''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

4月の弘法さん、賑わっています より。

朝からどんよりした天気です。
それでも、時々晴れ間が見え、天気予報に反して、何とか一日持ちました。
夕刻から、西日本は荒れると聞いていましたからね。

そんなこんなで、今日21日は、東寺の弘法市の日です。
昼間行って来ました。
市には、食べ物から、衣類、書画、陶器、骨董の類が並びます。
テレビではお宝鑑定団が、依然としてブームです。

鑑定団では、曰くの付くものは、なかなか信憑性がありません。
先日見た中国の玉衣は、あれは偽物ですよ。
あんなの世に残っていれば、世界のお宝です。

まず、中国政府が、国外には持ち出しさせません。
それ以上に、即刻返還を求めます。
国際問題になります。

中国は、自分の物も、人の物も、まずは所有を主張する国です。
日本固有の領土の尖閣諸島も、油田があると分かると、所有権を主張し始めます。
そんな国が、自国の宝が、非合法ら持ち出しされたら、それこそ、それを口実に攻めて来ます。

兵馬俑の発見は、世紀の大発見でしたからね。
まだ、本の一部しか、調査も終わっていないようです。
中国には、こうした本当のお宝がまだまだ眠っています。
エジプトといい、中国といい、歴史の長い国には、まだ存在すら知られていないお宝が眠っています。

そんなお宝は無理でも、古唐津古伊万里なら、骨董市でも見つけられます。
贋作も多いです。
もちろん、贋作として正当な料金で売られています。
売り手も、本物じゃなら写しだと教えてくれます。
そん辺が、東寺の市の面白さです。

毎月同じところで商売されている方が、大半です。
変な商いは出来ません。
その分、何度か通えば、信頼も出来ます。
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でも、いい本物も安く手に入れる方法もあります。
皿にしても、大抵は、5客で売られています。
それが、一枚欠けたり、一枚だけで売られていることも多いです。
こうした時は、大変安く手に入ります。

弘法さんの骨董市は、こうした楽しみがあります。
酒器も、徳利やら銚子やら、杯、ぐい呑みやら、値段の手頃なものから、数万円もする高価ものまで、幅広いです。
今日見たとっくりも凄かったです。
それだけ浮き出ています。

近づいて、値段を見たら、2万5千円でした。
これで、酒を呑んだらいいだろうなって、そんな想像しましたね。
杯も、ぐい呑みも、器を変えただけで、味わいも変わります。
不思議です。

そば猪口も、人気です。
いいのがありました。
いいなって、近づいて、そば猪口の値段を見たら、3万8千円です。
うーん、微妙な感覚です。

染付けのそば猪口は、意外に高いものです。
百均の商品とは、感じが違います。
同じと言われる方も、いるでしょうね。

でも、いいものばかり見ると、百均の商品にない鈍いものがあります。
年代による時間の経過です。

それも、いいものばかり見ると、図案や図形の面白さが違います。
手書きとプリント書の違いほどあります。
安いものは、絵付けも、図案もシャープ過ぎます。
要は、味がないです。

その酒器なども、自分が使い込んでいく過程も楽しいでしょうね。
幾つか、杯持っていますが、古いと言っても、幕末か、明治の初めのものです。
もちろん、手書きの職人さんの仕事です。
丁寧に仕事されています。

もちろん、そんな職人のものに、魯山人のような銘はありません。
魯山人の器と言えば、高価です。
それでも、作品が数万という数があると、いいものもあれば、不出来なものもあります。

魯山人の器には、銀彩と呼ばれる器があります。
実は、失敗の備前のリサイクルみたない作品です。
見た目は、金属のような特殊な色合いです。

職人が、首を傾げたといいます。
こんなもの、売れないとね。

確かに、そう思えます。
しかし、料理を乗せると、その銀彩の色の陶板が、何とも言えずにいいものに見えます。
エコと言えば、いいのか、魯山人の才と言えば、いいのか、商魂たくましいと言えば、いいのか、言葉が見あたりません。

その銀彩に糸巻きと呼ばれる図案を入れると、ぐっと料理屋さん向きの器に化けます。
これが、魯山人マジックです。
食器という単なる道具が、料理を乗せることによって、異次元の芸術を引き出します。
料理も芸術、その空間もまさに珠玉の空間に設えます。

