私のブログに時々訪問して下さる、「けやんた」さんのお薦めのかつ丼です。
場所は前から知っています。
けやんたさんは、出前されてようですが、私は店に向かいます。
折角なら、出来立て熱々を食してみたかったからです。
場所は前から知っています。
けやんたさんは、出前されてようですが、私は店に向かいます。
折角なら、出来立て熱々を食してみたかったからです。
この食堂の存在は知っていましたが、一度も中に入ったことが無かったです。
ドアーを開けると午後2時前の事、客はいません。
それを狙って着ました。
ドアーを開けると午後2時前の事、客はいません。
それを狙って着ました。
座ると熱い緑茶を頂きました。
定食屋と言うと、ほうじ茶のイメージです。
緑茶は新鮮なイメージですね。
定食屋と言うと、ほうじ茶のイメージです。
緑茶は新鮮なイメージですね。
もちろん、オーダーは「かつ丼」(690円)です。
かつ丼と言うと、カツを玉子でとじた物を想像します。
その場合には、このお店では、「かつとじ丼」が、これに相当します。

カツと玉ねぎのシンプルなものです。
振られているのは、山椒ですね。
玉ねぎと丼汁を煮込んで、それをごはんにかけた「かつ丼」です。
かつ丼と言うと、カツを玉子でとじた物を想像します。
その場合には、このお店では、「かつとじ丼」が、これに相当します。

カツと玉ねぎのシンプルなものです。
振られているのは、山椒ですね。
玉ねぎと丼汁を煮込んで、それをごはんにかけた「かつ丼」です。
カツは、サクサクしています。
一口かじると、動物性の脂の香りです。
お肉さんの揚げ物の匂いですね。
食欲をそそられます。
一口かじると、動物性の脂の香りです。
お肉さんの揚げ物の匂いですね。
食欲をそそられます。
丼汁も、濃くありません。
ごはんとカツが、ばらばらにならない程度に、丼汁がかかっていると言うほどです。

カツをかじると、あれって思いましたね。
「ヒレ」の部位かなってね。
サックリと歯で噛み切れます。
ロース肉では無いような気がしましたね。
ごはんとカツが、ばらばらにならない程度に、丼汁がかかっていると言うほどです。

カツをかじると、あれって思いましたね。
「ヒレ」の部位かなってね。
サックリと歯で噛み切れます。
ロース肉では無いような気がしましたね。
バビル二世なら、怪鳥ロプロス、ロデム、ポセイドンと言うことになりますね。
もともと、今の伏見稲荷大社は、藤森神社の境内です。
それを伏見稲荷の神さんに騙されて、摂られたということになります。
この下りは、過去何度も記事にしています。
もともと、今の伏見稲荷大社は、藤森神社の境内です。
それを伏見稲荷の神さんに騙されて、摂られたということになります。
この下りは、過去何度も記事にしています。
伏見稲荷大社は、この1300年の間にいろいろなことに有ったと言えます。
しかし、境内の問題では、藤森神社と正式な手打ちはあったとは聞いていません。
長いバトルと言えます。
藤森神社さんは、それ以前に山城の神として、鎮座されていました。
一応、伏見稲荷大社に参拝してなら、藤森神社さんにも、参拝するのが、礼儀としてあるようです。
しかし、境内の問題では、藤森神社と正式な手打ちはあったとは聞いていません。
長いバトルと言えます。
藤森神社さんは、それ以前に山城の神として、鎮座されていました。
一応、伏見稲荷大社に参拝してなら、藤森神社さんにも、参拝するのが、礼儀としてあるようです。
私も、好物ではありませんが、あの雀の焼ける匂いは、格別です。
バリバリした歯ごたえを楽しむもので、味はそれほどでもないです。
バリバリした歯ごたえを楽しむもので、味はそれほどでもないです。
【意釈】夕方になると、野辺を吹く秋風が身にしみる。あー、鶉が鳴いている、この深草の里になぁ。
ネットで調べると、「鶉(うづら)鳴くなり」とは、伊勢物語123段、男に捨てられ、鶉に化身して野で鳴いていようと詠んだ女を暗示しているとあります。
派生した和歌に定家卿のものもあります。
「深草の 里の夕風 かよひきて 伏見の小野に うづら啼くなり」
「うづら鳴く 夕べの空を なごりにて 野となりにけり 深草の里」
平安の頃、東山から深草辺りは、高級別荘地でした。
今では、嵐山や小倉の方が、別荘地に感じますが、平安の御世は、B級貴族の別荘地です。
定家卿も、小倉でなく、深草に別邸があれば、深草百人一首となていたかもしれませんね。
今では、嵐山や小倉の方が、別荘地に感じますが、平安の御世は、B級貴族の別荘地です。
定家卿も、小倉でなく、深草に別邸があれば、深草百人一首となていたかもしれませんね。
和歌の道、それは恋の道でもあるかもしれません。
季節に、恋に、和歌の世界は奥が深いです。
私は、そんな地の近くに住まいしています。
秋の夕暮れ、とまやのような貧家な長屋暮らしですが、それなりに趣きがあります。
季節に、恋に、和歌の世界は奥が深いです。
私は、そんな地の近くに住まいしています。
秋の夕暮れ、とまやのような貧家な長屋暮らしですが、それなりに趣きがあります。
やはり、和歌なら、私も派生したものを詠みましょう。
「夕餉には 龍田の味の タレしみて 鶉焼くなり 深草の里」
鶉も玉子だけでなく、肉も美味いと聞きます。
小さいですからね。
食べる所も少ないです。
小さいですからね。
食べる所も少ないです。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せが存在します。
ありがたいことです。
私は、ありがたいことに仏縁を頂いております。
ありがたいことです。
私は、ありがたいことに仏縁を頂いております。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。
最後まで、雀のお宿、舌切り雀のような話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。