''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

あれから2年、あれから35年のご縁が続いています より。

朝から日差しが、玄関にも入っています。
いい天気の予感です。
昨日の夜は、月に傘がかかっていたので、天気が悪いと予感していました。
それに雪の予感もする強い寒さです。

2年前の今日、ある方と初めて逢いました。
奇遇な出会いでしたが、縁あって今日まで続いて言います。
ありがたい事です。

折りしも、今日は父の誕生日です。
先日、好物の七条本町通りにある赤尾屋の漬物を実家に贈りました。
上機嫌で礼の電話が入りました。

親の年も聞くばかりに、そんな年になりましたね。
元気で過ごしてくれることを祈るばかりです。
2月には、神戸当りの家族会で合う事になりそうです。

ここは、やはりがんこのてっちりでしょうね。(神戸だけに「どんだけ」って、ごつい方の声が聞えそうです)
てっちりなら、温まります。(一高、二高、最高です)

縁あってと言えば、昨日、私が小学生3年の担任だったの恩師から贈り物がありました。
メール便で、中を開けると、カレンダーです。
それも「日本の心 禅林各派 管長・師家 墨蹟」のカレンダーです。
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お寺のご住職でもあります。
その関係で、お寺でお作りのカレンダーを贈って下さいました。

年賀状に、最近禅に興味がありますと書いた一文を、気にかけて下さったみたいです。
早速、一月のところを開けてみました。
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妙心寺派管長 河野太通老師の書です。
「枯木龍吟」(こぼくりゅうぎん)と書かれています。
今年が、龍の年にあやかって、最初に「龍」が入っています。
その下には、その意味が書かれています。

人生、窮地に出会うとも、何事も死ぬ気で頑張れば、活き輝く。
と意味が添えられています。
東日本大震災円高、不景気、すべてに通じることですね。
ありがたい高僧の書とその意味です。
凡夫の私には、その本当の意味を理解出来ていないと思います。

枯木と言えば、同じ禅語に「枯木寒厳(岩)に倚(よ)りて 三冬暖気なし」と言うのがあります。
ひろさちやさんの本を見て、初めて知った禅語です。
婆子焼庵の公案とも、言うと聞きます。

旅の禅僧が、ある婆さんに気に入られ、庵も作ってもらい住まいして、何年もお世話になって居りました。ある日、この婆さんの年頃の孫娘さんに世話をさせていました。婆さんも、ももいい頃合だと考え、婆さんに言われて、孫娘をその僧に抱きつき、モーションかけさせました。その時の言い訳を思わず口にした言葉です。
婆さんは、未熟な坊主として穢わらしいと言い、その禅僧を追い出し、ついでに住まいしていた庵までを焼き払った、という話です。(相当私的な意訳で申し訳ないです)

真偽の程は分かりませんが、古い公案のようです。
かと言って、どう扱ったらいいのか、禅僧には分からないですね。
しかし、そんなことで、ぎゃーぎゃー騒ぐのも心の修行が出来ていないですね。

まるで、則天武后の接待のようですね。
女官の風呂の接待に、ぎゃーぎゃー言った北宗神秀(ほくしゅうしんじゅう)みたいです。
それに比べ、その女官の風呂の接待を、心地よく受けた崇山慧安(すうざんえあん)の態度は、やはり偉大な振る舞いです。
茶の湯の「一期一会」にも、通じますね。

「枯木寒厳(岩)に倚(よ)りて 三冬暖気なし」とう嘘の気持ちを言うのも不思議です。
そこに迷いがあったのですね。
難しい公案ですから、私のような凡夫には、真意は到底理解は出来ません。

しかし、いい時もあるし、悪い時もあります。
それが人生なら、それも楽しむ以上に、味わいたいです。
苦い味も、酸っぱい味も、甘い味も、覚えれば、人生の先行きに、いろんな深みが出来ます。

いい時も悪い時もあるのが、普通です。
なら、いい時にも、悪い時にも、何か喜びを見つければいいです。
日々の暮らしの中にも、幸せは落ちています。
それを拾うか、拾わないかだけです。

どん底でも、よかったは落ちています。
花を見て、月を見て、その瞬間だけでも、心を満たせることがあるはずです。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
突然の大きな幸せは、そうありません。

東日本大震災という惨事を経験すれば、この日常こそ、幸せであると感じます。
一日も早く、被災者全員の日常が戻りますように、念じます。
「窮すれば変じ 変ずれば通じる」
まさに、「枯木龍吟」の如くでしょうかね。

先生ありかとうございました。
少し意味するところとは、違う話になりましたが、こんな日々の暮らしをしております。

日々の暮らしの中で、それら見つけることが出来る術を得た気持ちがしています。
ありがたいことに私は仏縁を頂いております。
ありがたいと感謝しております。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それが願いです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、枯れた中年おやじの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。