''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

なか卯の「牛丼並」と、「小はいからうどん」の昼ごはん(なか卯龍大前店) より。

朝からどんよりしている京都伏見の地です。
やはり寒いですね。
寒い時は、何か温かいものが食べたくなります。
やはり、麺物ですね。

先日の遅い昼餉は、なか卯の牛丼並(290円)と、小はいからうどん(140円)にしました。
二つ足しても、430円です。
この日は、大きいはいからうどん(290円)にしても、よかったですね。

それしても、いつものように牛丼は、紅ショウガ丼と化しています。
紅ショウガ大好きです。
ここに一味をフリフリします。
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いつもお決まりです。
小はいからうどんが、ちょうどいい大きさです。
味噌汁替りにちょうどいいです。
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うどんは、最近の冷凍うどんでしようね。
タピオカとかが入って、もちもちして、一つ50円ほどの湯でうどんとは違います。
大抵のチェーン店のうどんは、このような冷凍うどんだと思います。

びつくりするほど美味いです。
家でも、冷凍うどんを食べます。
もちもちして、コシもあって、本場の美味いうどんと言われても、知らないとそうかと納得してしまいます。

出汁もいいですね。
薄口の上品な出汁に仕上がっています。
関西圏じゃないと、薄いと思うかもしれませんが、出汁はよく効いています。
かまぼこに、青ネギ、天かすです。
かすなどと言うのは、天かすに申し訳ないほど美味いです。

天ぷらと言えば、もともと下賎な食べ物とされていました。
江戸時代の屋台の天ぷらから、始まっています。
寿司も、鰻も、天ぷらも、屋台のファーストフードが、出世したものですね。
今では、高級品でからね。

会席料理と言えば、上等な料理屋さんの料理です。
お座敷に上がって頂くものですね。
そんな会席料理に今では、当然のようにあるのが、揚げ物です。

少し前まで、会席には天ぷらの揚げ物は入っていなかったようです。
特に戦前まで、天ぷらと言えば、家で食べるものと相場があったようです。
しかし、蕎麦屋や天ぷら専門店では、難しい魚介類を入れた掻揚げやら、海老や白身魚の天ぷらを出します。
家では食べられませんよね。

しかし、どうしても天ぷらの地位が低かったようです。
それを、会席料理に取り入れたのは、昭和8年創業の京都の「天喜」と聞きます。
国賓クラスも来られるVIPのお店です。

ここの天かすも美味いでしょうね。
貧乏舌ですらね。
衣が美味い、いい油を使用している、職人の腕がいいとなれば、当然天かすも美味いです。

ところで、何故てんぷらと呼ぶのか、やはり、諸説あります。
てんぷらも漢字世にすると、天麩羅も書きます。
天とは、揚げる、麩とは、小麦粉、羅とは、油の意味とも、証せられるのも、納得しますね。

しかし、山東京伝の「蜘蛛の糸」で、天明の頃、屋台で天ぷらを始めた利介を、天竺浪人と呼び、天竺からふらって来たというシャレたネーミングを与えたともされています。
天竺から、ふらってで、天ふらとは、納得できないですね。

他にも、オランダ語説やスペイン語説もあります。
私は、油で揚げるというの新しい調理法と、天ぷらと言う言葉のゴロが、江戸の町人に受けたからだと思います。(『池波正太郎鬼平料理帳』佐藤隆介編 文春文庫 参照)
フライと言う言葉も、やはり何となく、空を飛ぶような、からっとしたイメージと合いますからね。

当時、天ぷらはとても消化の悪いものですよね。
だって、今みたいに脂っこい食事はしていませんからね。
ですから、天つゆにつけて頂くか、出汁で煮るスタイルが、主流です。

その中でも、かき揚げを乗せたそばは、美味かったと思います。
適度に油も、抜けますからね。
それに、天ぷらの油と出汁の相性もいいです。

池波正太郎鬼平料理帳』の佐藤隆介氏も、浜町の藪に行った時は、帰りに家用に袋に入った揚げ玉を買うと、記されています。
この揚げ玉を入れると、そばの格が上がると書かれています。(「磯浪そば」の頁)

ここに書かれている揚げ玉こそ、関西で言う所の「天かす」さまですね。
かすと言いながら、大切にされています。
焼そばの時も、焼きうどんの時も、お好み焼きの中にも、天かす入れますからね。
味は、一段上がります。

かすと言って出世したみたいなものですね。
昔、若い頃悪さをしていた人が、何かの加減で、テレビによく出ると、今まで「我校の恥、チリ」と言われていたのが、一変して、「我校の誇り(ほこり)」に変わります。

鬼平が、昔馴染みによく言う「甘い餡が、辛くなるはずがねぇ」の言葉は、つまされる言葉です。
チリが、ホコリに、出世することはないです。
有名人になれば、偉くなるとは限りません。
本質は、変りませんよ。

ただ、世間の見る眼が変っただけですね。
本質がよかったのか、本質が悪かったのかは、不明です。
でも、人である以上、悪いことをせずに、いい行いをしたいものです。
悪い縁を切り、いい縁が結ぶが、現世の修行と心得ます。

人並みの暮らしが出来て、かすと言われ様が、自分の信じるところを進む。
それがいいと思いますね。
それが知らず知らずに「はいから」とシャレたネーミングになることもあります。
美味しさに変わりはありません。

ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
ありがたいと感謝しています。

花を見て、月を見て、ハイカラな天かすうどんを食らい、酒を呑む。
至福です。
ありがたいと手を合わせます。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それが願いです。

今日も一日、私も世の中にも、平穏無事に過ごせますように祈ります。

最後まで、ボロかす中年親父の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。