''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

寶塔寺さんに初詣より。

昨日は、大阪の天満宮に初詣しました。
今日は、京都での初詣です。
これも因縁です。
京都には、数知れないほど多くの参詣する寺院仏閣があります。

我貧家の前の路地を出れば、伏見稲荷大社に通じる参道です。
この時間でも、多くの方が参拝に向かわれたり、帰ってこられたりしています。

本町通りを伏見稲荷大社の方に眼やれば、すでに人の動きが見えます。
大社の大鳥居の辺りでは、すでに人がうじゃうじゃ動いてるのが、見えます。
通りが人で真っ黒です。

正月3日にして、人出は多いですね。
昨日は、午前中の雨で、参拝を控えた方が多かったようです。

そんな人出とは正反対に、東に歩みをとります。
そこは、宝塔寺さん(日蓮宗妙顕寺派)です。
日蓮宗の聖地でもあります。

日蓮さんの高弟のお一人、日像菩薩さんが荼毘された場所です。
日像上人は、康永元年(1342)妙顕寺にて入寂されますが、当寺において荼毘に付されたようです。

もともと、真言宗極楽寺(開基は、関白藤原基経)を前身とお寺です。
それを、延慶年間(1308-10)、日像上人により真言宗から、日蓮宗に改宗された経緯があります。

極楽寺と言えば、源氏物語にも出てくる由緒のあるお寺と聞きます。
極楽寺は、広大な敷地を有していたようです。
町名にも、未だ極楽寺町という名が残っています。

極楽寺と言えば、かつて藤原時平もその主の1人です。
時平卿と言えば、道真公を左遷された張本人です。
昨日は、天神さん、今日は、旧・極楽寺と、深いご縁です。

寺院の名前の通り、京都市内に現存する市内最古の多宝塔(重要文化財)が残っています。
大変立派な多宝塔です。
古都京都にあって、最古の多宝塔ですよ。
あまり有名ではありませんので、参拝者も少なくてゆっくりと初詣が出来ます。

日像さんと言うのは、京都において最初に日蓮宗の布教の礎を築かれた方ですね。
活動から27年という歳月を、流罪も幾度となく受けようとも、正式に幕府と朝廷に認めさせた苦労人です。
今では、日蓮宗大本山が幾つもあります。
最初のその一歩は、大きな意味があります。
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この宝塔寺さんに来たのは、このお寺の裏山中腹に、七面大明神が祀られています。
七面大明神さんとは、法華経保護の吉祥天である七面天女さんのようです。
ここにも初詣しました。

その参道の途中に、その母親である鬼子母尊神さまがお祀られています。
もちろん、こちらにも参詣です。
紋どころは、ザクロです。
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鬼子母尊神がお釈迦さまに帰依された時、人を食らうことを辞めます。
ザクロが、人の肉の味に似ているとの言われがあり、それを食されていたようです。
真実の程は分かりませんが、鬼子母尊神と言えばザクロが、その紋所です。

「えぃー、控えおろう。ここにおわすは、先の副将軍・・・・・」
名台詞の三つ葉葵の紋所とは、違います。
あちらの副将軍さんは、梅がご縁です。
「梅里」と称する号をおつかいです。

七面大明神さまも、鬼子母尊神さまも、法華経をお守りになっておられます。
ありがたいことです。
その縁にもおすがりしたいと、京都ではここに最初に参拝です。

手を合わせていると、曇りの合間から、日が射してきました。
本堂でも、七面天女さんでもです。
これは、春から縁起がいいです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それが願いです。

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事を祈ります。

最後まで、放蕩三昧の記事に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。