床の掛け軸も、花入れも、茶人の茶室とは、趣向が違いますが、時空を超えた無駄の排除というなら、茶室の求めるものに近いです。
まさに、魯山人は、料理というアイテムを使って、器の鑑賞方法を変えた人物とも言えます。

しかし、絵皿は、料理をあわせるのが、難しいです。
造りやら、炊き合わせなら、まだしも、八寸や先付けのような、盛り付けに絵皿は、どうも不向きです。
上級者向けです。

あっさりした杉板の八寸皿の方が、盛りやすいです。
色合いに料理が負けてしまいます。
負けると言うより、料理がボケてしまいます。

魯山人のあの大胆な大皿に盛る料理の盛り方といい、椿の鉢に日本酒を張り、木杓で汲みいれるなど、思いも因らない演出も上手です。
食の総合プロデューサーと言うべきでしょうね。
そこに、食器というアイテムが、重要になって来ます。

料理と言うのは、不思議で、ある程度「器」を決めないと、その仕込みや献立が決められません。
八寸はあれで、向付けがあれで、焼き物があれ、と決めないと、料理の持ち味が消えます。
ですから、いいの料理屋さんは、月換えでお決まりの料理の内容や、器も変えます。
12ヶ月あるなら、ごはんの内容も変える店も多いです。

この時期なら、筍ご飯です。
もう少ししたら、豆ごはん、夏なら鱧ごはんですね。
お決まりの定食のごはんも、それが楽しみです。
鱧と山椒のごはんは最高です。

最後の晩餐、ごはんの部は、これに決めています。
レシピー持っていますので、作ってみたいです。
素焼きした鱧と炊いた山椒を入れて、炊いた炊き込みご飯です。
美味いこと、美味いことです。

お決まりの定食ですら、これですから、会席の器となれば、毎月変わります。
季節感が大切ですからね。
それに、値段設定によっても、器を変えます。

12,000円の会席と、20,000円の会席の器は違います。
椀をとっても、一段上等な塗りの椀を使います。
配膳の盆の塗りも違います。

一度、年に何度かしか出ない最高料理は、50,000円だったと記憶しています。
その時の、塗り椀の凄いこと、凄いこと、美術品ですよ。
それにいい本物は、軽いです。
プラスチックかと思うほど軽いです。
木地がよく乾燥しています。

それを漆で、何度も何度も、コーティングしているわけです。
コーティング職人の冥王レイリーの技にも対峙しています。
これが、日本の漆器の技、まさしく漆器をジャパニーズと呼ぶに値します。

もちろん、保温効果はバッグンです。
時に、椀が引っ付いて離れないこともあります。
簡単なはずし方がありますけど、それでも離れないとこがあります。

名工・左甚五郎の削った板と板を合わせると、離れないとも聞きます。
その代わり、一日朝から晩までやって、削れる板は2枚が限界です。
生産効率は悪いです。

そこにあるのは、名工の腕だけです。
名誉や地位は関係ないです。
自分の腕の腕比べです。
昨日の自分より、今日の自分がライバルです。

料理も器に負けないものでないといけません。
やはり、職人と職人の戦いです。

骨董の目利きもまさに職人技です。
それが、何より大切です。

骨董の世界、掘り出し物はありません。
値段に見合う価値があるだけです。
いい商品に、特売品はないですよ。

店先で、いい商品が、私に向かって、手を振っています。
「ごめん、今日はそんな小遣いはないよ。また今度ね」って、商品を見て楽しむだけです。
いかがわしいお店の呼び込みみたいに、強引さはないです。
「さぁどうぞ、さぁどうぞ」と地味ですが、何か引き込まれる魅力がありますね。

まだまだ、そんなことでは、ズブの素人の領域を脱出出来ないです。
修行が足りません。
東寺の弘法さん、毎回が勉強です。
いい品物の目利きには、時間もかかります。
いいものをいっぱい見ないといけないですね。

買い求めるものは、安くても納得できる愛用品になれるものを選びます。
飾るのでなく、使ってこその器です。
やはり、私が使うなら、酒器でしょうね。
ぐい呑みか、杯ですね。

ありがたい仏縁に感謝しています。
日々の暮らしの中、ささやかな幸せを感じます。
それが、ありがたいです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に過ごせますように、念ずるばかりです。

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、心の攻防の話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。