありです。

今日は、立冬でしたね。
立冬は、二十四節気の第19番目と解説を見つけました。
後残りは、「雪」だの「寒」いだの、冬至も含めて、いかにも冬の節気が残り5つになりました。

遅い帰宅に肌寒いと感じることがあります。
暖房を入れるほどでは有りませんが、足元がすうすうします。
めんどくさがりの私は、今日コタツを出しましたね。

もちろん、スイッチはONするにはまだまだです。
タツ布団だけでも、充分です。
節電モードの我が家では、多分12月も中旬にならないと、スイッチオンはないですね。

タツはいいです。
子供の頃は、コタツが大好きでしたね。
冬という感じがしていました。

みかんを食べながら、テレビを見る。
そんな風景がありましたね。
年末の紅白もレコード大賞も、コタツに入って見ていました。

今では、晩酌タイムにコタツはいいですね。
エアコン効かせた部屋で、テーブルで頂く晩酌とは、一味違います。
そんな少し寒い季節には、鍋ですね。
昨日のおでんといい、冬を楽しめる料理です。
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まだまだ寒い寒いという気温ではないので、まずは発泡酒です。
それならと、鍋もカレー鍋にしてみました。
普通の水炊にカレーのルーを入れただけです。

豆腐とカレーの相性いいです。
白菜やキャベツとの相性いいです。
私の中では、豚肉とあわせるのが、一番合うと思います。

牛肉なら、カレーうどんのイメージです。
揚げさんなら、余計にそう思いますね。
鳥でも悪くないですね。

野菜もたっぷり摂れます。
味は、カレー風味と言う感じでカレーライスのほどこってりさせていません。
さらさらのカレー鍋です。
これには、青ネギが合いますね。

発泡酒だけでなく、日本酒にも合う様に、和風の出汁も少し効かせます。
油が強くないように、あっさりと仕上げると、日本酒でも頂けます。
豆腐がカレーと合間って、独特の風味がありますね。
辛さは、気持ち強い目です。
もちろん、イチラーですから、一味唐辛子もフリフリします。

写真用に少し大きめの器に盛り付けています。
土鍋でこさえて、トン水に入れても、大きな丼に入れても、食べ答えあります。
やはり豆腐がうまい。
最後にうどんを入れもいいし、ご飯を入れてカレーおじゃにしても美味いです。

カレーというのは、不思議な食べ物です。
うどんにしても、パンにしても、ごはんにしても、合います。
洋食かと言えば、そうとも言えません。

蕎麦屋で頂くカレーうどんやカレーそばは、出汁の旨味と葛で溶いたとろみが、絶妙です。
あれは、蕎麦屋で食べないと、あの味は感じられません。
小ライスも付けたくなります。

何にでも対応出来ますからね。
まるで、お釈迦さまの待機説法みたいですね。

どんな方にも、最良の方法があるはずです。
それを瞬時に見極める術がおありなのでしょうね。
罪深い凡夫には知る術もありません。

誰とでも、すぐに打ち解けられる方もおいでです。
なかなか私は、好き嫌いが激しいです。

この方が自分に合うのか合わないのか、感じることが強いです。
合わない方とは、距離と取ります。
それもトラブル回避の方法です。
最良の方法でないことは理解しています。

世の中には、話して分かる方とそうでない方がおいでです。
犬養首相ではないけれど、「話せば分かる」と言えませんね。
お釈迦様は、そんな中で、その人に合った方法で説法されるわけです。
人によりその道のりや方法は違います。

「分け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな」
一休禅師の作と伝わっていますが、やはり禅の修行者、上手いことおっしゃいます。
目的が決まっているのですから、方法は無数にありますね。
それの一番の方法を説いて下さるわけですね。

極端な道のりではなく、極普通の道を進ます。
中道の道のりです。

仏の道とは、どんな道でしょう。
家の前にある道です。
その道じゃないと言われそうですね。

でも、その道も家の前の道も同じ道だと考えています。
特別な修行の中に悟りはありません。
日々の暮らしの中にこそ、仏の真理もあるはずです。
人間の暮らしの中にあらずして、どこに有りましょうかね。

日々の暮らし、それが人としての修行です。
本を読むのも、寝起きするのも、食事をすることも、大切な修行です。
日々生きていることが修行ですね。
ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。

生きているのでなく、生かされています。
何かの使命があるはずです。
それを見つけることが、日々の暮らしの中にあります。
自分の自問自答して暮らしています。

日々の暮らしの中で、「よかった」を探そうと日々暮らしています。
つまらないことでも、ありがたいと感じることは多いです。
静かに手を合わせます。

それでも、日々の暮らしに、イライラ虫やウジウジ虫は、心にすぐに沸いてきます。
それを取り去り、取り去りしながら、暮らしています。
「耐えーよ」(赤いハンカチは不要です。ジャケットの内張りに「拍手!!」の刺繍も要りません)
柔和忍辱の衣を身にまとい、月にかかった叢雲(むらくも)が通り過ぎるのを、じっと待ちます。

世の中は 月にむら雲 花に風 思うに別れ 思わぬに添う

私の好きな和歌です。
うすゆき物語に出て来ます。
過去の記事にも書いています。

要は人生と言うのは、上手く行かない事が大半です。
毎日がハッピーな事ばかりではありません。
てすから、アンハッピーの中で、如何にハッピーな出来事を探すのかです。

「あーよかった」と思えることが日常にあります。
花を見て、月を見て、鍋を食らいて、酒を呑む。
幸せです。

ありがたいことだと感じることに感謝です。
今日も生かせて貰っています。
ありがたいです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすのが、願いです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、黄色いハンカチならぬ黄色い鍋の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。