''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「船は帆でもつ 帆は船でもつ」持ちつ持たれつそんな関係より。

昨日の夜からの雨も、一日中降っていました。
久しぶりに、スーツを着て、人と会いました。

 

いやはや、疲れます。
朝から、夕刻まで、ほぼ一日の拘束です。
途中、4時間くらい時間が、空きました。

 

御所の中で、昼ごはんを食べていると、大きな鳥が、私の2メートル近くまで来ています。
子供ほどの大きさの鳥です。
もちろん、背丈です。
羽を広げたら、私の手を広げたより大きいでしょうね。
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じっとこちらを見ています。
私も、小の大きな鳥をじっと見ています。
見詰め合っているかのようです。
ちょっと照れます。

 

御所の風景も雨だと、休息する所が少ないです。
晴れていると、あちこちにベンチが、ありますので、ごろんとベンチで昼寝も出来ます。
雨ですから、仕方ないです。
九条邸のお庭が、お気に入りです。
もちろん、御所の中にあります。

 

池には、鯉がたくさんいます。
亀さんも多いですね。
庭の水を眺めていると、水面が揺れると、なんだか船に乗ってる錯角を覚えることがあります。
電車でも、こちらが止まっていても、隣の電車が動き出すと、こちらの電車が発車したのかと、錯覚するみたいなものです。

 

船と言っても、今と違い昔の船は、風任せです。
風を船の帆が、風を受けて進みます。
今でも、ボート競技は、この要領ですよね。
正風なら、帆を張ればいいですが、逆風な風を捕らえながら、ジクザク運転です。
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「船は帆でもつ 帆は船でもつ」とよく言います。
昨日の妙心寺の日捲りカレンダーには、この言葉が記されています。
持ちつ持たれつの関係です。
平易に言えば、帆があるから船は走れるし、帆は船がなければ役に立たないという意味です。

 

時に無用の長物と、呼ばれるものがあります。
今や東日本大震災以来、原発は無用の長物です。
水力に比べ、電力の費用は半分です。

 

それだけ聞くと、資源のない日本には、持って来いです。
ただし、処理費用は、この価格には算定されていません。

 

絶対安心の神話に踊らされて、福島の民は、故郷を失っています。
もともと、津波にも、地震にも、対応していなかった。
詭弁の上に立った原発行政です。

 

脱原発の風が吹いているのに、関西なら福井の民に、その犠牲を付回そうとしいています。
大好きな福井の海を、汚すのは嫌ですね。
魚も美味いし、風光明媚な日本で一番住みやすい場所です。

 

脱原発の風を帆が受けているのに、どうして違う方向に進もうとするのか、疑念があります。
船頭、風を読んで、舵を取るだけです。
「船頭多くして、舟山登る」の喩もあります。

 

国民の信託を受けて、政治をする議員が、審議をボイコットするのは、無意味です。
ボイコットして、遊んでいる時間も、膨大な時給が発生しています。
すべて税金です。

 

舵取る与党も、舵を取らない野党も、風が吹いています。
帆を上げないといけません。
そうしてないと、日本丸は、前に進みません。

 

風を読む力もない与野党に、政治家は無理です。
目先の欲ばかりでは、政治が笑われるだけです。
こんな政治は、国民だけでなく、世界の笑いものです。

 

ミサイル発射したかしなかったかすら、情報を確認できない政府は、無政府です。
愚かな政府は要りません。
このミサイルが、原発目標に、飛んできたらどうなるかと思うと怖いです。
この日本が、人の住めない地になります。

 

それでも、情報を公開せずに、国を滅ぼすつもりでしょうかね。
国は、民でもつものです。
その民を蔑(ないがし)ろにして、政府は存在しません。
ニュースを見るたびに、国民を思う政治家の少ないことを、嘆くばかりです。

 

同じ京都府民として、自民党の谷垣総裁には、減滅です。
一度、手の届くほどの距離でお見かけしましたが、オーラーがないですね。
尖閣諸島問題で、奇抜なアイディアを出された石原都知事にも、手の届くほどの距離で、お見かけしましたが、異様なオーラーがあります。

 

当然、京都駅で、その石原都知事に、若者が近付きました。
暴漢かと思うような勢いで、現場にいた私も驚きましたが、単なる石原信者だったのか、握手を求められていました。
すかさずSP(護衛警官)が、それを分け入りました。
あれが刃物なら、テロです。

 

しかし、その不敬な態度には、臆することく、平然と握手されて、若者も大喜びでした。
いやはや、政治家としての腹の座りに、それ以来、石原都知事を頼もしく思いますね。

 

そう言えば、同じく谷垣さんが京都駅で同じように、奇声を発する暴挙未遂の中年の出現時、私もその現場にいました。
谷垣さん、ちょっとおどおどし過ぎです。
あの態度は、まずいですよ。

 

李下に冠を正さずの、態度であって欲しかったです。
禅の言葉、禅語「水に入れて長人を見る」と言うのがあります。
まさしく、そんな場面を見た気がしました。

 

これは中国の故事でして、唐の有名な女帝則天武后が高名な禅僧の北宗神秀と、もう一人慧安を宮廷へ招いたの出来事です。
私のブログでも何度か紹介しています。

 

長い修行で風呂にもろくに入れていないので、風呂の接待をした。
もちろん、きれいな女官数人が、背中を流してくれます。(ちょっと羨ましいぞ)

 

北宗神秀は、恥ずかしいと、臆する態度がいけません。
何も、いかがわしい事をするのでなく、風呂で背中を流してくれるだけです。
言わば、ハレーム状態です。
おどおどしっ放しの北宗神秀です。

 

世に聞こえた名僧とは、こんな者か、それに比べて、もう一人の招待客・慧安は、悠然と女官達と楽しく背中を流してもらっています。
なかなかの人物ですよ。
人とは、風呂や水に入れてみないと、本当の人間が分からないとという喩です。

 

これなら「液(駅)に入れて、長人を見る」です。
国防担当の大臣が、田中氏でなく、石原氏なら、どんなふうになっていたのかと思うと、その対応が見てみたかったです。

 

世界に対して、鷹の方がいいかもしれません。
鳩は、無責任で、始末が悪いです。
ここまで来れば、今日の話も、大鳥にしまいしょう。

 

ありがたいことに私は、仏縁を頂いています。
ありがたいと感謝して暮らしています。

 

生きているのでなく、生かさせ貰っていると思うと、謙虚にいけます。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せが落ちています。
拾うか、拾わないかだけですね。

 

船が動いたのか、帆が動いたのか、動いたのはあなたの心です。
本来無一物ですからね。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

 

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、疲れてうとうとと、船を漕いだ昼寝話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。