''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

発泡酒の代用品、「プライムドラフト アルコールフリー」意外にいけます より。

朝から、日差しが強いです。
裏庭のプチトマトにも、その光が射しています。

11月も今日で最後です。
今年も残り1ヶ月になったという事です。
いろいろあった一年です。

私には、激動の一年でもありました。
こんな年も珍しいです。
残りの1ヶ月をどう過ごすかで、この後の人生にも影響します。
迷いがあるのも、人の常です。

そんな思案の中、アルアルタイムの晩酌をしながら、自分と向き合うことも必要な時間です。
そんな中、昨日は週に1度の休肝日です。
炭酸中毒の私としては、炭酸飲料が飲みたいです。
0カロリーで、あれば嬉しいです。
それに、ノンカフェインであれば、もっと嬉しいです。
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昨日は、よく行く百均とは別方向から帰宅しましたので、とりあえず入ったコンビニで、目的物を物色していました。
あれ、ノンアルコールの飲料を105円で見つけました。
発泡酒でよく見かける韓国のメーカーの「プライムドラフト」です。

即にゲットして、いつも呑む発泡酒の代用品にしました。
意外に、あっさりして、ビールの代用品でなく、発泡酒の代用品というに相応しい味わいです。
キリンやアサヒのアルコールフリー商品とは、方向性が少し違います。

カロリーも100mlあたり19kcalと、炭酸飲料にしては低カロリーです。
甘さも控えめ、コクも控えめで、飲み物としてもいけますね。

特に私の食事に合うと言えます。
意外な発見です。
それも、105円が嬉しいです。
炭酸飲料として、また購入してみたいです。

これも呑みすぎは注意です。
麦芽を使っていますから、プリン体は多い目です。
アルコールが入っていない分、体への刺激は少ないもの、痛風患者としては、あくまで代用品として、上手に利用したいです。

それも知恵です。
仏教では知恵といえば、原語はParaj(般若)でとあります。
般若心経の「般若」ですね。
「最高の知恵」という意味のようです。
川島や金田のお笑いコンビの「はんにゃ」とも共通します。

笑いも知恵ですからね。
コンビ名に「ん」が入ると売れるというジンクスがあるようですが、まぁ、それもいいかもしれません。
知恵にも近い言葉に、方便というのがあります。
これも仏教用語です。

嘘も方便の方便です。
それも広い意味では、知恵ですね。
嘘をつきなさいと言うのでなく、一つの選択肢を増やし、物事の固執を回避させてくれる知恵です。

お酒を「般若湯」と呼びますね。
坊さんが酒を呑むことは戒律に反します。
それでも、呑みたくなるのが人の常です。
寺の門前に「葷酒山門を入るを許さず」と書かれても、裏門には書かれていません。

それは屁理屈です。
しかし、酒を呑まずして、呑んだものの気持ちは理解できません。
大酒は体を壊しますが、楽しみ程度なら、こっそり呑むなら、それも認めます。
暗黙の了解があるのでしょうね。

でも、「般若湯」という言葉があるのは、事実です。
表と裏、建前と本音、かならずあります。
それも、上手な知恵かもしれません。

過去に書いた記事の、[山へ行くのか、川へ行くのか、そんな問いに、空へ行こうよと、不思議話の寒山拾得の話を思い出します。]
書家の榊莫山先生が、よく描かれていますよね。

法華経の方便品第二に、「諸仏の知恵は甚深無量なり。唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり」と説かれています。

道元禅師は『正法眼蔵』にも記されているようです。

仏の覚知した「諸法実相」の理は、とても深く、決して言語表現できるものでないから、言葉をだけをたよりに物事を理解しようとする私達凡人には、到底理解することはできない。
そんな意味なんでしょうね。

言葉だけで理解できないのか、仏の世界です。
言葉の裏に隠された妙義が、そこにあります。
すべての物事は、見える法の世界と、見えない妙の世界から、成り立っています。
陰と陽の関係でしょうかね。
表裏の関係でしょうかね。

見えるものすべてではありません。
見えないものにも、真実はあります。
有るか無いかでなく、見えるか見えないかの問題でしょうかね。

アルコールが入っているか、入っていないかを、缶の表記でしか判りません。
コップに注がれたのが、ビールか発泡酒か、ノンアルコールドリンクか、見た目では判りません。
匂いという見えないものや、味という見えないものを使って、しか判りません。
数値にして表す機械なら、それもあるでしょう。
一々、物事にそれが何であるか示す機器を持ち歩かないと、判らないほどことは、無益です。

そんな嘘や方便の入り混じった世界に、私たちは暮らしています。
何が幸せで、何がそうでないのか、相対的なものでしかありません。

ですから、上を見ても下を見ても、キリがないです。
今ある暮らしの中で、ささやかな幸せを見つけます。
日々の暮らしに落ちています。
拾うか、拾わないかです。

絶対的な幸せはありません。
金持ちになっても、不安や迷いはあります。
心配事も耐えません。

それは、どんな暮らしでも変らないと思います。
今日、心穏やかに過ごせることが、一番の幸せです。
貧家の暮らしも、住めば都で楽しいです。

茶があれば茶、飯があれば飯、酒が有れば酒、なればないで、それも楽しめます。

ありがたいことに私は仏縁を頂いています。
ありがたいと感謝しています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それが願いです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、トークフリーな話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。