''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

歩こう会、ちょっと寄り道、スタンプラリーで、ちょっと一服 京の冬の旅 より。

朝から暖かな日差しです。
昨日は、深夜遅くまで、仕事をしていましたので、朝は少しゆっくりです。

裏庭の花に水をやり、穏やかな日差しを浴びました。
太陽光を朝に浴びると、脳内がリセットされるとの、新聞記事を読みました。
脳はどこから、太陽光を感じるのか、その一つは、耳です。
耳の穴に光が射したとき、脳内でリセットされると聞いたことがあります。

光を耳で感じる。
不思議なことです。
そう言えば、子供の頃、『トロン』と言う映画がありました。
世界で初めて全面的にコンピューターグラフィックスを導入した映画として話題を集めた映画でした。

音を視覚として捉える不思議な映画です。
トロンと言えば、坂村健氏率いる日本の誇る国産OSです。
ある意味、ウィンドウより、マックより優れた軽いキビキビ動くOSでしたね。

実際には「OS」そのものではなく、「OSを作るための基準」らしいです。
そんなの聞いたことないって、毎日使っていますよ。

携帯電話に使われたり、電機機器や家電機器の中に使われているようです。
一々、炊飯器や冷蔵庫に、ウィンドウズやマックじゃ、OSが重すぎます。
その為のOSです。

少し前まで、「超漢字」という名で、売られていました。
今は、どうでしょうね。
最近は見ないです。

ウィンドウと、共存できるOSでした。
ビジネスとして、成功していれば、今や日本製のOSトロンが、世界を席捲していたのかもしれません。
「トロン95」とか「トロンXP」とか「トロン7」、それはないでしょうけれどね。
世界に誇る国産OSです。

世界に誇ると言えば、日本の文化ですね。
文化の質は高いですね。
文学であったり、思想であったり、工芸・芸術などです。

その中心は、やはり、仏教のその一つですね。
仏教を保護したことによって、寺院にそうした頭脳が集約できたことにあります。
芸術もそうです。

先日から、あるこう会で、今年の干支の龍を中心に、寺院を回っています。
昨日は、妙心寺といい、鎌倉時代から、いえ妙心寺の鐘は文武天皇2年(698)の作であり、奈良時代聖徳太子飛鳥時代から、国の礎を気づいて来た日本の歴史の流れでもあります。

脈々と、いろんな宗派に分かれてようとも、現在まで続いています。
それに、私たちのような庶民が、ぷらりと参詣出来ることはありがたいです。

歴史にあっては、一部の高貴方のだけの特別なみ教えであった時代もあります。
公家にあっては、極楽浄土の世界が好まれました。
極楽浄土は、卑賤貴賎の別なく平等であるはずです。

武士にあっては、禅宗が好まれ、鎌倉、室町、江戸とその保護にありました。
それが、現代まで続くことになります。
後世にあるものとしては、よくぞ残してくれたと況やです。

禅に触れる機会は、ありがたいです。
自分の向き合う時間とも言えます。
禅から、茶の湯にも大きな影響があったことは、否めません。

茶聖・千利休も、大徳寺の古渓宗陳和尚に参禅して、印可を得たとも聞きます。
精神のよりどころを、禅に求めたわけですね。

その集大成が、「侘び茶」だったわけですね。
一切無駄の排除、究極の世界、空間が、草庵の小間、つまり小座敷だったのですね。
茶室待庵(国宝)にそれらが形になって、現代でも、その精神の一片が見られます。

茶と禅には、そうした深い関係があるみたいです。
そう言えば、この京の冬の旅にスタンプラリーと言うのが、開催されていました。
指定された場所は、拝観すれば、お茶のお菓子の接待があります。
行こう行こうということになり、私たちもそのラリーに参加です。
指定された場所は、3箇所です。

相国寺発堂、妙心寺隣華院、妙心寺三門、(ほぼ1箇所600円の拝観料)を回って、得た接待です。
場所は、いくつかありまずか、私たちは一番近い妙心寺の隣の花園会館にて、一服頂きました。
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空豆みたない形の菓子です。
砂糖のコーティングが硬くなっています。
その中に、餡ですね。
二色の二種類の餡が入っています。

黒文字でなく、手に取って食べる方が、食べよいです。
茶碗の抹茶も、なかなか上手に点ててあります。
あの肥後松井家の名宝展で味わった茶道資料館、教授方の先生のお手前には、程遠いですけどね。

あの時は、大変クリーミィーでした。
萩茶碗、「無事」の手の馴染みも、茶の味わいです。
無事、この一年はいろいろとありましたからね。
そう、お言葉をかけて頂いたことも、一服の茶の味わいとともに、心に残っています。
今なお、その余韻があります。
お茶の世界の凄さですね。

一服の茶に、時間を越えて、空間を越えて、その記憶が鮮明になります。
もちろん、味も接待の真心もです。

ありがたいことに、私は仏縁を頂けています。
ありがたいことと、感謝しています。
日々の暮らしの中、日常にも、非日常にも、幸せは落ちています。
私は、拾います。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますよう、祈るばかりです。

最後まで、見えない妙なる話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。