''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

マルちゃん がつ盛 ソース焼きそば 大盛食らう より。

朝から、日差しはあるものの、少し昨日より肌寒く感じます。
気温の変化によって、食べたいものが変わることもあります。
気温より、昨日と今日の温度差が大きいと、食べたいものが変わります。

先日も無性に、即席カップ焼きそばが食べたくなって、いつもの百均で、マルちゃんの「がつ盛」のソース焼きそばを買って来ました。
大盛で麺が130gなら、カロリーも700kcalを超えます。
その割りに、食べた感じはしませんね。

気持ちばかりの薬味の具材が入っています。
基本は、麺だけです。
若い人なら、大盛の弁当に、この大盛のソース焼きそばか、大盛のカップめんを食されます。
さすがに、中年親父になれば、そこまでやれないです。
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ただ、無性に即席のカップ焼きそばが食べたくなることがあります。
あのソースの加減ですね。
日清のUFOが一番ソースの加減は、合っているかも知れません。

カップ麺が、焼きそばという発想が凄いです。
当時魔法の焼きそばと言われたとも聞きます。
焼いていませんけどね。
小学生の時、給食に出た焼きそばの味を、懐かしく思い出すことがあります。

なかなかあの焼きそば風味を、給食以外で味わうことは出来ないです。
焼きそばと言うより、蒸しそばと言うのか、やはり、表現できない焼きそばでした。
当時を、味の付いていないコッペパンに、先割れスプーンで、切れ込みを入れて、そこに焼きそばを入れて、即席ま焼きそばパンにして頂いて事があります。

焼きそばパンも不思議な食べ物です。
炭水化物と炭水化物の組み合わせです。
関西人は大好きです。

うどんとごはんの、取り合わせは有り得ます。
私はしませんが、お好み焼きとごはんの組み合わせも、ランチならあります。
私は少し抵抗があります。
お好み焼きは、食事でなく、おやつ感覚です。

今でも、ビールや発泡酒となら、お好み焼きを食べますが、単体で食事しては食べないです。
やはり、肴やおやつ感覚です。

そのおやつとごはんを、一緒に食べる感覚はありません。
播州の実家でも、この組み合わせの食事は無かったと記憶しています。

でも、焼きそばとごはんの取り合わせは、OKです。
時々、ランチに頂くこともあります。
焼きそばのソースと、白いご飯は合いますね。
ですから、そばめしも合うと思っています。

初めて聞いたときは、「えー」っと思いましたけどね。
神戸の長田辺りで好まれた食べ方です。
もちろん、すじ肉とこんにゃくを煮込んだ「ばっかけ」を入れることもあります。
あれはあれで、別物の食事と言えます。

ソースの香りにやられますね。
即席のカップ焼きそばも、あのソースの香りに負けます。
東京では、カップ焼きそばと言えば、「ぺヤング」のイメージがありますね。
ダウンタウンの松本さんが、よくテレビでも言っていますからね。

私も「ペヤング」の焼きそば食べたことがあります。
でも、あの麺二つ入った超特盛は、凄い量です。
麺237gと、今回食べたマルちゃんの焼きそばの倍近くあります。
カロリーも、軽く1000kcalは超えています。
ネットで調べると、1099kcalと分かりました。

そのカロリー数見ると、食べる気持ちが沸きません。
昼と夜に2つ食べると、私の一日分の消費カロリーを越えます。
毎日食べると、すぐにおデブになれそうです。
ちょい危険です。

やはり、私がたまに食べたなれば、麺130gの大盛ぐらいが許容範囲と言えます。
何事も、過ぎたるは、及ばざるが如しです。
その加減が難しいです。

戦国時代も終盤、豊臣秀吉小田原城を攻めている時の時代の話を思い出します。
食事の際に北条氏政が、汁を一度、飯にかけたが、汁が少なかったので、もう一度汁をかけ足した。これを見た父の北条氏康が「毎日食事をしておきながら、飯にかける汁の量も量れんとは。北条家もわしの代で終わりか」と嘆息したという逸話が有名です。
(Wikipedia参照)

