''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ご当地おでんシリーズ、「静岡風おでん」で、まず一献より。

朝から天気いいですね。
ここ数日天気が続いています。
ありがたいことです。
お天道様と言うのはありがたいです。

お天道様というと、私には、前にもブログにしたが、勝新太郎の『座頭市』の台詞を思い出します。
「一度、人を切ると、まともにお天道様の下を歩けないのだよ」

何かにつけて、見えないはずの太陽を身近に感じています。
それは、人間の宗教的なものかもしれません。
私も朝起きて、玄関に新聞を取りに行くとき、太陽がちょうど見えます。
やはり、手を合わせます。

天体である太陽に手を合わせても、意味がないと言われそうです。
そうではないのです。
ありがたいと感謝することに意味があります。

仏教的には、太陽は単なる天体ではありません。
太陽と月は、その姿を借りて、時に仏の世界を映し出します。
ですから、大日如来さまであり、生命の源でもあります。
ありがたいお天道様です。

その感謝を、勝新太郎の『座頭市』は、よく台詞で言います。
眼の見えない市には、それでも温かいものを感じる。
見えないけれど感じる。

この世の中には、見えない「妙」の世界と、見える「法」の世界があります。
陰陽、表裏一体の関係が、そこにあります。

見えないから存在していないや無いと言うのは、おかしいです。
今見えないだけで、存在はしていると思います。

「空」と言えば、「無」ではないです。
「空」と「無」は一致しません。
「空」の中に「有」「無」の両方があって、「無」はそこに見えないという意味だと考えています。

法華経の「妙」と「法」の関係でもあるように思えます。
新年早々、難しい仏教を論ずることも、あまり意味がないかもしれません。
イメージ 1

空と言えば、昨日の遅い夕食に、空腹を覚えました。
何か無いかと、冷蔵庫を探すと、この間買った紀文の「ご当地おでんシリーズ」の「静岡風おでん」があります。
それに豆腐も残っています。
イメージ 2

じゃと、早速温めて、器に盛りました。
静岡おでんは、未だ食べた事がなかったです。
ビールのCMで有名になった「黒はんぺん」が楽しみです。

おでんには、熱燗です。
時代劇なんかでも、居酒屋に「おでん・かん酒」と暖簾に書いてありますからね。
あれ見ると、呑みたくなります。
屋台のおでんというのも、何かそそりますね。
イメージ 3

静岡おでんと言えば、やはり「かやく粉」ですね。
これを振りかけて頂くのですね。

早速、箸を「大根」に手を付けました。
出汁は聞いています。
静岡風の「風」が気になりますね。
大夫本物とかけ離れると嫌ですよ。

しらたきや豚もつが、入っています。
後は、玉子、ごぼう巻き(ごほう天)、黒はんぺんの6種類です。
豆腐は、私が一緒食べようと盛り付けました。
静岡おでんの出汁で、豆腐を煮ました。

かやく粉は、独特ですね。
悪くないです。
全体に、濃口仕立てスープであっさりしています。

播州関東煮(かんとうだき)みたいに、甘味もくどさもありません。
食べよいです。
しかし、ご当地に行って食べないと、美味しくないでしょうね。

それは、それで楽しみです。
ありがたいです。
静岡に行かなくても、おでんが食べられるのですからね。
このご当地おでんシリーズ、また購入してみたくなります。

ありがたいことに、私は仏縁を頂けています。
日々の暮らしの中で、ささやかな幸せを見つける術を得ました。
ありがたいと感謝です。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それが願いです。

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、変なかやくの付いた話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。