''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ピンクの椿の花が咲いています より。

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朝方は、強い雨音で目が覚めました。
昼近くまで、強く降っていた雨も、午後には止んでいます。
遠くの空は、真っ黒な雲が見えますね。

 

少し前に、用事を済ませて帰ると途中で、ピンクの椿が咲いていました。
なかなか、きれいです。
そこで写真です。
うーん、心のバッテリーに充電します。

 

話は変わって、今日で3月も終わりです。
そして、3月の末と言う事は、年度末です。
4月から新しい年度になります。
不思議な習慣です。

 

会計年度や学校年度があります。
明治政府になった時、江戸時代の年貢という現物での税の徴収から、土地に基づいた地租を元にした税の徴収システムと関係しているようです。
税が、石から円に、現物の米から税金に、変わったことです。

 

税の近代化と言えます。
不安定な税収から、固定した税収に代わったことによって、明治の近代化に進みます。
こうした文明開化か、ちょんまげや廃刀、挙句に食事のスタイルから、生活の様式まで、一斉に変わったことで、庶民にまで明治という新しい時代の到来を伝えました。

 

大混乱かと思えば、意外にスムーズに行こう出来たと思います。
日本人の順応力の高さを示します。
「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」の言葉が有名です。

 

明治の味と言えば、アニメ『るろうに剣心』にもよく登場する「牛鍋」ですよね。
当時は、醤油味と、味噌味の2種類が主流でしたが、今では醤油味のすき焼きとして、今も続く習慣です。

 

今でも味噌味も、横浜の方で有名な「牛鍋」屋さんがあったと記憶しています。
確か「太田なわのれん」でしたっけね。
でも、『牛肉に一番合うソースは醤油だ!!』という美味しんぼ山岡士郎の言葉に共感しています。
にくじゃがといい、すき焼きといい、やはり醤油ですね。

 

フランスの国王ルイ14世が、醤油を愛用していたという話は有名です。
もちろん、ソースの隠し味でしょう。
少し入れると味がしまります。

 

カレーの隠し味にも、醤油は使います。(しょうゆことです)
ソースも使います。(そーすね)

 

カレーにインスタントコーヒーとかを隠し味に入れるのも、意外と有名です。(・・・・・・どうも即席では思いつきません)
カレーも、ソースですからね。
味が複雑な方が美味いです。

 

でも、システムとなれば、簡単な方がいいに決まっています。
年度末と言えば、あちこちで道路の掘り返しやら、工事がよくありますよね。
お役所は、単年度の決算ですから、来年に持ち越しません。
使いきりです。
宵越しの金は持たないと、江戸っ子みたいですね。(てやんで)

 

これじゃ、いつもで経っても借金は減りません。
いろいろ考えはありましょうが、民間企業と同じような会計にしないとダメですよ。
借金は減りません。
来年度、来年度にツケを回しています。

 

民間企業は、3月31日に決算期を決めている会社が多いです。
と言うことは、決算期に関する定時株主総会も、皆さん揃って、6月30日です。(そうかいなぁ?)
多くの会社も、横並びはまずいですね。
6月30日までなら、いいのですから、多少ばらして開催すればいいだけです。

 

日本のシステムに、不備が多いですね。
それも一度決めたらなかなか変えない。
悪いと言っているのに、天下りは減らないのと同じです。

 

「AIJ投資顧問」の浅川和彦社長の国会答弁、頭がおかしいですね。
それを世の中では、「詐欺」と言うんです。
「お分かりかなぁ」(落語の「紅羅坊奈丸(べにらぼう・なまる)」という心学の先生の言葉です)

 

消えた年金問題、こちらも天災ならぬ、人災です。
天から雨が降るのでなく、天から人が降ったことによります。
天下りですからね(笑)
♪ちゃんりちゃんりん デンデン~

 

いいオチが付きました。
今日は、一つの区切りの日です。
まさしく節ですね。

 

禅の言葉に「松無古今色 竹有上下節 」(松に古今の色なし 竹に上下の節あり)と言うのがあります。
意味は、松は四季を通じて、常に青々としてその色を変えない。しかし、竹もまた青々としているが、これには上下の節があるというようところです。

 

人にも、いろいろ例えられる人生訓にもなりますね。
人は平等と言いながら、この世では平等ではありません。
それも当たり前です。

 

生まれた所によって、いろいろな環境が近います。
また、年齢にもっても、男女の区別によっても、違いはあります。
この世の中は、やはり不平等です。

 

それは、当たり前です。
暮らしを一律にして、国民が幸せにはなりません。
努力する人、努力しない人、すぐに違いは出ます。

 

でも、この世は、仮の世界です。(相対の世界)
魂の上、仏の世界では、平等です。(絶対の世界)
それをこの世で生かすなら、自分の分を知ると言うことになるのではないでしょうかね。
自分のあった暮らしの中で、ささやかな喜びを感じられる暮らしを、送ると言うことです。

 

日々の暮らしの中にこそ、幸せは落ちています。
巨万の富が、手に入ることが、幸せではありません。
家族して、夕餉を食べることの喜びほど、変えがたい幸せはないはずです。
この東日本大震災が、それを実感させてくれました。

 

今なお、家族が一緒に、震災の前の日常を取り戻していない方が、大勢おいでです。
それを思えば、多少の苦労は、何と言うこともありません。

 

一度に、家族を何人も亡くされた方も、大勢おいでです。
この震災で亡くなられた労若男女の区別なく、多くの方が亡くなられたのは、この世に日々の暮らしこそ、何よりの宝であるということ、多くの方に知らしめす為に、天命を受けて、この世に生を受けたと考えたいです。

 

年が変わろうが、年度が変わろうが、あの東日本大震災で得た人命に変えた英知を、実感すべきだと感じます。
日々の暮らしは、どこもかしこも、感謝の宝庫です。
今あるのも、私にはありがたい仏縁のお陰です。

 

上を見ても、下を見てもキリがないです。
自分にあった分(幸せ)があるだけです。

 

その為には、悪い行いをぜすに、いい行いをする。
それによって、悪い縁が切れて、いい縁が結べます。

 

縁も、お金に似ていますね。
お金は寂しいから、お金が多いところに集まります。
いい縁も寂しいから、いい縁のところに集まります。
そりゃ、どちらも「円」と「縁」で一緒ですからね。(笑)

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、「松」「竹」、「梅」ならぬ「椿」の話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。