''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

なか卯の牛丼食べたくなって より。

朝から雨降りの京都伏見です。
雨音にふと目が覚めました。
今も強く降っています。

昨日の遅い帰宅時には、ポッポッしていました。
家に着いた頃から、雨音が強くなりました。
雨に当らずに帰って来られたのも、やはり観音さまのお蔭です。
ありがたいことです。

この前の休みの日に、大手筋商店街に買い物に行きました。
京都伏見では、一番大きな商店街です。
銀行も何行もあり、大抵の用事はここで済みます。
お使い物の菓子やお酒、それに大手スーパーもあり、日常の生活品は揃います。

少し坂になっている商店街です。
もちろん、アーケードも備えた大規模な商店街です。
こんな雨にも当らず、買い物が出来ます。
京阪電車もこのアーケードの端にあり、雨には当りません。

用事を済ませ、ふと見るとお昼を過ぎた1時半頃です。
空腹です。
前に見かけたのは、なか卯の看板です。
牛丼が久しぶりに食べたくなりました。

なか卯は「元気になるごはん」を提供すると言うのがキャッチフレーズです。
それも、和風というテイストを前面に出して、他社との差を意識しています。
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和風牛丼と小サイズのはいからうどんのセット(390円)です。
なか卯に入るには、もう一つ理由があります。
うどんですね。

冷凍うどんだと思いますが、よく出来ています。
大きいサイズを食べると、満腹になるので、いつも牛丼と小さいはいからうどんです。
これが、自分に合った何ともいい昼ごはんの分量です。
牛丼も、和風テイストで少しあっさりしています。
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牛丼と言えば、紅ショウガです。
これをたっぷり乗せます。
まるで、紅ショウガ丼と言うくらい乗せたいです。
ショウガは、食すると体が温まります。

味は、吉野家の紅ショウガの方が上です。
確かに、牛丼の味付けも上では、吉野家が口に合います。
少し甘い目のタレが、牛丼のイメージとマッチする刷り込みですね。

しかし、吉野家には、小はいからのうどんは無いんですよね。
これと一緒に食べるなら、やはり、なか卯です。
うどんの魅力です。

関西では、天かすを入れたうどんを、はいからうどんと呼びます。
駅の立ち食いうどんでも、サービス無料で置いてあるところも、多いです。
確かに、天ぷらうどんほどこってりしなくても、油のコクが出てうどんが美味く感じます。

関東なら、タヌキでしょうかね。
タヌキもいろいろあります。
「天かすそば」だったり、「きつねそば」だったり、京都なら「あんかけうどん」のショウガを天に乗せたものです。

好き嫌いのあるメニューです。
私は苦手です。
麺が柔らかくなった感じが苦手です。
味は嫌いではありません。

京都の冬は、底冷えの寒さです。
盆地独特の寒さです。
そんな時にあんかけで、冷めにくいたぬきうどんが、好まれます。
確かに食べた後は、ショウガとあんの加減で、体はほこほこです。

しかし、関西では、やはりたぬきと言えば、天かすそばのイメージですかね。
はいからとは、いいネーミングです。
字なら「ハイカラ」とカタカナにした方がいいですね。

アニメの方で「はいから」というと「はいからさんが通る」ですね。
「はいからさん」こと、おてんば娘の主人公・花村紅緒(はなむら べにお)と、ハンサムで好青年の青年将校・伊集院忍(いじゅういん しのぶ)の恋花ですね。
それも、許嫁(いいなずけ)という関係です。
少し切ない恋愛ものですね。

1987年には、南野陽子さんを主演とした映画版も出来ましたね。
私ら世代には、南野陽子さんはまぶしかったですね。

今も時々テレビで見ても、いい年のとり方です。
今でも、充分素適ですね。
私達世代の星、いえスターですからね。

そんなこんなで、はいからという言葉と、特別な思いがあります。
はいからさんは、伊集院忍の事を「少尉」と呼びます。
階級ですからね。

将校の中では、一番下の階級です。
明治の初めには、少尉の上は、大尉です。
少将の上は、大将です。

後に、中尉や中佐や中将(ちゅうじょう)と階級が出来ます。
これは、もともと朝廷の官位の中に、少尉、大尉と言う二種類しかなかったことに由来します。

例外は、中納言位でしょうかね。
大納言と少納言の中間です。

難しい階級の話になってしまいました。
そこには、イエローカードの「注意」(中尉)が入った感じです。
ショウガに入れすぎにも注意です。
あまり入れ過ぎる注意されそうです。

でも、牛丼には、紅ショウガが必要です。
無心になって、口中に放り込みます。
たまに食べた「なか卯」の牛丼と小はいからうどん、美味しゅうございました。
値段も満足な気持ちも、サンキュウーです。

日々の暮らしの中、いろいろなことがありす。
嫌な事も多いです。
不愉快なことも多いです。
それも、日々の暮らしです。

生きているのでなく、何かの生かされています。
私の場合には、ありがたい仏縁を頂いていると感謝しています。
ありがたいです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それが願いです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、牛すればどうする話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。