毎日使うものさえ、その量が測れないものに、時代の流れや人の気持ちを計ることは出来ません。
的を得た言葉とだと思います。

天下に名の届いた不落の小田原城も、意外にあっけなく落ちました。
秀吉の心理作戦にも、やはり時代の流れを読めなかったことに因ります。
相手の力量を、出自やその風貌からだけでは、計り知れません。

一夜にして、小田原城の正面の山に、お城が出来ました。
これは、驚いたことでしょうね。
どんな表情だったのことでしょうね。
これで、敵の戦意喪失です。

無益な戦をしない秀吉公の作戦にはまったと言えます。
今で言うなら、サプライズですよ。
それでけだなく、何年も前から、準備を進めていました。
もちろん、築城の基礎の用意も、食料や武器弾薬用意も、奉行に手配させていた。

それまで、戦となれば、食事も兵士が自分で用意しています。
それが、体一つで、戦場に行けば、事足りるシステムを作ったことが、一番の勝因でと言えます。
どんな城でも、篭城するには、それを支援してくれる援護があっての篭城戦です。

時代のハザマには、こうした天才の出現があるものです。
このように、時代が変わったと感じることはよくあります。
今の社会も、子供の頃になかったものが、その主流です。

パソコンに携帯電話やスマートフォン、子供の頃の、空想の話でした。
小学5年の時に、未来の風景を想像して描いたことがあります。
デスクには、マイコンが並び、トランシーバーで、会話している絵です。
(当時は、パソコンと言わずに、マイコンと呼んでいた時代でした)

今の我が家と変わりません。
日常するオフィスや仕事場の風景です。
そのまんまですね。
持ち歩くパソコン、つまりスマートフォンが、日常になる風景もまでは、想像できなかったですね。

鉄腕アトムと言えば、手塚治氏の代表作の一つです。
原作の公式設定では、2003年4月7日がアトムの誕生日とされています。(Wikipedia参照)
すでに、現在2012年です。
高速道路といい、生活スタイルと、想像していたものと、近しいものもあります。
空飛ぶ自動車はないにしても、高層建築といい、未来の形は近いです。

そんな生活の中、子供の頃に食べたカップ焼きそばを食すると言うもの不思議です。
社会も便利になったと言え、あの頃の心の豊かさは、今の社会にはないように感じますね。
時代の変わり目に、大切なものを置いて来たのでしょうかね。

最近のマイブームになりつつあるモーニングラジオの「おはパソ」の中で、今日は月曜日の「金環日食」の話をしていました。
一部の小学校では、1時間早く父兄と登校して、その世紀の大スペクタクルのショーを、学校で、見ようとしているところがあると聞きます。

私が小学5年の時には、一部欠ける日食があったと記憶しています。
昼間に運動場で、見た記憶があります。
手には、カメラのフィルムと下敷きを持参しています。
今考えると、大変危険な行為だったと、最近の日食の解説で知りました。

今の小学生が大人になる時、どんな空想の世界を描いているのでしようね。
また、どんな空想できる社会になるのでしょうね。
中年親父になった今、未来の空想が出来ません。
メイ一杯の空想が、手塚ワールドでしたからね。

特に特別なものでなく、日常の暮らしについては、想像できませんね。
車の形やバイクの形が、近代的になるくらいで、20年後も旬の食材を食しながら、晩酌しているような気がします。
何も変わらないですね。

これ以上の便利を想像できないです。
日々の暮らしにこそ、幸せを感じることに、何らの違いはないと思います。
ありがたいと感謝する気持ちにも、変わりはありません。
それは、人として普遍の幸せだと感じますね。

そう思いませんか?
そんな時の答えは、もちろん「そーすね」でしょう。(笑)
感謝する暮らしは、人生を豊かにしてくれると思います。

ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
ありがたいですね。

心の三毒を廃し、心穏やかな安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごしたいです。

最後まで、てんこ盛りの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。