''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

水上勉の『一日暮し』を読む より。

朝からやはり寒いですね。
どんよりとした天候です。
日本海地方では、雪の様子のようです。

 

雨や雪なら、晴耕雨読と行きたいです。
貧乏暇なしといいます。
なかなか時間を作らないと、読書する時間もありません。

 

寝床の近くに、本を幾つも置いています。
先日、ブックオフに行った時に買った一冊です。
値段は、105円です。
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水上勉の「一日暮し」です。
不思議なことに、これを出筆された頃、阪神淡路大震災から数年後です。
ですから、その時、京都に居られて、その揺れ大きさといい、痛感されたことでしょうね。

 

水上氏の誕生前日の、奥丹後大地震で、死者3000人、倒壊家屋3000戸、を越えた被害が出たことも書かれています。
郷里の福井にも、その影響はあったようですね。

 

郷里福井と言えば、原発銀座と呼ばれる原発が集中しています。
そのことにも触れられています。
今回の福島原発の事が、脳裏をかすめます。
地震原発は、物凄く影響があることを、すでに1995年(平成7年)当時に書かれています。

 

当然のことでしょうね。
それなのに、政府も東京電力も、その対策すら打っていなかったとは、愚かです。
安全神話の崩壊することすら、念頭になかったのでしようね。
あれから、16年の歳月の間に、対策も思案も出来たはずです。
危機管理の悪さが露呈しましたね。

 

原発は、いつ事故が起こるか判らないものです。
それも、人為的ミスが引き起こす可能性も、強く指摘されています。

 

度々起こる原発の事故です。
その度に、すぐに公表しないで、より問題を大きくしています。
今回の福島の原発事故も、事実を隠し続けています。

 

脱原発と言うのか簡単ですが、やはり、私達が原発依存した暮らしをしている以上、都合のよい原発必要の専門家の意見が出て来ます。

 

しかし、その代償は大きいですね。
福島の故郷を失った方を思うと、居た堪れないです。
東日本大震災の被害者、被災者を思うと、政治を何とかして欲しいと、強く思います。
せいぜい私の出来ることは、東北を消費することのお手伝いくらいです。

 

この「一日暮し」の中、鎌倉時代に書かれた鴨長明(かものちょうめい)『方丈記』が引用されています。
800年以上前、元暦2年の地震(元暦の地震)の記録が記載されているようです。
その引用文が書かれています。

 

京都を襲った地震のようですね。
豊臣秀吉公の時代にも、大地震が京都を襲っています。
その時、伏見城が崩壊しています。

 

そう京都も、地震の多いところなんですね。
いつも起きるか判りません。

 

人が生きるのは不安が多いですね。
鴨長明(かものちょうめい)『方丈記』、日本三大随筆とも言われています。
また、隠棲文学の祖や、無常観の文学とも言われているようですね。
人生を生きることの悲哀や無常もも感じます。

 

特に、去年のような大震災が起こると特にです。
何ゆえ多くの罪無き人が死んだのか、疑問にも思います。
それでも、今風に言うなら、ブログかもしれません。
私のこのブログもいろんなことを綴っています。

 

生きるとは何だとか、人生とは何だとか、哲学的な瞑想に迷うこともあります。
この水上勉の「一日暮し」中に、もう一つあるテーマが「禅」です。
禅の話が書かれています。

 

「一日暮し」とは、信州の飯山に住した正受老人の言葉のようです。
鴨長明のような暮らしを実践した禅僧です。

 

正受老人とは、道鏡慧端老師(どうきょうえたん)の事です。
この方も変っています。
江戸時代初期から中期にかけて生きた禅僧です。

 

飯山の一庵に、母と二人くらしです。
母と暮らす禅僧も少ない記されています。
一休禅師みたいに、晩年は若い女性と暮らす禅僧もおいでです。
しかし、母と暮らすというのは、確かに余り聞いた事がないです。

 

この道鏡慧端老師の弟子が、あの有名な臨済宗中興の祖と言われる白隠慧鶴禅師(はくいんえかく)です。
ユニークな絵を描かれますよね。
細川家の至宝展にも、この禅師の絵が私のお気に入りでした。
つまり、この白隠さんのお師匠さまです。

 

その道鏡慧端老師の師匠は、至道無難(しどうむなん)老師です。
この師匠も変っています。
至道無難禅師は、40歳近くまで中仙道の宿場で宿屋をやっていました。

 

大応、大燈、関山の法嗣の法脈を継ぐ愚堂東寔(ぐどうとうしょく)に、偶然巡り合い、家も家族も放り出して、禅の道に入ったお方のようです。
麻布や小石川に庵を作って、そこで乞食のような暮しをして過ごされて方です。
寒いときは、むしろを体に身につけて過ごしたと言います。

 

偉い坊さんです。
その証として、妙心寺に伝わる法衣と碧眼録一巻を、受けています。
望めば、妙心寺の管長にもなれたのにね。

 

弟子の道鏡慧端老師も、正統な法嗣です。
師から、代々伝わるその碧眼録一巻と衣鉢と印可証を渡そうとするのですが、こちらはご辞退です。
もったいないです。

 

印可証なんてただ紙ですからね。
それ以上に、禅の悟りを師匠から貰っています。
それで充分だったのでしょうね。

 

当然、大きな寺の管長にもなれたはずです。
しかし、選んだのは、尼となった母と二人暮しです。
畑をしたりして、晴耕雨読みたいな禅と百姓暮らしです。
母亡き後は、独り暮しで80歳の天寿をまっとうされます。

 

そんな暮らしを楽しんでおられます。
禅の修業を実践された方です。
その方の言葉が、「一日暮し」です。
今日一日を生きる。

 

いいですね。
そんな禅の大家が言われた言葉と思うと、ありがたいです。
一日暮しなら、贅沢も要りません。
物も要りません。
欲に固執することもありません。

 

欲に固執しないなら、三毒の欲は生まれません。
欲からの脱出が、幸せの一歩でしょうね。

 

もともと、この世の中は、妙法華経でも、義空と言われています。
要するに「仮」の世界という事ですね。
仮の世界なので、欲に固執することもありません。

 

この仮の世界で修行する。
魂が、過去世、現世、来世の「空」の中を輪廻するわけです。
ですから、現世も仮の「空」なんでしょうね。

 

大きな寺の管長になることが望みではなかった。
母と二人して、仏の世界を三昧して、生きていきたかった。
理想ですね。

 

この世が、仮の「空」の世界なら、東日本大震災で亡くなられた多く罪なき人も、この世に尊い人命があったことを知らせる天命を持って生まれて来られた。
ですから、来世は、その天命達成の褒美として、きっといい所に生まれて来られると、信じたいです。
きっと幸せな生活が出来ると思います。
そうであって欲しいです。

 

幸せな暮らしが、何も裕福であるとは限りません。
母と二人の時間は、何物にも変えがたい日常の暮しだったと思います。
日々の暮らしの中に、幸せがある。
そう信じて生きています。

 

花を見て、月を見て、粗食を食らい、酒を呑む。
やはり至福です。

 

ありがたい仏縁を頂いていると感謝して暮らしています。
今日も午前中、ありがたいことがありました。
今日一日を精一杯暮します。
ありがたいです。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らすのか、願いです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、その日暮しの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。